過去の遺産<仏教>1.【仏教とアドラー心理学】 | 始まりはアドラー心理学

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より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

前、僕は仏教に興味があって、
いろいろと勉強した時期がありました。
きっかけは、手塚治虫の『ブッダ』です。
あの時代に、
あんなにスゴい人がいたという事に大きな感銘を受けましたキラキラ

仏教といえば何を連想しますか?
多くの人が、お寺や坊さん、お盆や墓参り、
通夜や葬儀などを思い出す事と思いますが、
これらは仏教に何ら関係ありません。
死んだ人を仏と呼んだり、仏像を崇めたりするのは、
釈迦の意図とは全く無関係です。
仏様を信仰して御利益を求めたり、
苦しみから救って貰おうという打算や甘えも、
本来の仏教では認めていません。

仏教を宗教だと思う人が多いでしょうが、
本当はアドラー心理学と同じく、
人間の精神を自立に導く実践論なのです。
みなさんが知ってる『お経』というのも、
釈迦が説いた世界観と精神論や実践論を
後世の弟子たちがまとめた物であり、
けして、死者を弔うためにある訳ではありません。

釈迦が説いたのは、
人生のあらゆる苦しみから逃れ、心安らかに生きる方法』です。
そのための知恵を『般若(はんにゃ)』と呼び、
知恵を得る事を『悟り』と呼び、
悟りを得た人を仏(仏陀)と呼び、
苦しみから脱出する事を『解脱(げだつ)』と呼び、
安らかな境地に至った状態を『涅槃(ねはん)』と呼びます。

仏というと『死者』の事だと誤解する人が多いのは残念です。
本当は『悟った人間』の事を指す言葉で、
何ら神がかり的な物じゃないんですよね。
また、悟りというのも、仏教に限らず、
人間がハッピーに生きるための知恵全てを指します。

釈迦の他にも、
悟りを開いたといえる人が、世界には大勢います。
古代ギリシャのソクラテスやプラトン、ドイツのカントやニーチェ、
フランスのデカルトやサルトル、中国の孔子や孟子、
日本の本居宣長や新渡戸稲造なども、
釈迦と同じような目的を持って生き抜いた人たちです。
もちろん、アドラーもそうだし、
近代に活躍した多くの思想家や、
今活躍中のメンター(心理学者)たちが、その後に続いています。
彼らは、この世界の秘密を解き明かす事、
この世界を動かす見えない法則を解き明かす事、
そして、幸せになる事、などを追究した人たちです。

改めて仏教をリサーチしてみると、
やはりアドラー心理学と多くの共通点があります。
まず、釈迦が誕生した時に語ったという(伝説ですが)
「天上天下唯我独尊」という言葉の意味を知って僕は驚きました。
簡単にいうと
「この世界に自分は一人しかいない、かけがえのない存在」、
という意味です。
何と、福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず、
人の下に人を作らず」とも似てませんか?
そもそも、仏教には
『誰でも悟れる、仏陀になれる』という主旨があり、
まさに「全ての人間は平等で対等」という事です。
いずれも、アドラー心理学と同じですね。

般若心経にも共通点があります。
「この世界を『空(空っぽ)』という事に気付けば、
人は苦しみから解脱出来る」、
という理屈は、アドラー心理学の認知論に近いものがあります。

釈迦は人間の苦しみを『生老病死』といいましたが、
他に様々な対人関係の悩み(煩悩)についても触れていました。
アドラーは「人間の悩みは全て対人関係に直結する」といいましたが、
やはり似てますね。

仏教には『小乗』という観点と『大乗』という観点があり、
前者は「自ら悟って自分を救う」というもので、
後者は「先に悟った人間がまだ悟らぬ他者を導く」という主旨です。
即ち、まず自分が自立し、
遅れてくる仲間たちの自立を手助けする」という事で、
これもアドラー心理学の共同体感覚と同じだと分かります。
2千6百年前に
同じような思想が既にあったというのは驚きですが、
どうやら人間が導き出す結論は、全てここに行き着くみたいです。
仏教を知れば、アドラー心理学の理解が深まり、
アドラー心理学を見れば、仏教の真意も見えてくる…、
そのように感じるのです。

次回は、仏教が伝来してから、
日本に根付いた背景について述べたいと思いますお願い