<精神の解放4>【頭脳と精神の覚醒】 | 始まりはアドラー心理学

始まりはアドラー心理学

より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

前回までは、パラノイアについて詳しく語りました。
僕らを狭い檻に閉じ込める価値観の正体が明るみになった今、
後は自らを新しい世界へと導くのみですキラキラ

パラノイアとは正反対な状態をスキゾフレニア(スキゾ)といいます。

パラノイアから見れば、
スキゾフレニアは、まさに『21世紀の精神異常者』でしょう。
しかし、これからの未来世界の人々にとって、
パラノイアこそ、20世紀が生んだ過去の『異物』となるはずです。

スキゾとは、型に填まらない状態をいいます。
だから、自分が知らない情報や考え方を

何でも無条件で受け容れます。
また、他人が自分と違う考え方だとしても、
排除したり、攻撃したりしません。
すると、様々な価値観や趣味嗜好を持つ人々と交流が持て、
互いに自由を尊重し合い、協力し合い、共存共栄する事が出来ます。
つまり、スキゾとは、
アドラー心理学でいう『共同体感覚』が身に付いた状態といえます。
前回の最後で、
「パラノイアから脱出するためにはアドラー心理学…」と書いたのは、
そのためです。

アドラー心理学は、既存の価値観(パラノイア)から見れば、
まさに異分子といえます。
よって、これを受け容れる自体が、まさに型破りであり、
新しい自分に生まれ変わる大きなチャンスとなりますひらめき電球

 

 

型に填まらないスキゾな生き方は、
僕らの頭脳や精神に無限の進化をもたらします。

それは、井戸から外に出た蛙カエルのように、

全く別の世界に自らを送り出す事になるでしょう。


この世界にあるものは、それぞれがバラバラに存在してるのではなく、
全てが関連し合い、同じ法則の中で共存共栄しています。
(↑仏教でいう『諸法無我』と同義)
だから、個々の要素は、
全体を構成する一部であり、全てに意味と役割があります。
よって、下手に区別したり、排除したりすべきではありません。
何でも受け容れて知識にした方が良いのです。

拘りなく、何でも受け容れると、情報や知識は広がり続けます。
人間の認知力や思考力は、
情報が多ければ多いほど高まるからです。
情報が集まれば、物事が持つ関連性が明らかになり、
次第に全体像が見えてきます。
情報が情報と繋がり、知恵は深まり続け、
頭脳と精神は限りなく進化していきます右矢印
(↑仏教でいう『般若』と同義)

パラノイアの現代社会は、物事をカテゴリーに分けます。
学問を見ると、言語学、数学、理科学、社会学、哲学、
医学、心理学など、様々に分かれおり、
音楽のパートを見ても、ピアノ、バイオリン、フルート、
ギターギタードラムドラムヴォーカルマイク、三味線、琴など、様々あります。

はたまた、僕らの日々の活動や趣味も同様です。

囲碁や将棋、ゴルフゴルフ、釣りうお座、ダンス、フィットネスダンベル
英会話、絵画、陶芸、などいろいろありますね。

 

多くの人は、それぞれ一つに填まり、その道を極めようとし、
ほとんど他の事に目を向けようとはしません。
「これが自分の生きる道」、「自分にはこれしかない」などと信じて、
自分を狭い檻に閉じ込めているかのようです。

予め敷かれたレールを走り、特定のゴールを目指すだけならば、
これで構いません。
しかし、限界を超え、新たな世界を目指したいならば、
一つに拘わっていたら、けして辿り着けないでしょう。
例えば、物理学で壁に突き当たった学者が、
全く違う分野からヒントを見つけ、新たな発見をする場合がありますひらめき電球
また、野球野球やサッカーサッカーの一流選手が、
スポーツ以外で特技を持っていたりする事も、よくあるでしょう。

既に述べた通り、この世界にあるものは全て繋がっています。
全ては同じ法則の中で共通する部分を合わせ持っているので、
互いに応用が出来、また互いに足りない部分を補う事が出来ます。
だから、型に填まらないスキゾな生き方は、
頭脳と精神を限りなく進化させるのです右矢印

次回は、スキゾな対人関係についてお話します。バイバイ