<精神の解放5>【嫌われる勇気】 | 始まりはアドラー心理学

始まりはアドラー心理学

より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

スキゾな生き方は、アドラー心理学にある事を前回に述べました。

何事も拘らず、何でも受け容れる生き方は、
頭脳と精神を限りなく進化をさせるだけでなく、
対人関係を劇的に変化させますDASH!

もはや、劣等感に悩んだり、
他人の目を気にしたりする必要はありません。
社会や他人の型に囚われず、
自分の生き方は自ら決めればいいのですグッド!

まず知るべきは、
自分は他人のために存在している訳ではなく、
他人も自分のためにいる訳ではない、という点です。
自分の在り方を決めるのは自分にしか出来ません。
これは、誰にも、自分という一人の人間を幸せにする権利がある…、
という意味でもあります。

幸せになるためには、自分の欲求に忠実であるべきです。
そして、自由に目的を持ち、自由に行動する事です。
当然、他人の自由を侵害する自由はありません。
全ての人間は平等で対等であり、
誰もが等しく幸せになる自由を持っています。
だから、誰かを犠牲者にしてはいけないし、
誰かの犠牲者になる必要もないのです。

他人に遠慮して自分を押さえてばかりでは、
ストレスが溜まります。
これでは、何より、自分が可哀想ですよね。
しかし、他人に遠慮しない生き方に、多くの人が抵抗を持っています。
それは、嫌われたくないからです。

何故、嫌われる事を恐れるのでしょうかはてなマーク
それは、そう思い込んでいるからです。
多くの人が、遠慮せずにモノをいうと、
他人に嫌われると思い込んでいます。
同様に、自分の考えを正直にいう人は、
仲間外れにされると決め付けています。
それは、遠慮なく物言いする他人を、
自分自身が嫌ってるからではないでしょうかはてなマーク
何故なら、自分の欠点をズバリと指摘されると傷付きますから。

他人の物言いに傷付くのは、劣等感が強いからです。
誰にも至らない部分があるのは当たり前であり、
それを認めるのは、自らの課題と向き合う事に他ならず、
何も恥ずる事はありません。
また、指摘が的外れだと思うならば、
気にしなければいいだけの事でしょう。
それは、一個人の意見に過ぎないのだから、
自由に言わせてあげればいいし、
また、勝手に傷付いて、他人を嫌う事もないと思います。

ところが、考えてみてください。
多くの人が、遠慮なくモノをいい、
何でも正直に言い合える仲間を持っているのではないですか?
それは、家族です。
もしくは、何でも語り合える親友を持つ人もいるでしょう。
多くの人は、家族や親友を簡単に嫌ったりしません。
互いに良い部分と悪い部分を認め合い、
それを受け容れ合う事が出来ているからです。

多くの人は、家族や親友を特別な存在だと認知していますが、
それは思い込みに過ぎません。
そもそも、人間は誰もが同じ法則の元で、
同じ感覚と欲求を持って生きている同族です。
だから、どんな他人とでも、
家族や親友のような関係を築く事は可能なのです。

それにも関わらず、
あまり親しくない人が本音で接してくると
「変なヤツキョロキョロ」、「ウザイえー」、「失礼なヤツムキー」、などと感じます。
家族や親友と同じように接しているだけなのに、
敵意を抱いてしまうのですあせる
それは、親しくない人に仲間意識を抱いてないからでしょう。

仲間意識など、こんなものは、単なる思い込みに過ぎません。
ただ、仲間だと思ってるだけで、
それ以外に何の証もないのですから。
よって、初対面の人同士でも、互いに親友だと認知すれば、
たちまち本音で語れる関係になれます。
結局、対人関係とは、互いの認知次第でどうにでもなるのです。

かといっても、
実際には、好き放題に物を言う人は周囲から苦手扱いされます。
それは、『本音を隠して、互いに遠慮し合うのが常識』
などと多くの人が信じているからです。
人々は、常識から外れた人を面倒がります。
常識という型に填まっているので、
型に填まらない自由な人間に合わせるのが難しいのです。

何でも物言いする人は、特に腹黒い訳ではありません。
ただ、正直なだけで、腹の中身は誰もほとんど変わらないのです。
むしろ、素直で清々しいとは思えませんか?
そう認知すれば、何でも物言いする人を、
むしろ快く感じるようになります音譜

でも、以上のような理屈を他人に伝え、
納得させるのは極めて難しいでしょう。
ならば、自ら見本を示すしかありません。
まず自分から、何でも自由に物言いする人間になるのです。
もちろん、苦手扱いして敬遠する人もいるでしょうが、
今まで以上の深い関係になれる人もいるはずです。
それが出来れば、表面的で面倒な付き合いがなくなり、
よりシンプルで気楽な対人関係が営めるようになると思います。

決め手は、やはり『嫌われる勇気』です。
嫌いたい人には嫌わせて置けばいいでしょう。
それは、相手の課題であり、こちらが何か出来る事ではありません。
当然、嫌わずに向き合ってくれる人は多かれ少なかれ必ずおり、
彼らとの関係を大切にすればいいと思います。

本当は、誰もが多くの人たちと解り合いたいという欲求を持っており、
何でも受け容れてくれる仲間を欲しがっています。
足りないのは勇気だけ。
嫌われる勇気と変わる勇気です。
勇気のある人は周囲に大きな気付きを与えるでしょう。
「本音で付き合っていいんだニコニコ」、
「その方が楽だし、幸せなんだウインク」と気付く人が増えれば、
その認知は社会に広がっていくに違いありません。

誰もが素直に自分を出して、互いに認め合い、
協力し合える自由な社会…。
僕は、そんな新しい時代の訪れに期待していますキラキラ