なぜ音楽は悪くなっていくのか?その現実的な理由 | 本のブログ

本のブログ

普通の人は読まないだろうと思う本を記す。
あとは、Linuxと中古PCなどの話題。

 

 

私は、英語はからっきしだが、それでも、Rick Beatoの音楽に関する動画は好きで、過去の名曲の音源ををトラックごとに鳴らして分析する「What Makes This Song Great?」は、英語がわからなくても十分楽しめたのだった。

ただし、彼の英語のコメントは私にはわからないので敬遠していたのだが、本編で、日本語の自動翻訳を試すと、100%確実ではないが要旨は十分理解できることがわかったのだが…!!

 

この内容は深刻だ、音楽の価値が下がってしまったというものだ。

サブスクの普及で、簡単に膨大な曲を聴くことが出来る、そう、蛇口をひねれば出てくる水のように、これは、大変なことだ。

先日、とある動画のコメントにAIによる音楽作成に触れたことがある、それを記している時に、ふと「音楽と画像とが組み合わさらないと満足できないとしたら、そこには何か違和感を感じる」と思ったのだ。

私は、楽器を弾くので、音楽だけがあるという状況に違和感はないし、楽器の練習中はそういう環境に陥る。

しかし、そうでない人はどうだろう?

この世のリアルなものには、あまり音楽は付いてないはずだが、アニメ、ゲーム、映画、TV、YouTube・・・様々な人工なメディアには音楽が鳴っていることが多いだろう。

もしかすると、そういう(人工的な)ものが生活のほとんどの人にとっては、空気のようにいつでもどこでも音楽が鳴っている状態の方が、現実と考えてしまうかも(もちろん錯覚だが)知れない。

巷で、イヤホンやヘッドホンをしながら、外を歩いている人の中に、単純に音楽を聴くという行為が好きという人だけではなく、音楽が鳴っていない世界を受け入れられない人が、もしかすると、いるのではないかと危惧するのだ。