善と悪4.【自由が全ての始まり】 | 始まりはアドラー心理学

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より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

前回、僕は「人間には完全なる自由が許されている」と述べました。
これは間違いないと思います。
世界を見れば解るでしょう。
現実世界は力ある者たちの『自由』によって支配されています札束
弱肉強食の資本主義金融経済による格差や、
戦争爆弾という無慈悲な殺し合いは、
一部の財力と権力を持つ者たちの
自由意思によってもたらされたモノです。
しかし、この自己中な自由に対して、
僕ら個人には反発する自由がありますブー
もし、人々が集まり、自由の力を合わせれば、
社会の大きなエゴを糾弾して、

それをストップさせる事も出来るのですOK

前回にいいましたが、
僕らは自由に生きる事によって生じる結果から、
互いに学んでいます。
そして、結果的に快く感じるモノを『善』や『成功』と見なし、
不快なモノを『悪』や『失敗』と見なします。
このように結果から学ぶ事により、
人間は快(ポジティブな気分)をもたらす行動を選ぶようになり、
不快な行動を排除していきます。

行動によって周囲に快をもたらす者は、
集団に『仲間』として認められ、
反対に不快をもたらす者は次第に嫌われ、孤独に陥りますガーン
そして、人間は、集団から排除されないように、
仲間にして貰える生き方を目指すようになります。
それは、まさに自然界の法則といえましょう。

集団の調和に協力する者には集団の愛が与えられ、
集団の調和を乱す者は排除される…、というこの構図こそ、
自然界の摂理です。
簡単にいえば、我々にとって、調和をもたらす=進むべき道で、
調和を乱す=進んではいけない道、という事にもなります。
僕らが自らの意思で好き勝手に自由な行動を取っても、
結局は『快』な方向、『調和』の道に行き着くのです。

例え、人から何かを奪ったり、裏切ったり、
傷付けたりして満足感を得たとしても、結局は集団から排除され、
見捨てられて、必ず痛い目に遭いますあせる
人間にとって最も怖いのは、
集団から外される事、孤立に陥る事でしょう。
何故なら、人間は独りでは生きられないからです。
これは、魚が陸地で生きられない事と同じく、
大自然が定めた宿命といえます。

次第に見えてきたような気がしませんか?
僕らは、大自然の力で調和に向けて誘導されているのです。
実際、互いに自由な行動をする事によって、
様々な経験をして学び合い、
得た知恵や能力は調和に向けて利用されています。
だから、調和を『快』と感じ、不調和を『不快』に感じる。
僕らには、そういう精神が生まれつき具わっている訳ですね。

もはや、善と悪に拘る必要はありません。
社会の規律やルールを守るのは当然ですが、
基本的には、自らに具わった絶対的基準に従えばいいのです。

それでは、あくまで僕個人としての結論を述べます。


・まず、それぞれが自由に生きる事。
・共感するものは共有し、異なるものは出来る限り認め合う事。
・どうしても認められないものに対しては、拒否する自由、

許せない罪に対しては、制裁する自由によって対処する事。
・あらゆる対人関係で得た経験を活かし、
個人と集団の『自由』に折り合いを付け、全体のバランスを取る事。

 

以上は、この世界に生きる全ての人間にとって、
共通の指針と課題になると思います。

言葉として見れば、極当たり前の事に感じるでしょう。

でも、これを実行出来てる人はほとんどいないはずです。

当然、僕自身も全く出来ていません。

自由に生きる事、異なるものを認める事、拒否する事など、

どれも大変難しく、身に付くまでは、相当の年月がかかると思います。

 

後は、実際に行動し、体験する事で少しずつ学んでいきましょう。
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全ては個人の自由ですグッ