文明の敵・民主主義(西部邁著) | 本のブログ

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普通の人は読まないだろうと思う本を記す。
あとは、Linuxと中古PCなどの話題。

本書は共同通信社2011年刊行のもの。

竹田青嗣の「哲学は資本主義を変えられるか(角川ソフィア文庫)」の後に本書が来るのは、ご存知の方からすれば、一見矛盾している様に思えるかも知れない。

でも、両者ともに、資本主義、自由主義、そして本書の表題にある、民主主義について、深い考察もなく、正義だとみなしているのではないかという疑問への探求の書なのだ。

 

さて、本書の細かい内容については敢えて記さないが、日本国内で良く見る表現に「失われた30年」がある、ひとつには、政治の問題として、また、社会の問題として(こちらは漠然としてしまうが)指摘されることがあるようだ。

本書を読みながら、ふと、この「失われた30年」という言葉が浮かんできて、「30年も何かを失うなんて、それは、どういうことが起こったのだろう?」と考えてみた。

一般にそれは、例えば、政治が悪いとされているようだが、30年間も、悪い政治が続いたということは、どういうことなんだろうか?

政府も悪ければ、それを(積極的にも、消極的にも)選んだ国民も悪いのではなかろうか?

様々な人物や、政権交代まであったにも関わらず、悪い政治が続いたとするならば、直接的な原因としての、政治家やら政党も問題だが、それを選んでしまう、国民のシステム(大衆?!)にも問題は無いのだろうか?

 

もし、国民の側に問題があるとしても、その数は大きいので、反省するとしても大変厄介な話になるのではないか?

過失相殺という考え方がある、自動車事故などで、例えば、2者の間で事故の負担をその過失の度合いで按分するのだが、マスコミやら、国民やらは、政治が悪いと一方的に糾弾する傾向があるが、果たして、そうなのだろうか?

 

以上のような事について、モヤモヤしながらも、考えてみても良いかなと思う人は、西部氏の著作をお勧めする者である。