内閣は法務省の積年の法務行政の怠慢を厳しく正せ(提議) | 日本世論の会 本部

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  平成2894

内閣総理大臣 安倍 晋三 殿

内閣官房長官 菅  義偉 殿

法務  大臣 金田 勝年 殿

(写し)衆議院議長  大島 理森 殿

(写し)参議院議長  伊達 忠一 殿


湯澤甲雄 横浜市南区大岡3-41-10

            無職 85歳 電話045-713-7222

 

内閣は法務省の積年の法務行政の怠慢を厳しく正せ(提議)

 

 法務省設置法第3条(任務)「法務省は、基本法制の維持及び整備、法秩序の維持、国民の権利擁護、国の利害に関係のある争訟の統一的かつ適正な処理並びに出入国の公正な管理を図ることを任務とする」とあり、同条2項には「内閣の事務を助けることを任務とする」、同条3項には「前項の任務を遂行するに当たり、内閣官房を助けるものとする」とあります。 

 ところが、日本国憲法が前文冒頭において「自由民主主義の原理に基づく政治を国是とし、その原理に反する一切の法律を排除する」と立憲されている基本法制に従い、法務省がその任務を果たすべく内閣の事務や内閣官房を助けた記録がありません。あるいは、内閣や内閣官房が助けを求めるべく法務省に命じた記録もありません。両者は「自由民主主義の原理」の追求を疎かにして、法務省は設置法の任務を放棄し徒食を重ねてきたと言えましょう。

 憲法制定当時の我が国の基本法制は、内閣や法務省から離れたところにある占領軍政当局と日本側の共産主義勢力が実権を振るい、両者が結託して公職追放令を背景にした生殺与奪権をもって公務員や憲法学者を脅迫しつつ、自由民主主義の原理を歪曲して全体主義の原理に傾斜する憲法や憲法解釈をでっち上げて普及させていました。それはマッカーサー憲法草案にあった「Individuals」を意図的に「Individual」の意味に翻訳した憲法第13条冒頭文「全ての日本国民は、個人として尊重される」に如実に表れています。この誤訳は特に、共産主義賛同者が多くいた法曹界、教育界、報道界に影響を及ぼしています。

 一方ポツダム宣言第10条に「戦前の自由民主主義の回復」とあるように、戦前から自由民主主義に親しんできたことを連合国も認めている日本国民ですから、国民は全体主義に馴染めず憲法解釈に違和感を持つ状態が今日まで70年間も続いています。しかし、さすがに自由民主主義を原理とする政治は基礎の部分から腐食している現象が現れてきています。

 内閣は責任本省である法務省に対し、積極的に基本法制の整備を命じるべきときです。

 

 その例として、次の二つの問題を挙げます。

1、平成28年9月1日産経新聞社「正論・国際舞台で通用する法曹教育を・神戸大学特命教授 西村和雄」に指摘される如く「日本の弁護士は、法の本質を理解しておらず、一緒に仕事するに障害となっていると外国の弁護士から苦情が出ており、深い洞察力を持つ法曹養成改革を要する」とあります。

 「法の本質」とは、<国際人権条約前文に規定されている自由民主主義国家の国民の権利及び義務に関する法秩序>に相違ありません。同条約の中身にここでは立ち寄りませんが、日本の法曹教育は同条約を教育してきていないのですから、外国の弁護士から「法の本質を理解していない」として日本の弁護士が軽蔑されるのは当然です。

   同条約を法曹界に普及することは、法務省の通常の任務であって、外務省の任務ではありません。法務省は早急に、同条約を法曹教育のカリキュラムにいれて、教育を実施すべきです。

   弁護士法第1条「辯護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」とあります。又憲法第11条は、「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」とあり、憲法の至高の条文となっています。ところが、「基本的人権」とは何かを定めた法律が我が国にはありません。昭和54年に締結した国際人権条約のみにその法的枠組みが定められていますが、未だ国内法に定められていません。そうすると、弁護士は意味不明事をやればそれが社会正義を実現したことになります。更には国民は、国の行政の全てを国民に与えられたものとして受け止める全体主義を許容した立場になります。

  このような愚劣な法制が行われている責任の所在は、占領軍政が終わっている今日では、すぐれて法務省設置法の基本法制を疎かにしている法務省にあります。

 

2、平成25年6月14日文部科学省が策定し閣議決定された「教育振興基本計画」に腐食が表れています。教育基本法第1条(目的)に規定する「自由民主主義国家としての日本国民(=Individuals=親、兄弟、家族、先祖、共同体の人々からなり、尊い習俗、伝統文化、道徳、人間愛を帯した国民)の育成」という「国民の基本的人権を尊重する教育行政」が排除され、「自立、協働、創造に向けた一人一人の主体的学びという社会性、国籍の無い人の育成」に入れ替えられ「個人(=Individual)の権利を尊重する教育行政」に変質されました。このため「国家意識希薄で自己中心的な思慮・分別の狭い個人」が相当多数を占め、自由民主主義国家の屋台骨を揺るがす事態となりつつあります。教育行政にこのような事態が発生している淵源をたどれば、昭和54年国際人権条約(社会権規約と自由権規約から成る)の締結に伴い自由民主主義の原理の法的骨格が明らかにされたにもかかわらず、法務省が憲法解釈の変更あるいは憲法改正等の基本法制を整備する任務を疎かにしたために、その間隙に全体主義に傾斜した文部科学省官僚が跋扈し、全体主義の教育行政法を制定させてきたことに行き着きます。


以上