アドラー心理学23.【全てはアイと繋がる】 | 始まりはアドラー心理学

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より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

4回に渡り、共同体感覚について熱弁を振るいました。
実は、僕がこのブログを開設した最大の理由が、
今回のタイトルにあります。

岸見一郎氏の『嫌われる勇気』を読んだ時に感じたのですが、
その続編『幸せになる勇気』を開いて確信しました。
共同体感覚とは、
我々がよく知ってる『あれ』の事なのだ…と。

人と人を結び付ける『絆』や『助け合い』が共同体感覚ならば、
『思いやり』とか『気配り』とか『優しさ』など、
『愛』の精神が必要になります。
つまり、共同体感覚とは密接な関係にあるという事です。
これについては、
さきほど紹介した『幸せになる勇気』にも触れられています。

愛については、宗教や哲学や文学などで、
その真髄が探究され続けてきました。
これらの研究成果に、アドラー心理学を加えれば、
愛についての理解がより深まるでしょう。
そして、ここに、僕が今ハマっている『脳科学』も加味して、
愛という人類最大の謎に迫ってみたいと思います。

愛といえば、何が連想されますか?
ズバリ男女の恋愛を連想する人が多いでしょうが、
他にも親子愛や友愛など、いろいろありますね。

人間だけでなく、飼い犬や飼い猫などの生き物にも愛や、
日常で遣っている道具とか、自分がやってる仕事や趣味などにも、
僕らは愛の気持ちを抱きます。

これらの共通点は、どれも『大切(なくてはならない)』だという事です。
つまり、大切に思わない限り、愛が生じる事はないといえましょう。

人間にとって一番大切なのは何でしょうか?
多分、多くの人が「自分(I~アイ)と答えるはずです。
この、自分を大切に思うのが、いわゆる自己愛。
人間にとって最も大切な、愛の基本です。

実は、何かを『好き』という気持ちは自己愛が根底にあります。
例えば、僕は日本酒日本酒が大好きですが、
何故なら呑むと幸せな気持ちになるからです照れ
対人関係も同じで、
自分を幸せな気持ちにしてくれる人を好きになります。

誰もが、幸せにしてくれる物を欲しくなり、また大切に思います。
食べ物の場合は食欲が元にあり、
恋愛の場合は性欲(生殖)が絡んできます。
これらは度が過ぎると継続して欲しくなり、また手放せなくなるので、
好きになり過ぎるのも考えものですねウインク
現に、依存症や中毒というのも、
好きになり過ぎるのが原因となっています。

人間が幸せな気分になるのは、
脳内ホルモンのβエンドルフィンが分泌されるからです。
しかも、このホルモンには依存症があり、それこそが『好き』
という感覚が生まれる原因にもなっています。

誰もが、好きな食べ物ラーメンをよく食べるし、好きな音楽音符もよく聴くし、
好きな店には繰り返し行くし、
好きな人とは毎日でも会いたくなりますね?
これは、まさに依存症であり、アルコール生ビールやタバコタバコ
麻薬やギャンブルコインたちと同じなんです。
つまり、ハマり過ぎるとロク事がない…あせる

好きになり過ぎると、どうしても自分本位になってしまいます。
結局、好きな物が大切というよりは、
自分の快楽こそが大切だからです。
もし、これらを失ったり、なくなったり、壊れたりしたら
幸せな気持ちになれなくなりますね。
だから、失わぬように、壊れぬように、大切に思う訳です。
そして、これを愛だと思って、みんなが納得している。
何とも奇妙な話です。

そもそも、好きじゃなければ、壊れようが、なくなろうが、
何の支障もありません。
実際、家族や恋人が病気になったり、
事故に遇って怪我したりすると心配しますが、
赤の他人だと殆ど気にも止めないでしょう。
また、嫌いな人の場合、
怪我をしたりすると逆に喜んだりもしますよね。
人間って、何と自分勝手で、打算的な生き物なんでしょうかショボーンはてなマーク

結局、大切なのは自分であり、自分を護り、
幸せにしようとするのが人間の本能なんです(自己保存欲)。
つまり、これこそが自己愛。

全ての対人関係は、自己愛の影響を強く受けます。
親が子供を育てるのは、子供が可愛くて幸せな気分になるからです。
子供が親を好きなのは当たり前で、自分の世話をしてくれ、
様々な願望に応えてくれるからですね。
僕らが家族や友人を大切にするのも、
人と人との和が歓びと安心をもたらすからです。

人を助けようとするのも、親切にしようとするのも、
何かしらメリットや褒美が欲しいからじゃないですか?
「ありがとう」と感謝されたい、喜んでる笑顔を見たい、
というのも、結局は打算ですショック

相手の反応を利用して幸せな気分になろうというのは依存であり、
これでは精神的に自立してるとはいえません。
つまり、僕らが『愛』だと思ってる事は、自己満足だった!?
何と、全て自分が基準であり、
自分のために自分以外を利用しているようです。
実にガッカリですが、
自分を大切に思う事が愛の原点なのは間違いなく、
これは認めざるを得ません汗

よく、「愛は見返りを求めない」といいますが、
これを本当の意味で出来る人は少ないと思います。
何故なら、親子関係でも恋人関係でも、
殆どギブアンドテイクで運営されています。
「こんなに心配してるのに、
何でいう事を聞いてくれないのえー?はてなマーク」、とか、
「こんなに愛してるのに、何で応えてくれないのイラッはてなマーク」、
などと悩む人ばかりです。
さらに、裏切られたり、捨てられたりすると、
愛は憎しみへと180度変わり、
修羅場になったり、縁が絶たれたりします。
つまり、自分を快い気分にさせてくれるモノを好きになり、
この快感を求めて依存してるだけですよね。

人間は、好きなものに大きな期待を抱きます。
好きであればあるほど期待は大きく、
これが外れた時の落胆(不快感)も大きくなります。
そもそも、自分に快感を与える対象だから大好きなだけで、
それが叶わぬならば大切だと思えなくなるのです。
 
いやはや、何とも悲しい事実が判明してしまいましたガーン
こんな打算を愛とは、けして呼びたくありませんね。

これでは、『無償の愛』なんて実は存在しない幻なのではないか…?、
とさえ疑いたくもなります。
しかし、そうともいえない事実がありました。
やはり、無償の愛は間違いなく存在するようです。

次回は、愛の正体が、ついに明らかとなります(?)。
そして、次回こそ、
このアドラー心理学カテゴリーの〆になるはずですバイバイ