本のブログ

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普通の人は読まないだろうと思う本を記す。
あとは、Linuxと中古PCなどの話題。

本書のオリジナルは昭和23年講談社から刊行され、その後昭和44年に改訂版が出された。

私は、1993年(平成5年)に刊行された、講談社学術文庫版を読んだ。

 

最初は、あまり乗らなかった、別に読みにくい本ではないのだが、スミスも、ヘーゲルも、マルクスも随分昔の人という偏見が根強かった。

ところが、第二章のヘーゲルの部分を読んで、興味が湧いた。

本書冒頭の「序言」にこうある

普通「市民社会」あるいは「資本主義社会」と呼ばれている近代社会の社会哲学は、ヘーゲルによって一応完成せられた。彼の社会哲学はいわば一つの峠であり頂上である。

私の浅学では本書を読んでも未だこのことの理解は乏しい、しかし、第二章第二節「市民社会」の論理の冒頭に

周知のごとく、ヘーゲルにおいては経済は市民社会における「欲望の体系」として示されている。…

とあるのだが、これ、現在の世の中がまさに「欲望の体系」ではないのか?

それでは、その「欲望の体系」をヘーゲルはどうしようとしたのか?

これは、本書をお読みいただこう。

しかしながら、そのヘーゲルの社会哲学を、マルクスは批判し乗り越えようとしたわけだ。

そして、紆余曲折の末、社会主義・共産主義国家という試みは、あまり良い実績は残せなかったことはご存知のとおりだろう。

 

そして、現在の、資本主義、自由主義社会は、おそらくヘーゲルの頃よりも、遥かに「欲望の体系」に絡め取られているように見える。

 

さてさて、あなたは、どうするだろう。

「欲望の体系」に迎合するのか、それとも…!!

 

本書は白地社2010年刊行のもの、現在は新典社から新版がリリースされているようだ。

 

この著者が本書を書こうとしたきっかけは、彼の子供の将来について気になったからだと言う、そこで、宮崎駿の作品から、宮崎氏が「楽観を許さない世界の将来を先の先まで透視している。その上で、すこしでもましな未来を、希望の持てる世界を子どもたちに残そうと…たったひとりで絶望的な戦いを展開している」人だと感じたからだ。

 

宮崎氏の思想を、第一章で、堀田善衛「広場の孤独」、第二章で、照葉樹林文化とアニミズム、第三章で「自立」という問題について、分析しつつ、(戦後の)日本の社会がどのようになってしまったかを、掘り下げている。

宮崎氏は、バブルの頃、司馬遼太郎がTVで「日本人はみっともなくなりました」と言ったのを取り上げて、自身もそう思っていたと共感している。

 

当時のことを知らない人は、バブルの時を理想郷と思い憧れる人もいることだろう、しかし、戦前、戦中を知る人々が、そのバブルに、違和感や警鐘を鳴らしている発言や記述があることに気がつくかもしれない。

「失われた30年」などと、巷でよく言われるのだが、あのバブルの方が異常な状況だとすれば、その失われたこと自体が、その異常性を回復するための正常な動きだったのかもしれない。

 

現在も、日本では、あの経済的な繁栄(バブルなど)を夢見て、様々な政策が議論されている、しかし、現在の状況を見ていると、一度、冷静に、とても基礎的なことから、積み上げ直しても良いのではないだろうか?

すでに、30年も失ったのならば、それを取り戻すのにも、30年掛かるだろうと腹をくくって、雌伏の時を過ごしても良いような気もする。

 

そんなことを、宮崎駿という人の評論(本書)を読みながら感じた。

本書は1990年河出書房新社より刊行された、私は2005年初版の皮で文庫版で読む。

 

古典である徒然草から抄出して橋本氏の現代語訳と註釈という構成で、訳も良いが註釈が良い。

どう良いのかというと、この註で橋本氏は若者を批判している、曰く、教養がない、軽薄だなど、現在高齢者の私はそれに共感して溜飲を下げるのか、というとそうではないのだ。

よく考えてほしい、本書の出版された1990年の若者とは、そう、当時29歳の私を含め、それ以下の年齢、団塊ジュニア世代くらいまでを指しているのだ。

 

正直に言うと、現在の若者のコスパ・タイパについて、私は違うと思っている、本書にもあるように、時間を掛けて、回り道をしながら会得する知恵や技術はあると思う、でも、そういう風潮はどこから現在の若者に伝搬してきたのだろう?

海外の風潮を彼らは採用したのだろうか?

 

そこで、本書の内容を見ると、徒然草の内容を借りて、橋本氏は若者批判をしている、文は違えど、私たちがZ世代を見る目と同様だ。

どうも、Z世代とは、私たちの若い時の欠点(!)を純粋抽出した人々のように見えてきた。

 

私の親は昭和ひと桁世代だから、私は、体感はしてないが、彼らの言うことはわかる、しかし、面従腹背するかのように、彼らの良いところも悪いところも、同世代や下の世代には伝えない。

そういうような世代間フィルターが、重なることにより、また、もしかすると時代の風潮が重なるにより、現在の世代が成立したのではないか。

当然、バブル期までの凄まじかった経済の日本は現在の風潮のままでは発生しない、何故ならば、すでに人間の質は変わったからだ。

 

まぁ、それで良いと思う。

 

以下は、橋本氏の註のはじめの部分ここから比較的長い註が繰り広げられ、読書について語られる。

さて、お前さんらの一番苦手とする話じゃな。わしらの時代に「本を読む」ということになると、こういうことになる。お前さんらはあまり、日本に関する教養はなかろう?ないわな。大体教養というものをとっちがえておるものな。

・・・

また、若者批判だけではない

分かりきった顔をしとりゃ”老人”というのは、馬並みの年のとり方じゃな。ただ無意味に年を取って老いぼれただけの老人を”馬齢を加える”というがな。馬齢を加えて、それでも自分のことを「若い!」と思っとったら、こりゃどうしようもない恍惚じゃわな。まァともかく、老人大国ニッポン、バンザーイ!と言うておこうか。後はどうなろうとワシャ知らんがね。

 

私の読書のまずいところは、古本を中心に読むので、著者が故人になつてから、その重要性に気づくことがあるので、今回も、橋本氏の忠告を今頃体感しているということになる。

まぁ、気づかないよりは多少ましなのかもしれないのだが…?