早いもので震災から3ヶ月。我が家の沖縄生活も3ヶ月となります。
3月11日の震災後に、二階堂ドットコムの避難勧告に従い、翌12日の飛行機で沖縄へ疎開しました。
2週間後におばあちゃん(母)が東京へ戻りました。
私の考えは5月24日のツイッターに、
「私の考えでは、原発は3月中旬までには再臨界してある程度行くとこまで行っている。だからこれから一度に大量の放射能が放出される恐れはないが、既に放出された大量の放射性物質が溜まっているので悪さをするのはずっと続く。政府・東電は情報を小出しにしていくだろう。 #genpatsu 」
と書きました。
事故後数日で原子炉は吹き飛んだのです。
この写真の3号機(右)のタービン建屋の屋上の穴はなに?屋上等に散らばっている棒はなに?
原子炉の蓋が飛んだんでしょ。棒は燃料棒でしょ?
違います?
ニュースで原子炉建屋の扉を開けるとか言ってるけど、最初からツーツーなんでしょ。
そんなに放射線の値に変化無かったじゃない。
結局、最初の10日ほどまでで大量の放射線が出て、それが風に乗ってきて関東にホットスポットができたのです。
雨が降って塵が集まると放射線量が高くなる。
今の東京は放射線量はやや高いけど、急にどうこうという事態はないのではないか。傾いている4号機が倒れたらさらに少し高くなるとは思いますが。
今日(昨日)は、東京に来て、マスクしている人を見るのはほんとにわずか。
何百人の人とすれ違ったけど、たった2人。そのうち一人は妊婦さんだった。
放射能はまだまだ漏れているのと、半減期の関係で、やや高止まりとなるのでしょう。
でも結局は、最初の10日間にどこにいたのかがどんだけ被曝したのかを決めるのではないでしょうか。
私は、たまたま沖縄に単身赴任していて、たまたま震災の日に東京に居て、偶然が重なったので、家族共々すぐに逃げることができました。娘の被曝量も少なくてすんだものと思います。
東京に勤めていたら逃げられなかったかもしれません。
持って生まれた運に感謝です。
沖縄は、野菜や魚はある程度自給できているので、内地よりは内部被曝も少なくてすむものと思います。台風2号の影響で作物が少なくなっていますが。
でも、東京は私の生まれ育った街。いつ家族で帰ってこれるのでしょうか。
とりあえず半年は様子見でしょうか。福島や東京の人に影響が出てくるかどうかを見極めてから考えたいと思います。
一日も早い収束を願ってやみません。
今日の二階堂ドットコムも以下のように書いています。
「端的に福島第一
あのね、ぶっちゃけ、言うよ。
福島第一、日本国の政府が何を言っても、1号から4号まで全滅、核物質は全部飛散。これで想定して、自分で考えて行動するべきですよ。
最低の状況で生き残るのがリスクマネージメント。「最悪、今は死なない。次に、生き延びる」これは普通の話。
格納容器の密閉性なんて3月の段階で失われてる。メルトダウン?当然発生してる。知らなかった?使用済の核燃料なんて普通に大気に晒されてる。もちろんプルトニウムを含めて各種の有害物質が言いたくないけど、「陸海空で放出しまくり」だよ。
それでもね、何故皆様は最悪を想定しないかな?TVや報道を信じたら、死ぬのは自分と子孫だよ?近未来の福島は地獄になるんだよ?
「バカなの?死にたいの?」
このセリフが決まる日がリアルで来るなんてね、本気で「想定外」でしたよ。
ああ、これ、情報が無料だと思ってる人には無意味な話でしたね。身内に「何か」出た人々なんて、エセ同和が遊びに思えるほどに「絶対拒絶」されるんだよ。嘘だと思うかい?いいよ、10年後にこの文章をもう一回読んでみれば判るから、ね。
2011-6-14 09:06」
日本の復活を願っています。