5.【信じる者は救われない?】 | 始まりはアドラー心理学

始まりはアドラー心理学

より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

当ブログで、今までいろいろ語ってきましたが、
これら全てを真実だと思い込まないでください。
もちろん、騙そうとなどしていませんが、
僕のいってる事は、あくまで一個人の意見に過ぎず、
どこかしら間違っている可能性もあるはずです。
また、賛同出来る部分、出来ない部分があるのも当たり前であり、
最終的な判断は、ご自分でなさってくださいウインク

何故、以上の事を述べたのか、といえば、
信じる事の危うさを知って欲しいからです。
信じる事の尊さは、今更いうまでもありません。
特に、我々の対人関係は、
互いに信じ合わずして成立しないでしょう。
ただ、盲目的に信じ込むのはいけません。
それは、むしろ、僕らの対人関係を壊す原因になるからです。

ある意味、『信じる』という行為は、ハイリスクといえます。
何故なら、人々が何かを信じるのは、
真実を知らないか、もしくは理解出来ないからです。
知らない事を都合よく信じたりすれば、
後で騙されたり、裏切られたりしても文句はいえません。
信じる事の責任は100%本人にあるのですから。

もし、友達を信じるならば、
「この人は絶対に裏切らない」などと安易に期待してはいけません。
そもそも、人間は嘘をつくし、裏切る生き物です。
この現実を予め想定していれば、後でどんな目に遭おうが、
苦しまずに済むでしょう。

どうして、人は不確かな事を信じるのでしょう?
やはり、考えるというのは疲れるし、面倒くさいからです。
自分で考えるより、他人任せにした方が楽ですからね。
つまり、問題はここにあります。
自分の思考停止を棚に上げて、
真偽の責任を他人任せにしてはいけません。
信じたのは自分自身であり
その結果は自ら100%受け容れなければならないのです。

極論ですが、所詮、信じる者は救われません。
他人に救われる事に期待しないで、
自らを救う努力こそが必要なのです。
解らない事は自分で調べ、自分で考え、
自分で判断すべきと思います。
それでも解らなければ、憶測で決め付けず、
「解らない」ままの方がましではないでしょうか?
 
信じるというリスクについて説明しましたが、
僕らの対人関係は、信用と信頼なくしては成り立ちません。
どうすれば、互いに信じ合う事が出来るのでしょうかはてなマーク

次回は、信用と信頼についてお話しますバイバイ