前回までは、パラノイアについて詳しく語りました。
僕らを狭い檻に閉じ込める価値観の正体が明るみになった今、
後は自らを新しい世界へと導くのみです
パラノイアとは正反対な状態をスキゾフレニア(スキゾ)といいます。
パラノイアから見れば、
スキゾフレニアは、まさに『21世紀の精神異常者』でしょう。
しかし、これからの未来世界の人々にとって、
パラノイアこそ、20世紀が生んだ過去の『異物』となるはずです。
スキゾとは、型に填まらない状態をいいます。
だから、自分が知らない情報や考え方を
何でも無条件で受け容れます。
また、他人が自分と違う考え方だとしても、
排除したり、攻撃したりしません。
すると、様々な価値観や趣味嗜好を持つ人々と交流が持て、
互いに自由を尊重し合い、協力し合い、共存共栄する事が出来ます。
つまり、スキゾとは、
アドラー心理学でいう『共同体感覚』が身に付いた状態といえます。
前回の最後で、
「パラノイアから脱出するためにはアドラー心理学…」と書いたのは、
そのためです。
アドラー心理学は、既存の価値観(パラノイア)から見れば、
まさに異分子といえます。
よって、これを受け容れる自体が、まさに型破りであり、
新しい自分に生まれ変わる大きなチャンスとなります
型に填まらないスキゾな生き方は、
僕らの頭脳や精神に無限の進化をもたらします。
それは、井戸から外に出た蛙のように、
全く別の世界に自らを送り出す事になるでしょう。
この世界にあるものは、それぞれがバラバラに存在してるのではなく、
全てが関連し合い、同じ法則の中で共存共栄しています。
(↑仏教でいう『諸法無我』と同義)
だから、個々の要素は、
全体を構成する一部であり、全てに意味と役割があります。
よって、下手に区別したり、排除したりすべきではありません。
何でも受け容れて知識にした方が良いのです。
拘りなく、何でも受け容れると、情報や知識は広がり続けます。
人間の認知力や思考力は、
情報が多ければ多いほど高まるからです。
情報が集まれば、物事が持つ関連性が明らかになり、
次第に全体像が見えてきます。
情報が情報と繋がり、知恵は深まり続け、
頭脳と精神は限りなく進化していきます
(↑仏教でいう『般若』と同義)
パラノイアの現代社会は、物事をカテゴリーに分けます。
学問を見ると、言語学、数学、理科学、社会学、哲学、
医学、心理学など、様々に分かれおり、
音楽のパートを見ても、ピアノ、バイオリン、フルート、
ギタードラムヴォーカル、三味線、琴など、様々あります。
はたまた、僕らの日々の活動や趣味も同様です。
囲碁や将棋、ゴルフ、釣り、ダンス、フィットネス、
英会話、絵画、陶芸、などいろいろありますね。
多くの人は、それぞれ一つに填まり、その道を極めようとし、
ほとんど他の事に目を向けようとはしません。
「これが自分の生きる道」、「自分にはこれしかない」などと信じて、
自分を狭い檻に閉じ込めているかのようです。
予め敷かれたレールを走り、特定のゴールを目指すだけならば、
これで構いません。
しかし、限界を超え、新たな世界を目指したいならば、
一つに拘わっていたら、けして辿り着けないでしょう。
例えば、物理学で壁に突き当たった学者が、
全く違う分野からヒントを見つけ、新たな発見をする場合があります
また、野球やサッカーの一流選手が、
スポーツ以外で特技を持っていたりする事も、よくあるでしょう。
既に述べた通り、この世界にあるものは全て繋がっています。
全ては同じ法則の中で共通する部分を合わせ持っているので、
互いに応用が出来、また互いに足りない部分を補う事が出来ます。
だから、型に填まらないスキゾな生き方は、
頭脳と精神を限りなく進化させるのです
次回は、スキゾな対人関係についてお話します。