今回は、過去記事に付随する内容になっています
皆さんも「頭でっかち」という言葉を聞いた事があると思います。
つまり、豊富な知識を持ちながら、
その割に行動の乏しい…、という意味ですね。
いくら豊富な知識を持っていても、
それを実際に使わない限りは、宝の持ち腐れとなります
知識は飾りではありません。
あらゆる思考や判断、そして行動する時に使用する、
実用ツールなのです
知識豊富な人は、過去に起きた出来事の原因、
物事が持つ仕組みや作用などを知っており
そこから、ある程度の未来を予想する事が出来ます。
当然、本当の答えは結果を見なければ解りません。
しかし、彼らは、単なる予想を真実だと思い込み、
大胆にも「解った」と錯覚してしまいます
これは、もはや、『妄想』というしかありません。
自らの知識や判断力に自信がある人ほど、
妄想が激しくなる傾向があります。
現実を確かめる必要がないのであれば、
妄想だけで全てが完結してしまいますよね。
実に怖い事ではありますが、
誰でも多少は同じような傾向があるのです。
皆さんも、何も確かめずに決め付けたり、
やる前に解ったつもりになったりする事、ありませんか
以上のように妄想頼りになってしまうと、
あらゆる行動を躊躇するようになります。
何故なら、失敗は誰でも嫌です。
失敗すれば、その行動が無駄になったという焦燥感、
望みが叶わなかったという喪失感に襲われるからです
成功と失敗という損得を意識すると、
「上手くいく」と妄想すれば行動し、
「無理だ」と妄想すれば、行動しないという習慣が付いてしまいます。
当然、妄想だから根拠はありません。
もし、妄想が当たったとしても、
それが成功と失敗に影響したという証拠を、
確かめる術はないのです
知識がある人も、乏しい人も、
真実を知るには、実際に行動して確かめるしかありません。
知識には、より良く行動するための道具としての機能こそあれ、
未来を見透す力など有りはしないのです。
考えてみれば当たり前な事なのですが、
知識豊富な人ほど、それが解らなくなるようです
タイトルの知行合一という言葉には、
「知識は行動を伴う事で完成する」という意味があります。
これは、江戸時代に流行した陽明学の精神です。
陽明学は武士道と深い関わりがあります。
当時の武士が文武両道を目指したのも、
責任を果たすために切腹したのも、
知行合一を意識していたからでしょう
彼らは、努めて多くを語らず、
行動を示す事によって自らの意思を伝えようとしました。
つまり、不言実行です。
古くの日本男児に、無口で黙々と行動を重ねる傾向が見られたのは、
まさに武士の精神が背景にあったからでしょう
必ずしも行動が伴わなくても、
知識に価値がある事に変わりはありません。
ただ、行動が乏しい人生は、実体験による生きた知識、
それに付随する楽しみと喜びが希薄になります。
この不足を補うため、妄想ばかりが頭をよぎり、
結果的に薄っぺらな人生を過ごす破目になってしまうでしょう。
これは、実に悲しい事です
あらゆる知識は、行動するための原因であり、
そして、あらゆる行動は、知識を得るための原因となります。
知行同一が実践出来れば、
我々の人生は大きく変わるでしょう
いや、多分、変わるかも知れません。
ならば、実際に行動して、
自分の目で確かめてみるしかありませんね