2.【人生の選択】 | 始まりはアドラー心理学

始まりはアドラー心理学

より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

この世に生を受けた僕らには、約束された未来があります。
いずれ、未来は現在となり、必ず訪れます。
逃げる事は出来ません。
全ての人間が体験する人生最期の一大イベント…、
それが、死ですしにました^q^

『死ぬ事』は、人間にとって『生きる事』と同等の課題といえます。
死をどう捉えるかはてなマーク
これによって、我々の生が大きく変わってくるのは間違いありません。

人々の死に対しての認知(捉え方)は、いくつかに分けられます。
それを、以下にまとめてみました。

1.死んだら終わり
つまり、死んだら、自分という存在が消滅する…、という憶測です。
こう考える人はさらに、以下の2つに分かれます。

・人生を悔いなく生きる
「人生は一度しかないから頑張る」という人は大勢います。
こういう人は、「怠けずに目標や課題に打ち込もう」、
「成功や栄光を掴み、満足感と充実感を存分に味わおう」…、
などと思っているのでしょう。
せめて、死ぬまでは、自分に納得した生き方をして、
それなりに良い思いをして置きたい、という事です。
ある意味、これは損得勘定であり、刹那的な発想ともいえます。
場合によっては、金銭的成功や、地位と名誉を得る事が目的となり、
単なる自己満足に終始する可能性もあるからです。
当然、そのような人ばかりではないでしょう。
「他人や社会に貢献したいがんばる」、
「生きてる人たちに何かを遺したいキラキラ」と考える人もいるはずです。
例え、自分がいなくなっても、残された仲間たちの幸せを願うなんて、
実に素晴らしいビックリマーク
まさに、アドラー心理学でいう『共同体感覚』に目覚めたタイプの人です。
しかし、この場合、
残された仲間たちの未来に不安や心配を抱く訳にはいきません。
自分が消滅すれば、
残された仲間たちの未来を確かめる事も不可能なので、
余計な憶測をしてはいけないのです。
さもないと、この不安と心配が執着となり、人生の悔いにもなり、
死が怖くなる可能性もあります。
まあ、そもそも、ここまで考える人は少ないかも知れませんね。
損得や残された仲間たちの事など意識せず、
ただ自分の中だけで『悔いなく生きる』と考えてる人も多いはずです。
大体、充実した日々を送ってる人ならば、
死への不安や心配なんて抱く暇はないでしょうグッド!

・適当に楽して生きる
「人生は一度しかない」と考えて努力する人がいる反面、
「なるべく苦労はせず、出来るだけ楽して、得して、
好い思いをしたい口笛」と安直に考える人もいます。
ある意味、人生を投げてる状態、ヤケクソ状態といえましょうか?
彼らは自分の事だけで精一杯で、
「他者に貢献したい」という意識(共同体感覚)が希薄です。
つまり、『自分を好きではない』、『自分という価値が解らない』、
『他人と喜びを分かち合えない』状態であり、
けしてハッピーとはいえないタイプです。
中には、「自分の利益のためには他人をとことん利用してやるニヤリ」、
もしくは「糾弾されたり、罰を受けるのが嫌なので、
バレない程度に立ち回ろうニヤリ」…、
などと考えるようなエゴイストもいるでしょう。
いずれにせよ、
共同体感覚のない残念な人たちであるのは間違いありません。
このように、自堕落で身勝手に生きれば、
もし死後の世界があった場合、エライ事になりますあせる
「死ねば、怠けた報いも、冒した罪を背負う必要もない」…、
と安心していたのに、死んだ後に未来があったら、さあ大変あせる
「こんな事ならば、真面目に生きるんだったガーン」とガックリしますね。
さらに、天国と地獄の2つが存在していたならば、
間違いなく後悔の嵐が吹き荒れます台風
もし、地獄が永遠に続くのであれば、
「消滅して楽になりたい」と切望して絶望するでしょうがっかり
反面、刑務所を出所するみたいに出られるのであれば、
涙が出るほど安心するに間違いありません笑い泣き
つまり、「死ねば終わり」だと思って、
自堕落、身勝手に生きる人たちには、
それなりの後悔とリスクを負う可能性があるのです。

2.死後の世界の存在を信じる
死んで無になるのが嫌な人は、死後の世界を期待します。
無になれば、楽しい思い出、努力して掴んだ知恵、
残された仲間たちへの愛情なども一緒に消えてしまうのだから、
これは実に残念な事です。
もし、天国と地獄に分かれていたなら、
良心的に生きた人ほど安心出来るでしょう。
例え、人生の記憶が苦しみばかりだったとしても、
一発逆転でハッピーになれますやった幸せ
死んでも未来があるならば、再び新たな目的を作り、課題を抱き、
行動して成果を得るチャンスが訪れるし
周囲の仲間たちと喜びを分かち合う事も出来ますらぶ

死後の世界を信じれば、死ぬのが怖くなくなります。
また、未来が約束される事により、「真摯に生きようがんばるよ」、
「現在を大切にしようemi」と思え、
充実した人生を送れる可能性が高まるはずです。

…いろいろなパターンを想定して挙げてみましたが、
今のところ、本当の事は解りません。
解らないからこそ、どう考えるかは本人次第な訳ですね。

ならば、敢えて死んだ後を想定せず、
「解らない」と認知するのも有りだと思います。
解らないならば、いちいち不安を抱く必要もありません。
先の事は考えず、今やりたい事を考え、
これを実行すれば、それで良いのです。

さて、あなたは、死をどう捉えていますかはてなマーク
僕は、変化だと捉えています。
仏教カテゴリーで触れた『般若心経』や『諸行無常』の通り、
万物に滅びはなく、ただ移り変わるだけだと思うのです。

『死が滅びではない』根拠を、僕は求め続けてきました。
結果、ある確信に至ったのです。
それは「死後の世界は存在するひらめき電球」という確信です。
これらについては、次回から順に説明していきたいと思います鉛筆