山本コウタローさんを悼む | 椰子の風に吹かれて  

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中国海南島 海南師範大学日本語教師 海口市での独り暮らしの生活を終えて日本に帰国、無職になって悠々自適?な暮らしをお伝えします。

 今日、高校の同級生から、「山本コウタロー」さんが、亡くなったというLINEが来た。慌てて、ネットのニュースを見た。今月の4日に脳出血で亡くなっていたということだった。73歳、まだ亡くなるには若い。ヤフーのニュースを読んでいるうちに、高校生の頃のことが、一気に蘇ってきた。

 高校1年生の時、コウタローさんは私のアイドルだった。決してイケメン(当時はそんな言葉はなかったけれど)ではなかったけれど、彼は私の憧れの人だった。将来子供が生まれたら「こうたろう」という名前を付けようなどと思ったりしたものだ。コウタローさんによく似た先輩を発見し、淡い恋心をいだいたこともあったっけ・・・「走れコウタロー」という歌が流行っていた頃の彼のことはよく知らない。私が彼に惹かれたのは、TBSラジオの「パック・イン・ミュージック」という深夜放送の番組を聞いたからだ。彼のおしゃべりは、ほかのパーソナリティーと違って知的だった。バンド仲間のとぼけた感じの「板さん」との掛け合いにはいつも笑わされた。そのころ、かの名曲「岬めぐり」が生まれた。「あなたがいつか話してくれた~岬を~僕は~訪ねてきた~」今でも歌える。そして、文化祭の後夜祭、「岬めぐり」の大合唱は忘れることが出来ない。

 しかし、大学生になって、深夜放送もあまり聞かなくなって、そしてコウタローさんはマスコミにあまり登場しなくなり、彼のことは青春の思い出の1ページとして、心の奥にしまい込まれてしまった。

 そして、今日、訃報を知った。40数年前のことが鮮やかに思い出され、ちょっと涙がこぼれた。こうして、これから、私の思い出の中の人は、一人また一人と去って行くのだろう。