1.【過去・現在・未来を繋ぐもの】 | 始まりはアドラー心理学

始まりはアドラー心理学

より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

僕は、タイムマシンに憧れがあります砂時計(上)
もし、過去に戻れたら
幼い頃の自分に、いろいろと説教してやりたいです。
いや、その必要はないかも知れません。
一言、「アドラー心理学を学べ」と伝えるだけでも、
彼の(?)人生は大きく変わるでしょう。

学生の頃、遊んでばかりだった僕は、
しばしば親に説教されました。
「もっと、将来を真剣に考えなさい プンプン」と。
「将来、結婚して子供を育てねばならねんだっけ、
ちゃんと仕事に就いて、しっかり給料をもらわねばダメだろ…?
もっと進学とか就職とか、真面目に考えれ」なんていう訳です。
それでも、僕は、相変わらず遊んでばかり…。
今思うと、あれは現実逃避ですね。
無計画で向こう見ずの癖に心配性で、過ぎた事にはクヨクヨ悩み、
全くどうにもならない馬鹿者でしたイヒ

親の意見は尤もだと思います。
人生の目的を果たすためには、
明確な目標と予定があった方が有利なのは間違いありません。
『未来のために出来る事を、今の内に考える』という行為が
生きる上で必要であるのも至極当然でしょう。
しかし、これは、なかなか難しい事でもあります。
何故なら、僕らが未来を考えると、
ほとんどが無意味な妄想になってしまうからですもやもや

人は、未来を考えると、しばしば不安になります。」
先の事を考えて「どうなるんだろうかキョロキョロあせると想像したり、
「どうせ、ダメだショボーン 」と悲観したり、
「あの人に、何ていわれるだろうか ショボーン」と心配したりなど、
解るはずのない未来に思いを馳せ、
答えが出ないまま、時間だけが過ぎてしまうのですかぜ

未来だけではなく、過去を考える場合も同じ事がいえるでしょう。
過去は、まさに学びの宝庫ですキラキラカービィ(宝箱キラキラ
実際に起きた物事を分析すれば、
未来に備える重要なデータとなります本
それは、経験豊富な人ほど、分厚いものになっていくはずです。
ところが、実際に僕らが過去を考えると
『学び』ではなく『迷い』の方に意識が流されてしまいます。
誰もが、既に終わった事を、いつまでもクヨクヨ考え、
「何で、あんな事をしたんだろうがっかり
「こうすれば良かったのにがっかり」などと後悔した事があると思います。
これも、やはり時間の無駄でしょう。
終わった事をいくら悔やんでも、まさに『後の祭』に過ぎませんから汗

人間には『現在』しかありません。
僕らにとって、現在こそが実在であり、現実であり、
自分が行動出来る、唯一の舞台
となります。
結局は、過去がどうだったとか、
未来がどうなるだろうとか、全くどうでもいい事で
いちいち考える必要などないのです。
今さえ良ければ、それだけで万事OKであり、
他に何の問題もありませんOKOK
人間の在り方を決めるのは自らの意思以外になく、
それは、現在この瞬間にしか存在しないからです。

人間が未来と過去を考えるのは、まさに現在でしか出来ません。
過去には明確な事実や様々な教訓があり、
これを遣って、僕らは新たな願望や目的を、『今』創る事が出来ます。
同様に、『現在』、僕らが目的や課題を持つのは、
未来を想定するからこそです。
以上のように、過去や未来というのは、
現在と繋げる事によって意味と価値が出てきますキラキラ
実際は存在しないものではあっても、
我々が意味を持たせる事により、
現在を生きるための便利な道具と成り得るのですレンチ

過去と現在、そして未来は、
とあるものによって一本の線として繋がりますチェーン
それは、他ならぬ時間です時計
ある意味、僕らにとって最も大切なのは時間だといえます。
「時は金なり」という言葉がありますが、
そんな生易しいものではないでしょう。
時間とは、増やしたり貯めたり出来ず、貸し借りも出来ず、
けして止まる事はなく、早送りも巻き戻しも出来ません。
この世界で、これだけどうにもならないものは、他にないでしょううーん

僕らに与えられた時間は限られています。
それは、いずれ死が訪れるからですしにました^q^
誰もが、自分の死を他人事のように感じ、
日常で意識する事はほぼありません。
だからこそ、不安なく生きていける訳ですが、
それが、僕らの人生を停滞させてしてしまってるのも、また確かです。

死を意識せずして、
現在という絶対的な価値を実感するのは難しいでしょう。
死があるからこそ、僕らは現在の大切さを知ります。
「限られた時間内に、やりたい事をどれだけやれるか?」…、
これは、人生における巨大なテーマといえましょう。

死という未来を意識せずして、
現在という価値を知る事は出来ません。
人生の終着駅である死を、如何に意識するかはてなマーク
それは、人それぞれだと思います。
何故なら、『死んだらどうなるか滝汗?』、
それを知ってる人は誰もいないからです。

「死を、どう考えるか…キョロキョロ??」…、
それによって、現在やるべき事が決まってきます。
つまり、未来をどう認知するかによって、
人生は大きく変わってくる訳です。

次回は、この辺の話を拡げてみたいと思います鉛筆