本書のオリジナルは昭和23年講談社から刊行され、その後昭和44年に改訂版が出された。
私は、1993年(平成5年)に刊行された、講談社学術文庫版を読んだ。
最初は、あまり乗らなかった、別に読みにくい本ではないのだが、スミスも、ヘーゲルも、マルクスも随分昔の人という偏見が根強かった。
ところが、第二章のヘーゲルの部分を読んで、興味が湧いた。
本書冒頭の「序言」にこうある
普通「市民社会」あるいは「資本主義社会」と呼ばれている近代社会の社会哲学は、ヘーゲルによって一応完成せられた。彼の社会哲学はいわば一つの峠であり頂上である。
私の浅学では本書を読んでも未だこのことの理解は乏しい、しかし、第二章第二節「市民社会」の論理の冒頭に
周知のごとく、ヘーゲルにおいては経済は市民社会における「欲望の体系」として示されている。…
とあるのだが、これ、現在の世の中がまさに「欲望の体系」ではないのか?
それでは、その「欲望の体系」をヘーゲルはどうしようとしたのか?
これは、本書をお読みいただこう。
しかしながら、そのヘーゲルの社会哲学を、マルクスは批判し乗り越えようとしたわけだ。
そして、紆余曲折の末、社会主義・共産主義国家という試みは、あまり良い実績は残せなかったことはご存知のとおりだろう。
そして、現在の、資本主義、自由主義社会は、おそらくヘーゲルの頃よりも、遥かに「欲望の体系」に絡め取られているように見える。
さてさて、あなたは、どうするだろう。
「欲望の体系」に迎合するのか、それとも…!!