アドラー心理学24.【愛の正体(?)】 | 始まりはアドラー心理学

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より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

今回でアドラー心理学について最後の記事になります。

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前回(昨年)は、愛について、いろいろと語りました。
途中、「愛なんて自己満足に過ぎないのかびっくりはてなマーク
などと結論を出そうとしましたが、
やはり、それは勘違いでしたね。
真の愛とされる『無償の愛』が、
僕らの精神に宿っている事が明らかになったのです。
その答えは、アドラーが語った共同体感覚にあります。

共同体感覚が濃厚な人は、自分が他人のためにした事に、
感謝する人が誰もいなくても、
一人も喜ばないとしても、凹んだりしません。
誰からの反応がなくても、
「何かしら役に立ったニコニコ」と自分が認知さえすれば、
それだけで満足します。
他人からの見返りを求めず、自分の意思だけで完結出来るのです。
これは、まさに『無償の愛』だといえませんか?

世の中には、どんなに裏切られようが、捨てられようが、
それでも誰かを大切に思い続ける人もいます。
自分を不幸にするものを大切に思ってる訳で、
何だか矛盾してますね。
例え、自分を不幸にしても、それでも愛し続けるのは、
まさに自分よりも大切な存在だからでしょうかはてなマーク

さらに驚きの現実がありました。
僕らには、好きじゃないものに対しても愛を抱く事があります。
知らない人や嫌いな人だろうと、はたまた敵という立場の人でさえ、
大切に思う事があります。
キリスト教では「汝、隣人(他人)を愛せよ」、

「敵を愛せよ」といいますが、
これは無理難題ではなかったようですね。

この不思議を解くカギは心理学にありました。
人間の精神は、鏡の法則に支配されています
(心理学では『ミラー効果』と呼ばれている)。
簡単にいえば『共感』です。
誰でも嬉しがってる人を見ると嬉しくなり、
悲しんでる人を見ると悲しくなりますよね?
これは、他人の歓びも苦しみも、自分の事のように感じるからです。
誰かを傷付けた人、罪を冒した人でさえも、それを悔い、
苦しんでいれば、共感して助けてあげたいと思う人が必ず現れます。
また、自分を苦しめる敵のような人物でさえも、
相手の立場で考えて共感し、許す事は可能ですね。

この感覚は、人の数が増えるほど拡がっていきます花火
みんなで「嬉しい」と共感する事で歓びと恩恵は共有され、
逆に『苦しみ』への共感は『助け合い』や『団結』や『許し』となり、
いずれも全体の調和へと繋がっていきます。

鏡の法則により、人と人の心が繋がり、まさに一つとなるのです。
この共感と共有が強まれば、
もはや自分と他人の区別さえなくなるんじゃないでしょうか?
これを、『ワンネス』という言葉で表現する人もいます。
人間は、自分と他人で個別に存在しているように見えて
実は一つだという事です。

現実を見ても、個人は集団の一部として、
互いにそれぞれの役割を受け持ち、
全体の利益と調和に貢献し合っています。
その貢献度に大きい小さいはありません。
どんな人でも、何もしなくても、
ただいるだけで必ず誰かの役に立っています。
大概の人には家族や知り合いがおり、
もし死ねば必ず悲しむ人がいるでしょう。
それだけ個人という存在の価値は大きいんですキラキラ

全くの他人だとしても人間の価値は変わりません。
この世界に、自分以外に誰かがいるというだけで、
寂しさが和らぐじゃないですか?
一度も会った事さえなくとも、人と人が同じ空間にいるならば、
どこの誰かさえ解らずとも、互いに役立てるのです。
だから、それぞれに価値があり、
誰もが全体にとって必要不可欠な大切な存在といえるんです。
つまり、大切だからこそ愛を抱く。
これは、アドラー心理学でいう『共同体感覚』そのものでしょう。
遂に、愛の正体が見えてきたような気がしませんか?

『共感』が人と人を結び付け合うのは、
全体に調和をもたらすためです。
そのために、人間に具わっている本能こそが愛です。
まず自分は大切な存在であり、同じように他人も大切な存在。
だから、人は愛し合い、愛を分かち合い、結び付きたがるんです。

結び付こうとする意思は、次々と連鎖し、
どんどん大きくなっていきますアップ
そして、最終的には、全てが一つになる事でしょう。
この結び付きたがる願望こそが愛の本質であり、
集団を融和させて一つにするためのエネルギーになっています。

僕は、調和と融和こそが宇宙の絶対正義だと確信しています。
(アドラーも共同体感覚は宇宙さえも含む、といっていた)
いうなれば、人と人を一つにして結び付け合うのが善であり、
バラバラに分けて遠ざけるのが悪。
そう考えれば
全ての物事が丸く収まるかな…?と思います。
やはり、人間とは素晴らしい生き物なんですね。

アドラーの『共同体感覚』とは、
「みんなで揃ってハッピーになろうチョキ」という意味もあります。
そして、そのために不可欠な道具が愛…、
といえるのかも知れません。

遂に、僕らの目指す道が明らかになりました。
まずは自らの足で立つ(自立)事。
他者に依存し、利用する『自己中』から卒業するのです。
次は他者に貢献し、周囲の仲間と歓びを分かち合える段階になれば、
我々の連帯感と幸福感はいっそうと強くなるでしょう。

ここにきて、
ようやく自己愛の本質が明らかになった気がします。
自分が大切ならば、いつまでも他人に甘え、
他人を利用するエゴイストのままではいられません。
劣等感と依存から卒業して、自ら一人立ちして、
周囲の仲間たちに貢献出来るようになってこそ、
初めて本当の幸せを手に出来るんじゃないでしょうか?

真の意味で自分を大切に出来るようになれば、
それは他人を大切にする事と全く同じだと気付くでしょう。
結果、『自分』と『他人』という括りはなくなります。
あるのは、ただ『みんな』という一つの主語だけです。

目指すは、「みんなで幸せになる」!
これこそが、人類共通の目的であり、
人間が存在する理由なのかも知れません。
いやはや、話が大きくなりましたね照れ

では、具体的にどうすればいいんでしょうかはてなマーク
僕は、やはりアドラー心理学を学ぶのが一番の近道だと思います。

アドラー心理学は、自分を大切にするための理論です。
多くの人々が共同体感覚を身に付け、
「みんなで揃ってハッピーになる」ために
アドラーが伝えたかった事。
それが、今、僕らに提示されているのです。

アドラーが時空を超えて、僕らに伝えようとしています。
しかし、その声に応えるか、見過ごすかは、あなたの自由です。

より深く知りたいか方は、
書店でアドラー関連の書籍を見付けてください。
自分で読んで、自分で考えて、自分で判断して、
自分で掴んでください。
掴んだら、愛する仲間たちに伝えて欲しい。

僕は、アドラー心理学によって生まれ変わった人間の一人として、
これからも縁ある仲間たちに伝えていくつもりです。
全ての仲間が絆で結ばれる明るい未来を夢見ながら、ぐぅぐぅ
話を終えたいと思いますバイバイ