すごい人なんかこの世にいなくて、ずるいところも性欲もある普通の人間しかこの世にいなくて、
誰かをヒーローのように思うこと、神格化することは、ものすごく社会をダメにすることの一端だと思いました。
誰かまかせの社会にすることと同じだと。
すごい人なんかいなくて、すごくない人がみんなそれぞれせっせと頑張ることでしか、社会はよりよくならないのだと。
誰かをすごいと思ってしまう感情は、警戒せねばならないことであったと思い当たりました。
・・・
読書めも
高次脳機能障害の症状は
できなくなることを味わう苦しさ
精神疾患や発達障害、
"脳にトラブルを抱えた"
当事者全般と合致。
"脳にトラブルを抱えた"当事者は
社会や家庭から
理解・支援されず排除され、
虐待・孤立・貧困に陥り
ケアされる立場が被害者的立場に。
不自由を障害にするのは環境。
"抱えている不自由により
障害を感じている"
という段階で支援が必要。
(診断重視のビジネス化には疑問)
"脳にトラブル"を持つ人に
共通する《易疲労》は、
疲れやすいのではなく
同じ作業をしていても
頑張っているから疲れる。
疲れは作業量と比例しない。
脳をどれだけ使ったかに比例する。
"脳が不自由"なのは
非当事者にはわかりづらく
やろうとしてもできないことを強いる
周辺の無理解が
当事者の《不自由》を《苦しみ》にし
"障害"にする。
鈴木さんの場合、
"不自由の先輩"であるお妻様が
不自由によって
大きくつまずく前に支え
"障害"よりは"受容"の境地に
ソフトランディングさせた。
……
僕自身、自分でもなにがどうして辛いのか理解もできず言葉にもできない状態なのに、お妻様は大前提として「辛いのだ」ということを認めたうえで、ただただ黙って僕の手を取ってさすり、背中を撫でてくれるのだ。不思議なことに、なにをしても楽にならない原因不明のパニックや不安の波は、こうして「辛いよね、辛いよね」と背中を撫でてもらうことで、ずいぶんと楽になった。 (P127~ P128)
……
人が生きていく上で最大のリスクは
孤独・孤立。
当事者と周辺者の
共生のプロセスの蓄積が
社会全体の構造改革につながる。
✴︎小さなユニットから
今日からはじめられる改革✴︎
・健常者(非当事者)・
当事者が「やりたくてもできない」、
目にみえない機能の欠損と不自由感が
大きな苦痛を伴うことを理解。
やれないことを押し付けない。
「やれて当たり前」の価値観を捨て
やれることを共に発見、評価。
・当事者・
できないこと、
なぜできないのか把握。
非当事者には想像し辛いことを考える。
非当事者にその不自由感を伝え、
発信する試みを諦めない。
(発信を受け非当事者は
「障害に甘えるな」の言葉は
絶対に発さない)
・・・
・・・
鈴木大介さんの視点は
とても優しく
わたしもこんな風に
モノゴトをみれたらいいと思います。
◾︎鈴木さんの最近の記事◾︎
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◾︎ダ・ヴィンチニュース◾︎
ー私たちの「無理解」が誰かを苦しめていることに気づくと、それだけで私たちの世界が少しだけ救われるはずだ。
(発達障害の妻の気持ちを理解できたのは、夫自身も脳に障害を抱えたから――高次脳機能障害を抱えた著者が説く「理解」とは)
・・・
ちなみにわたしも
"脳トラブル"な当事者です。
タイトル通り、
鈴木さんのお妻様(パートナー)は
"大人の発達障害"。
そのお妻様が2011年に脳腫瘍
(膠芽腫/5年後の生存率8%)に倒れ、
唯一無二のお妻様を失いたくない気持ちが
暴走した鈴木さんは41歳で脳梗塞に倒れ、
高次脳機能障害に。
思考速度の低下・作業記憶の低下、
注意障害・遂行機能障害、
情緒の抑制、
自分で自分がコントロールできない…
などの問題を抱え、
お妻様と同じ"当事者感覚"を得た。
……
ー嗚呼、身をもって理解した。
単に不自由な感じとか不器用とか
空気読めないとか黙り込むとか泣き出すとか、そんな当事者の背後には、こんな苦しさがあったんだ。不自由なことと苦しいことが同じだと、僕は知らなかった。
「ようやくあたしの気持ちがわかったか」
「わかったけど、これはちょっと苦しすぎます」
……
この本は
そこから始まった
鈴木さんとお妻様との
家庭大改革の物語。
続→
・・・

Yes, Virginia, There is a Santa Claus
The New York Sun (written by Francis Pharcellus Church)
ー大久保ゆう訳ー
1897年9月21日 社説欄
本紙は、以下に掲載される投書に対してただちにお答え申し上げるとともに、このようにまっすぐな方が読者におられることを、心から嬉しく思います。
「こんにちは、しんぶんのおじさん。
わたしは八さいのおんなのこです。じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるのですか?
ヴァージニア・オハンロン」
ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、何もかもわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、そういうものがあふれているおかげで、ひとのまいにちは、いやされたりうるおったりする。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。サンタクロースがいないってことは、子どものすなおな心も、つくりごとをたのしむ心も、ひとを好きって思う心も、みんなないってことになる。見たり聞いたりさわったりすることでしかたのしめなくなるし、世界をいつもあたたかくしてくれる子どもたちのかがやきも、きえてなくなってしまうだろう。
サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶを見はらせて、サンタクロースをまちぶせしてごらん。サンタクロースが入ってくるのが見られずにおわっても、なんにもかわらない。そもそもサンタクロースはひとの目に見えないものだし、それでサンタクロースがいないってことにもならない。ほんとのほんとうっていうのは、子どもにも大人にも、だれの目にも見えないものなんだよ。ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見たひとっているかな? うん、いないよね、でもそれで、ないってきまるわけじゃない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、だれにもはっきりとはつかめないんだ。
あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、目に見えない世界には、どんなに力があっても、どれだけたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがかかってるんだ。すなおな心とか、あれこれたくましくすること・したもの、それから、よりそう気もちや、だれかを好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、そのむこうのすごくきれいですてきなものを、見たりえがいたりすることができる。うそじゃないかって? ヴァージニア、いつでもどこでも、これだけはほんとうのことなんだよ。
サンタクロースはいない? いいや、今このときも、これからもずっといる。ヴァージニア、何ぜん年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはいつまでも、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。
(こちらのサイトから転載させていただきました)
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サンタクロースの
贈り物は
目にみえない
コト・モノを
想い描ける気持ち。
目にみえない
コト・モノ・ココロを
信じる気持ち。
鈴の音とともに
サンタクロースが
やってきますように