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絵師 高橋天山ブログ

日本画家が語る日本文化の素晴らしさ
菱田春草を語る

菱田春草の生地、長野県飯田市は、彼が生まれた頃は、大変な奥地でありました。


北に諏訪湖、東と南と西は、日本アルプス。四方を囲まれながらも大きく開けた伊那から飯田へかけての盆地は、盆地とは言え広大。山間に広々と続く地域です。


春草の出生当時はまだ、鉄道もなく、道路も細く、交通も不便。当然トンネルなどはまだ、ありませんから、現在の様に木曽の山並みを抜けて、中京地区へ行く事など考える事も出来ないほどの地であったのです。東京という新都から見れば、山を越え谷を越え、はるばる、行き着いた先の奥地。中央からの文化が行き渡る最終地、ような山の奥。ドンじまいの地域でありました。


しかし、現在でも、他の地域では忘れ去られた文化が受け継がれ、日本で唯一残っている祭事なども続いているものがあり、決して取り残された僻地ではありません。


中央の文化を受け止め、醸成し、より芳醇なものへと進化発展させてきた地でもあるのです。


正に不世出の天才日本画家出生に相応しい地であると言えましょう。



飯田の東南に展望される南アルプスには、富士山の次に高い北岳があり、取り巻く三千メートル級の山々は圧巻。さらに中央アルプスが、飯田の直ぐ西側にそそり立ち、人を寄せ付けない迫力があるのです。


親友横山大観が水戸生まれ、言わば海の人と言えるのと、実に対照的な春草の来歴。・・・・


二人が辿ったそれぞれの人生にその来歴が遺憾なく現れているようです。


海は生を養い、山は性を養う。・・・・・とは正に名言です。

春草の遺した作品のどれも、・・すべてが素晴らしい佳品であることも、彼が見つめ続けた理想の高さ故であろうと、アルプスの峰峰が教えてくれるのであります。



何れも部分をトリミングしてみました。落ち葉の名作、黒き猫、絶筆の金屏風・・・・



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そして、理想しか見ていない春草の若かりし肖像です。




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眼前に広がるはるか彼方に連なる高山を見て、春草は生まれ、幼少期を過ごしたのでした。

 大天才菱田春草の没後100年を期して、年頭から様々な角度で春草その人を語り、遺された玉品の数々を採り上げて参りました。


 再び、秋の深まりと共に【我等が菱田春草】を語ることにしましょう。


 春草を研究すれば日本画がわかるようになり、春草研究が深まれば、自動的に日本画の真髄に近づく事が出来、引いては日本文化の真価さえ解る様になるからです。


 私の所属している院展も、岡倉天心先生が創設したには違いありませんし、横山大観先生がその柱となって、再興され、今日まで営々、継承されてきた事は確かな事でありますが、菱田春草が居なければ、院展は存在しませんでした。

 このこともまた確かな事なのです。


 院展と言う日本画を核とした組織が形成され、100年以上に渡って日本文化の一翼を担い続けてきた事は一定の評価に値すると言えるでしょう。決して自画自賛とはいえぬくらい数多の天才たちが、日本の絵画を新生し続け、人々の観賞に供し、人生の欠かせぬ側面を支えてきたた事は、称賛されるべき事であります。


それは、時代の要請でもあり、各方面よりの御尽力の賜物でもありましょう。


 その全ての要に、菱田春草が・・・・存在しているのです。


正味、【春草なくして、天心も大観も日本美術院もない】 のであります。


明治維新以来の近代日本文化・・・国風文化として花開いた豊穣な扇の要に居るのは、菱田春草その人である。と言い切れるほど春草の存在は、桁違いである事を、その真価を、もっと多くの方に、知っていただきたいと思います。


 明治大帝が打ち立てられたその御偉業。

日本民族が経験した事のない艱難辛苦を超えて、世界を相手に日本のアイデンティティーを示しえたのは、この大帝の君徳以外の何ものでもありません。


その偉大なる大御心を慰め、お楽しみ戴ける絵画。


それは春草の作品でありました。





【秋】



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アオバトと紅葉・・・秋の命が香りが・・・




同画題  【秋】


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ジョウビタキとホウの木でしょうか・・・前作と同じ香りが・・・




【初冬】


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熊笹とカヤトの丘を駆け上る野うさぎ・・・ウサギは上り坂が得意・・・縁起もイイ!!







