人間には五感があります。
つまり、『視覚』、『聴覚』、『嗅覚』、
『味覚』、『触覚』という5つの感覚です。
これらによって、僕らは地球上の様々な情報を捉え、
それを元にして認知したり、判断したりして、
毎日を快適に過ごす事が出来ます。
例えば、目の前にリンゴがある場合、
それを確認出来るのは視覚があるからです。
もし、視覚がなければ、リンゴがある事が解らず、
結果的に「何もない」と判断するしかなくなります。
また、視覚があっても、
目の前にリンゴがなければ、やはり何もないと判断します。
つまり、人間が物の存在を認知するには、
視覚と『被写体』の両方があってこそなのです。
多くの人々は、目に見えない物の存在を疑います。
でも、この宇宙には、目に見えない物が溢れていませんか
例えば、微生物や、宇宙の彼方にある星、
太陽から降り注ぐ紫外線などは、
僕らの視覚で確認出来ませんが、その存在を誰もが認めています。
それは、科学の発展により、
様々な機械によって探知出来るようになったからです。
しかし、これらの機械が発明されるまでは、
誰かが微生物や紫外線の存在を語っても、
それを信じる人はいませんでした。
ならば、現代の科学では確認出来ない何かが
いろいろと存在する可能性は充分にあるといえます。
従って、目に見えないから存在しないとは、全くいえない訳ですね。
実際、この宇宙がどんな姿をしていて、
その中にどんなものが、どのくらい存在しているか、
確認出来る人はいません。
何故なら、僕らの感覚は5つしかなく、
その探知能力にも限界があるからです。
例えば、犬の聴覚と嗅覚は人間より遥かに敏感ですね
犬に聞こえる音が人間に聞こえないという事は、
犬にとっては存在する音が、
人間にとっては存在しないと感じる訳です。
孔雀(クジャク)は、人間より遥かに視覚が鋭敏だといいます。
だから、孔雀が見ている世界と人間が見ている世界には、
大きな違いがあるという事になります。
死っての通り、孔雀の雄は、とても美しい羽を持っていますが、
孔雀たちにとっては、僕らが思うよりも、
遥かに美しいと感じているようです。
もし、僕らに五感だけではなく、他に2~3個の感覚があれば、
この世界の感じ方は大きく変わってくるでしょうね。
もしかしたら、この世界は、あくまで五感で捉えたものでしかなく、
他の感覚があれば、全く違うものになるのかも知れません。
この世界で生きている僕らにとって、
五感で察知出来ないものが多いのは、何故でしょうか
それは、『出来ない』事に、何かしら目的があるからだと思います。
見えないからこそ、捉えられないからこそ、
僕らは考え、行動する事が出来ます。
この世界を簡単には理解出来ないように、
努力の余地が用意されているのかも知れませんね。
次回は、人間が持つ様々な『欲望(欲求)』について
話を進めたいと思います。