「あの夏の給水塔で」
「夏は帰ってくる?」
彼との電話はいつもそこから始まる。いまだろくな挨拶さえない。
「分からない」
僕はそう言う。いつもそれで逃げている。過ぎた季節に帰る気にはなれない、本当に帰れるわけでもない。
それに。
あの街にはもう給水塔がないと知っている。
住み慣れた街を離れて何年経ったのか、もつれた糸屑をほどくように立ち止まったままの記憶をたどる。
それでもはっきりとはしない。
過ぎたことを忘れよう忘れようと生きてしまったんだろう、僕は生まれた土地を出てゆく思いでしか未来を描くことができなかった。
その街は時間の境目のなかにいた。すでに役割を終えて置き去られてゆくものがあり、再生のために撤去されたものがあり、荒れ地にされてから咲いた花を見ることができ、そしてそのうえに土が撒かれて、やがてこの土地に生きる人のために多くの住居が造られつつあった。
過去と決まったもの、現在はまだ用途のあるもの、やがての未来に必要とされるであろうもの。
そんな場所だった、僕はそんな場所に生まれ育った。
かつての少年であり、かつての少女であったすべての人と同じように。
眼を閉じる、そして思い浮かべる。
あのとき背伸びしても届かなかった給水塔に続く螺旋階段。もう使われていなかった、錆びた踏み場を誰かが踏み抜いてしまったのだろう、靴のかたちの穴が開いてた。
「もうすぐきっと手が届く」、何度も言いあった。
誰も近づくことのない廃材置場は僕たちだけの秘密基地だった。
給水塔も役割を終え、そこに立たされているだけだった。迷子だと素直に言えない子供のようにただ立ち尽くしているみたいだった。たぶん、僕らと同じなんだろう。
いまなら。
いまなら手を伸ばせば届くだろう。背伸びすら必要ないだろう。
けれどあの給水塔に続く階段を昇ることはない。
僕らの必要基地はトラック一台が何度か往復すれば全てが失くなる程度でしかなかった。
洗い流され、花が咲き、そして土が盛られて、移り住む誰かのための建物になった。
給水塔は僕らを待ってはいない。迷子でもない。行くべきとされる場所へと連れてゆかれた。
記憶のなかの給水塔はいまもずっと背伸びをしても届かない、そんな遠くで逆光に光っている。
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⇒星
⇒風の強い日に
⇒ランプ師のお話
あの夏、ぼくらは流れ星になにを願ったんだろう……
流星ツアー(表題作を含む短編小説集)
あの人への想いに綴るうた