 なんといってもこの秋の注目展覧会は、この松岡映丘展!


 誰にでも親しまれ、美しさを見に来た鑑賞者を裏切らないのがこの天才。


 かの、柳田国男の実弟でもあります。




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 春光春衣







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 道成寺




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 同、部分




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 住吉詣




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  同、部分




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 今昔物語 伊勢図




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 千草の丘




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 伊香保の沼






【 貝あはせ 】 ご紹介です。



 ハマグリの貝殻の内側に、金箔を張って、そこに大和絵を描く。

 ご存知、定番の貝合わせ!!


 ご注文によって、絵柄を指定できます。

 ご主人が辰年。奥様が羊年・・・・一対の貝殻に、辰と羊を描いて大切にする・・・・・とか。

 お雛様を描いて、雛祭り・・・とか。 富士山と日輪とか・・・・・


自在に発想した絵柄を描き入れる事ができます。


  ご注文に応じた【貝あはせ】をお一つどうぞ。




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きれいな、化粧箱入り・・・ラッピングも・・プレゼントにどうぞ。


 【MAIL】info@nihongaka.jp 【FAX】042-422-9690

どうぞ、お問い合わせ下さい。









【湯煙】



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 題名の如く湯ケムリ で、肝心なところが?!・・・・・・ 見えない。

 この、“”極上のエロス”も、松岡映丘の作品。

 夏目漱石 の【草枕】と言う有名な小説から想を得た作品、の一つ、とあります。

 他の絵師達と合作した【草枕絵巻】と言う絵巻物がありまして、明治後期に発表された、漱石の小説を種に、描かれたモノ

 30代の洋画家を主人公にして、温泉 宿の若奥様“那美”の姿を通して、非人情の世界を描いた。とされる【草枕】は、当時非常に斬新な価値観を提供したらしく、今では、別にソレホドとは思わないような事も、新しい世相を投映している様な感じがあったのでしょう、大変な話題小説となりました。

 映丘は、この小説に心を打たれ、絵画化を試みたのでしょう。

 それにしても、上質なるエロスと言わねばなりません。


 さて、この絵は、何を描いたものでしょう???

今、生誕130年記念展が開かれている、松岡映丘(えいきゅう)の作品です。大きさは、だいたい縦30センチ、横60センチ。掛け軸仕立てになっています。

 画題は、【小野の雪】


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清少納言の枕草子に・・・・232段より

高う降りて、今もなほ降るに、五位も四位も、色うるはしう、若やかなるが、袍の色いときよらにて、革の帯のかたつきたるを、宿直姿にひきはこえて、紫の指貫もにさへ映えて濃さまさりたるを着て、衵の、紅ならずはおどろおどろしき山吹を出だして、傘をさしたるに、風のいたう吹きて、横さまにを吹きかくれば、すこし傾けて歩み来るに、深き沓、半靴などのはばきまで、のいと白うかかりたるこそ、をかしけれ

 という段があり、つまり、清少納言始め、女房たちが、雪の中を歩むカッコイイ男子の姿について、ああでもない、こうでもないと、遠目に見ながら、ささやきあう、≪男の品定めイン雪の中≫という趣向。

 そうでなくとも若公達は、女房たちの話題の中心ですから、さらに純白の雪の中で、袍や、帯や、傘、沓・・・

 

 歩む動きに連れて、色彩が雪に映えて、いよいよ冴え冴えと見え、やっぱ、惚れちゃいますねーーー・って、言ってるわけ。

 ・・・若い宮仕えの男性が雪の朝、夜勤明けで行き交う姿をうっとりと見ているのであります。

 

 公のことは、ともかくとして、位に応じた色彩を着こなすセンス も、その人柄とイコールであるのは当然で、時代、所を違えても、同じ事。平安の昔も現代もさして違いはありません。

 まして、雪を避けながらも雪の白がまとわり付いて、いやがうえにも色彩が映える。昔から夜目、遠目、傘の内、というんですから・・・胸キュン!!

