3.【死後の世界が存在する理由】 | 始まりはアドラー心理学

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より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

もはや、多くの人が信じる『あの世』の存在天使
しかし、状況はさらに進んでいます。
信じる、というより『確信』を持ってる人、
もしくは『感じている』人が増えているのです。
別に何も感じない人であっても、

少し考えれば確信する事は可能でしょう。
その理由を僕が示したいと思いますサーチ

まず、「人生は修業みたいなもの」と感じてる人は多いはずです。
人生を重ねる度に、だんだん解ってくるじゃないですかはてなマーク
物事の対処の仕方や課題への取り組み方、より快適な生き方が。
人間が生まれてくる目的と生きる課題は、
「この世界(この世~三次元)で経験を積む事であり、
様々な知恵を得るため」だといえば、きっと納得出来るでしょう。
同時に他の人間たちと共存共栄して、

平和で調和した社会を築く事も、
僕らにとって共通する大きな目的になります。
よって、学ぶ事と調和する事が、
この世界で生きている人間全てのテーマといえるのです。
何故なら、『人が成長する事』、
『みんな仲良く助け合って生きる事』の2つは、
誰にとっても大きな願いであり、大きな歓びだからですキラキラ

では、具体的に何を学んでいるのでしょうか?
それは、僕らが五感で得た全ての情報を含め、
日々で体験する出来事全てです。
ただ、起きる事に対処してるだけでなく、
僕らは様々な願望や目的を持って行動します。
そして、行動した結果を確め、そこから様々な糧を得る…、
さらに、経験によって新たな願望や目的を抱き、
得た糧を利用して行動する…、これが一生続く訳です。

人間一人が人生で得た情報(知恵)は膨大なものになります本本本
特に僕らが学ぶのは、良好な人間関係を築く方法であり、
また人間関係自体から多くを学びます。
これは対人能力というか、集団維持技能というか、
まさに人類の調和を目的とする学びといえます。
以上を身に付けた人は、集団から見ても、その価値は絶大です。
同時に、それらのスキルは、本人にとっても大切な宝物でしょうねカービィ(宝箱

しかし、一つ問題があります。
これこそが『死』しにました^q^
死ぬ事で個人は集団から離れます。
これは、集団にとって大きな損失ですが、
最も大きな損害を受けるのが本人です。
だって、せっかく努力して身に付けた様々な知恵や、
人生の苦楽を積み重ねた思い出が、
自分という存在と一緒に消滅してしまう訳ですからどんより
「死ねばオシマイ」というのは、そういう事です。

もし、『死』が終わりであるならば、
僕らが成した事、得た物や経験や知恵や能力や人格など、
全てが意味をなくしてしまいます。
ならば、世間にバレないように、他人を騙し、表面だけ良く見繕って、
利用出来る人間はとことん利用し、力ある者には媚びて自分を護り、
酒池肉林の煩悩を貪り、死ぬまで甘い汁を吸い続けようニヤリ…、
という人間ばかりが得をして、正直者が馬鹿を見るでしょうがっかり

もし、人生というものが、
一生を掛けて組み立ててきた壮大なジクソーパズルを、
未完成のままバラバラにして
火に焼いてしまうような無意味で残酷な代物だとしたら、
余りに不毛ではないですかもやもやはてなマーク

無になって消滅する運命を背負いながら、

それでも生きねばならないというのは、あまりに悲し過ぎます汗

同時に、これでは生きるモチベーションなど湧くはずもないでしょう。


どんな人であっても共同体の一員として、
生きている内は他人に良い影響を与え、
人生で掴んだ多少の糧を、
残された周囲の仲間たちに遺す事は可能です。
しかし、いくら残された人たちが恩恵を受けても、
遺した人が死によって消滅するのは納得いきませんNO!
自分が消滅するならば、残された人たちへの善意も思いやりも、
全て消え去ってしまうでしょうかぜ
これでは、カミカゼ特攻隊みたいに、
ただ犠牲になるだけの不毛な人生です。
しかし、死んでも終わりではないとしたら、全てが丸く収まりますOK
この世界にある森羅万象、あらゆるモノが
『死後の世界』によって繋がってくるのです。

死後の世界の存在によって僕らは救われますキラキラ
どんなにツラい人生だったとしても、
死後の生活では、既に終わった過去に過ぎません。
貧困も戦争も病気も、ツラい仕事もイヤな人との関わりも、
肉体を脱ぎ捨てると同時に、この世に置いていけるのですから。
そして、生きてる時に学んだ知恵や能力、あらゆる記憶、
重ねた努力も仲間たちと培った絆も、
歓びと共に、死後の世界という未来へ持っていけるのですアップ
やはり、死後も自分が存在し続けていると考えた方が合理的だし、
何よりハッピーですよね幸せ音譜

既に過去の記事で述べましたが、
この宇宙が『大いなる何か~サムシング・グレート』に創られた事を、
僕は確信しています。
この存在は、明らかな意識と目的を持ち、
生きとし生ける物全てに愛情を持っているはずです。
自分で創り、自分で育んだ者たち(魂)は、かけがえのない宝物であり、
けして使い捨てにはしないと思います。

僕らには、快(歓喜、安楽)不快(苦痛)という

正反対となる2つの感覚が授けられました。
『快』は人間に目的を持たせ、
自分自身を含めた共同体を発展させます。
反面、『不快』は、
人類の発展と調和を妨げる物事を示すサインとなっています。
もし、「死んだら終わり」であれば、僕らは明らかに『不快』になり、
生に対する価値や生きる目的も失ってしまい、
結果的に人間社会は発展しなくなるでしょう。
これでは、そもそも宇宙を創った意味がなくなりますよねうーん

ちょっと理屈っぽいかも知れませんが、
以上が、死後の世界が存在する根拠です。
もちろん、これだけでは納得出来ないという人もいるでしょうね。
次回は、さらに強力な根拠示す著作について紹介します。

死後の世界実在を証明する決定版となるはずですひらめき電球