関東大震災時の朝鮮人虐殺?
4月19日朝日39面は「朝鮮人虐殺に苦情、削除」を掲載した。内閣府のHPから災害教訓の報告書が削除されたというものだ。この中には大正12年(1923年)9月1日関東大震災時の朝鮮人虐殺も含まれている。これについては苦情が多く、内閣府は掲載を取りやめることにしたという。同記事は、震災の死者行方不明者を10万5千とし、このうち殺害による死者数を1~数%とする同報告書の記述を紹介する。さらに「官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。虐殺という表現が妥当する例が多かった。対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった」との報告書の記述をも紹介する。
関東大震災時の朝鮮人虐殺については・・・朝鮮人が放火をしたり井戸に毒を投げ入れたりしているとの流言蜚語が飛び交い、市民の中から自警団が組織され無辜の朝鮮人6000人が虐殺された・・・との認識が長く広まっていた。
これに対し、ノンフィクション作家の工藤美代子氏が労作『関東大震災 朝鮮人虐殺の真実』(産経新聞出版2009年)を上梓して朝鮮人虐殺の虚構を暴いている。ラジオ放送も始まっていなかった当時、新聞が唯一のマスメディアだった。工藤氏は当時の新聞記事から朝鮮人によるさまざまな蛮行を丹念に拾い上げる。大正12年11月に予定されていた皇太子殿下(後の昭和天皇)のご成婚に際し、上海に拠点を置く朝鮮独立派が殿下暗殺のためにテロリストらを密かに東京に送り込んでいたという。そこに予期しなかった未曾有の大災害が起こった。彼らテロリストは急遽予定を変更して放火などに奔ったという。大震災の死者行方不明者は10万5千とされる。大部分は焼死者だ。本所の陸軍被服廠跡地には近隣から家財道具をもって避難民が集まっていた。そこに四方から火災が襲ってきた。推定死者数3万8千を数えるという。これは確かに大地震による失火の結果だろう。しかし他の数万の死者は何によるのか。家屋の倒壊などによる死者も含まれるが、やはり放火による焼死者が多かったと考えるのが自然だろう。工藤氏によれば、地震発生から2日も3日もたってから建物が焼けるという事例が多くあったそうだ。放火である。朝鮮人によるものだけでなく、混乱を機に騒ぎを起こそうとした社会主義者によるものもあったのだろう。工藤氏は自警団などによる朝鮮人殺害数を233名と推定する。過剰防衛ということだが、正当防衛とも言える。
ところで、4月19日朝日同記事は山本孝興記者の署名入りで、「朝鮮人虐殺を否定するのは不当」との明解なメッセージは記されていない。しかし記事行間からはそのように感じられる。工藤氏によると、越中島の糧秣廠に避難していた三千人が焼け死んだという。糧秣廠とは軍が馬のまぐさを収納するための倉庫であり、爆弾などが置かれているはずがない。そこに爆発が連続して起こり火の海となった。在郷軍人団などが爆弾を携帯していた朝鮮人を捕えた。詰問した結果、その朝鮮人は爆弾を糧秣廠内に投下したことを白状している。その新聞記事(「河北新報」大正12年9月6日)を工藤氏は紹介する。恐らくこのような事例は他にも多数あったろう。関東大震災の真相は、「流言蜚語で自警団により朝鮮人が虐殺された」のではなく、「一部朝鮮人の放火により日本人が虐殺された」というものだろう・・・
(五十嵐岳男)