 枕草子四題として描いた作品が、火災にあって、焼失してしまったのを、持ち主が嘆き、そんな事情を聞き知った映丘が、再制作してあげたその一点がこの作品です。

 小野とは、比叡山 の西麓一帯を指す地名。《大原》 同様和歌の世界では、しばしば雪と取り合わされる地名ですね。

 男性装束の束帯のホウが雪に映える美しさや、深沓に雪がかかる風情に魅惑される女性心理を、見事に絵画化しているのです。ナント足跡を消してしまう雪の悪戯さえ??感じられるではありませんか。

練馬区美術館で、11月23日まで、近代大和絵の父とも言うべき松岡映丘展が開催されています。

 菱田春草の没後100年。

 小堀鞆音の没後80年。

 松岡映丘の生誕130年。   

 期せずして、日本画の骨格を真摯に、黙々と、追い求め続けたホンモノの大天才たちが、脚光を浴び、勢ぞろいした記念すべき年、となりました。

 日本らしさを日本人が自ら脱ぎ捨て、自分の国を誹謗し、卑下し、真価には目を向けず、挙句あらゆる方面で行き詰まっているにもかかわらず、その真因には気付こうともしないという、おそらく、肇国以来、未だかつてない様相を呈している現代にあって、日本文化の根幹を形造ってきた僅かな慧眼の志士達に、光が注がれたのは、もしかすると、まだ、日本民族は捨てたものではないのかもしれないとの淡い期待を抱くに足る出来事でありました。

 小倉百人一首にこんな歌があります。

    

有馬山 ゐなの笹原 風吹けば
     いでそよ人を 忘れやはする

(歌の概意: 有馬山のあたりの猪名(いな)の笹原に風が吹き渡ると、そよそよと音をたてるわ。それですよ。私はあなたのことをどうして忘れなどしましょうか。私はあなたのことを忘れなどしません。)


 この和歌を詠じた大弐三位は、紫式部の娘。猪名の笹原、と言うのは万葉の昔から風にそよぐ笹原の風情がかもしだすことで知られた、代表的歌枕の地、現在の兵庫県猪名川流域を指す。

 この歌を絵画化した映丘の遺作がこれ。


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  【猪名の笹原】 (部分)

  爽秋の風が感じられますね。

 また・・・・・小堀鞆音にこんな作品があります。


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  【勿来関図】 (部分)

   吹く風を なこそのせきと 思へども

          道も瀬に散る 山桜花

 八幡太郎(はちまんたろう)の通称でも知られる源氏の棟梁,義家。

頼朝、尊氏、・・などの祖先に当たることから後世に英雄視され、様々な逸話が生み出され、この図はその一つ。

 常陸陸奥の国境、勿来の関を八幡太郎義家が朝命を奉じて陸奥の国乱鎮圧に向かった途中、この地を過ぎ、はらはらと花びらが散り行くさまを見て、この和歌を詠じました。

 勇猛果敢な武将といえども、雅の心は忘れなかったという、モノノフの真実を言い伝える名シーンです。

 花びらのちりゆく音なき音が、聞こえるではようですね。

そして、我等がヒーロー、菱田春草には、こんな作品も・・・・


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 【仏御前】

 

 平清盛に自ら近づいて、白拍子としての名声を一挙に手に入れたものの、清盛に捨てられて、栄華を失い、無常を悟って、嵯峨野の妓王、妓女の元に出家する。と言う、平家物語にある有名な一シーン。

 嵯峨野の寂とした秋の風情と仏御前の哀愁がひしひしと伝わってきますね。

******************

 このように、我々日本人は、昔から、【桃太郎】のように、爺さんもそのまた爺さんも、そのまた爺さんも、・・・先祖代々楽しんできた文化が、時を越えて息づいてきたのです。

 ところが、先の終戦を境にして、長年月楽しんで培ってきた日本固有の文化をいとも簡単に捨てるようになってしまいました。

 アメリカ に憧れるように仕向けられ、ヨーロッパ 文化に心酔し、シナ朝鮮の文物をも日本のそれよりも上等のものであるという、自虐、自縛教育に洗脳され、先祖代々当たり前の様に大切にしてきたものを、大した吟味もせずにかなぐり捨ててきたのです。

 遺されたものも今や風前の灯。

私は、単なる懐古趣味で申し上げているのではありません。現代に牛車を持ち込め、と考えているわけでもありません。

日本にしかないものが山ほどあるのに、それへ目を向けずにどこにでもころがっているようなものに執着して、世界を相手に小競り合いする様な愚かさを、もうそろそろ、日本人も気付かねばならないと強く思うのです。

