善と悪3.【悪を冒す自由】 | 始まりはアドラー心理学

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より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

前回の最後で、
「他人に危害を加えたり、他人の権利を侵害する自由は許されない」
と述べました。
やはり、他人に迷惑を掛けたり、
他人を傷付けるのは、全体にとっても悪であり、
これに対しては、誰もが共有すべき正義といえるでしょう。

子供の頃、僕はいわゆる悪ガキでした。
ピンポンダッシュDASH!やイタズラ電話電話は序の口で、
よその畑に侵入してカッターナイフで野菜を切り刻んだり、
道路を走行中の自動車に雪玉をぶつけたり、
盆踊り会場にロケット花火を射ち込むなどドンッ
とにかく悪い小学生でした汗
もちろん、悪気はありませんでした。
ただ、面白い事がしたくて、 楽しい気分になりたかっただけで、
他人の迷惑まで気が回らなかったのですショック

多分、この世界には進んで悪い事をしようとする人はいません。
(極一部を除いては)
自分の願望を果たそうと、自由を行使しようとした時、
結果的に他人を苦しめてしまっているだけです。
これを社会では悪と呼びます。
つまり、迷惑を掛けたり、危害を加えるのは悪。
前回、「人間は自分が不快だと感じるものを悪と呼ぶ」
と述べましたが、それと同じ意味です。
全ての『不快』が悪ならば、
世界には無数の悪が溢れているという事になりますね。
しかし、僕は、前々回に
「善も悪も個人が勝手に決めた妄想に過ぎない」と断言しました。
自分と違う価値観やスタイルを、悪と決め付けているだけだと。

他人に苦しめられたり、被害を受けたりするのは、
互いに思惑や願望が噛み合ってないだけです。
例えば、泥棒の『盗みたい』という願望と
被害者の『盗まれたくない』という願望は、互いに相克し合っています。
もし、被害者が「まあ、いいや、金に困ってるならば、くれてやろうウインク
と思えば、両者の思惑は一致するので、
もはや悪とはいえなくなります。

極論をいえば、盗むのも、盗まれるのを拒むのも、どちらも自由です。
同様に、与えるのも、それを拒むのも、やはり自由。
この自由が互いに同じ方向に向き、互いに衝突しなければ、
悪とはいえなくなります。
結果、苦しみや被害も生じません。
さすがに盗む事を自由だといったら問題でしょうが、
現実では、盗む自由を侵害するのは不可能です汗
いくら「やってはいけないプンプン」、「やったら逮捕だむかっ」といっても、
盗んだり、騙したり、殺したり、自殺したりする者を誰もが止められず、
彼らの自由は実質的に許される状態になってしまっています。
後でどんな罰を与えようが、やってしまった事を消せはしないし、
本人が改心しなければ同じ事を繰り返すに決まっています。

野生動物の世界を見ても判るでしょう。
『自由で何でも有り』というのが自然界の摂理であり、
これを覆せる者など誰もいません。
つまり、人間には『自由に生きて良い』
という暗黙の権利が与えられているのも同然なのです。

いうなれば、この世界には善も悪もなく、
ただ完全なる自由があるだけだと思います。
そして、互いの自由が相克する事で、
僕らが互いに苦しんでいるのも、また事実。

何故、このような状態が許されているのでしょうかはてなマーク
ここにこそ、人間という生き物の本質が隠されています。
何故、人間が存在するのか…?
我々が生きる意味とは何なのか…はてなマーク
…という究極の問いを解くカギが、ここに姿を現してきました。
その答えには、
誰もが納得するであろう『学び』というワードが関係しています。
よく、いわれるじゃないですか?
人生を『修業』だと捉える人は大勢います。
長く生きてる人ほど、こう感じる傾向が強いでしょう。

 

人間は、経験を積む事で学び、より大きく、強く成長します。
どんなにツラい経験でも、それが良き学びや糧となり、
後々になって多くの成功や歓びをもたらすという現実を、
否定する人は殆どいないでしょう。

 

学びや糧とは、得てして悪い事をしたり、
されたりした経験によって得られるものばかりです。
良くも悪くも、互いに別々の立場になって正反対な経験する事で、
互いに学び合ってる訳ですね。
ある意味、これは共同作業だといえます。

 

愛し合うのも、助け合うのも、憎しみ合うのも、
傷付き傷付け合うのも、結果的には僕らに学びと調和をもたらします。
こういう視点で物事を見れば、
互いの自由を尊重しようが、逆に衝突しようが、
もはや白黒付ける意味もなくなります。
やはり、基本的には、皆が自由に生きて良いのです。

それでも、僕の意見に納得出来ない人はいるでしょうね。
現実では、何でも自由を許したら大変な事になりますから。
では、次回、この疑問について考えてみましょうバイバイ