 大和絵は日本文化の根幹の一つ、であり、ここを目指して歩む日本人が一人でも増えてゆく事が、日本を取り戻すヨスガとなればと、願っています。

 映丘。鞆音。春草。・・・・・・日本画=大和絵の奔流に殉じた天才達を学びながら。


武士道を絵画化する。

勤皇の精神によって絵を描く。





生涯を賭けて、この二つの命題に正面から取り組み、とんでもない高みへ昇りつめた・・・・小堀鞆音画伯。


現在の世の中は、周辺国からの外圧に翻弄され続け、本来の日本を日本人自身が取り戻せないままでいる、悲しくも情けない状態であるが故に、この画家の業績をも忘却の彼方に押しやろうとしています。


しかし、人種、時代、・・あらゆることを超越した本物は、決して廃れることはないのです。【もし、受け入れられないならば世相の方が間違っている】と言い切れる強さ、確かさをこのホンモノの作品群は物語っております。


その晩年、神宮外苑に建設される聖徳記念絵画館に、渾身の大作を描く事で、【モノノフ】たる証を打ち立てたる事が出来たのは、幸いな事でありましたが、このために遂に命をも燃え尽くしてしまうのでした。


日本画40点、洋画40点、それぞれ約3メートル四方の大作が居並ぶ静で厳かな空間に、明治大帝の御事跡を年代順に綴り描かれたこの絵画館は現在でも立派に遺されております。


約100点に近い作品群中、3点を任されたのはこの小堀鞆音画伯のみ。


一点描くだけでも大変な名誉と、全力で取り組む画家たちの中で、ヒトキワ周囲の信頼を集めて、大事な場面を担当されているのです。


この重圧と心労は、流石のモノノフも参ったのでありましょう。3点目は完成を待たずに他界。ご子息が助力して、ようやく完成に漕ぎ着けたのでした。



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 【廃藩置県】


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  同、下図



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 【二条城太政官代行幸】   


    彩色は遺児、明、安雄の手による


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  同、下図










 【二条城太政官代行幸】   

    彩色は遺児、明、安雄の手による

 堅実な技能と、深い歴史研究、並びに、有職故実探求を駆使して、小堀鞆音画伯は、日本人の精神の根源たる【武士道】を絵画化してしまうという快挙を成し遂げたのです。

前人未到であることは勿論、今後もこの記録を破れる偉人が現れるかどうかわからないという位、格段のレベルに到達したことは、日本人にとって、日本の文化にとって、この上ない幸いでありました。

大観に負けないほど熱烈な勤皇画家であった故に、究極の日本文化を現出することができた、正に、日本画の王道だけを歩んだ尊い絵師であったのです。

【画家】と言う呼び名、は、白人文明がもたらした悪しき表現であると私は、常に思っておりますが、画家と言う存在は日本画の世界では“在り得ない”。のであって、日本画の世界ではすべからく絵師、でなければならないのであります。

この事については、いずれ、別の時にじっくり述べる事にしましょう。ともかく・・・・

似非ユダヤ人が己の欲望を正当化するために捏造した西洋文化の悪しき習慣の一つが、【画家】という呼び名であり、その存在そのもの、であります。

どうも、東京美術学校を新設し、西洋文化を取り入れて西洋と対抗出来るように、新たな日本文化を打ち出さねばと、“新機軸打ち出し”に躍起になっていた岡倉天心校長と大和絵の真髄を行こうとする鞆音画伯の、ソリガ会わなかったのは、この部分。むしろ当然のことであったのではないかと思うのです。

現実主義を組み入れる為に配置された高級官僚と、絵師としての本分をこそ守らねばならないと若い情熱をたぎらせていた鞆音画伯と、合致する筈もありません。




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  昭和初期、大礼服の小堀鞆音画伯


 東京美術学校教員時代に、【経正詣竹生島】、【武士】、【常世】、と。立て続けに大作、で代表作を連発し、岡倉天心下野に伴って、院展の創設に関与してからは、百幅会を催し、掛け軸の佳品を百点描きつくし、まさに大活躍。

甲冑研究も深めて、自分で材料からすべて制作してしまうという傾倒ぶり、極めねばすまない大和魂が疼いて仕方がなかったようです。

現在も世田谷に瀟洒な和風建築が立派に残されていて、画伯在生中は、アトリエとして使われたその堂々たる一軒家が画伯そのものの様な風格で、佇んでいます。

寡黙で、やるべきことは徹底的にし尽くす。実に、深い、ブレることのない、奥床しいその画風は現代人の皮相さをあざ笑うかのように高いレベルに達しています。




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