元々、少し奇妙な家には生まれている。
父方は曾祖父母も祖父母も親戚もまとめて、キテレツな人間が多い。
〇大の名誉教授だったり、天皇の家庭教師をしたとか、日本で初めての女性の〇〇とか、日本で初めての女性の△△とか、だいたい皆さんWikipediaか教科書に載ってる。
そういうお立場的なものだけでなく、
エスカレーターに乗れないとか(何段目で降りるか計算してからじゃないと乗り始めることができないそうだ)
数字が色に見えるので暗算ができないとか(1は赤で2は青なので、1+2=3ではなく紫だそうだ)
まあ、今でいう何らかの発達障害なのだと思う。
(わたしも社会適応力が高いため生きずらさがないだけで何らかの大きな凹凸があることは強く自覚している。)
親族はよくホテルの宴会場を借りてパーティーのように集まった。
親子であっても、挨拶は握手から始まり、それなりに着飾っていて、なぜか全員が敬語である。
たいして面白くない話を決まった順に大きな声で話し、大げさに笑いあって、手を叩き、ウィットに富んだ自分たちを自覚し誇示している。
そして学校内でちょっとだけ成績がよい程度の小さなわたしに対して、
「nicoちゃん(仮名)は何者かになるわねえ」
「nicoちゃんは賢いから、何者かにはなるだろうな」
と言い嬉しそうに笑い合った。
小学生になったころから親戚の集いの度に(この人たち変だ)と肌で感じるようになった。
そして(わたしもこの人たちみたいに、ヘンテコな、でも何者かにならないといけないのかもしれない。)というプレッシャーをじわじわと感じていた。
勉強をしろ、医者になれ、政治家になれ、学者になれと具体的な言葉を受けたことは親戚からも親からも一度もない。
ただ、「何者かになるよねえ」というその場つなぎの明るい抽象的な褒め言葉が、わたしの心にはいつも優しく刃物のように刺さっていた。
ナニモノカってなんだろう?
小学5年生の時、学校の創立記念講演にある有名な日本舞踊家がいらした。
話はたいして面白いものでもなかったが、感想文の宿題が出たので、元々文章を書くのは嫌いではなかったしたまたま時間があったのでいつもの宿題よりは少しだけ時間をかけて、先生に好かれるような文章を適当に書いて提出した。
数日後、わたしと担任は校長室に呼ばれた。
聞けば、全学年全生徒の感想文を舞踊家に送ったところ、わたしに会いたい、どんな子なのか、と連絡が来たそうなのだ。
どんな子かというと、いたって普通の、髪もとかしたことがないちんちくりんのチビである。
わたしは、(そんなことになるのなら、もっとわたしの本気を出せばよかった。もっとうまく書けたのに。あれが本気だと思わないでよね)などとぼんやりと考えながら(←ヤナヤツ)
誇らしく嬉しそうな担任の顔を見て(この人にいいことをしてあげたんだな。よかった)とそれは心から感じていた。
その時、忘れもしない、校長が言ったのだ。
「あなたは何者かになるって、そう言ってました。」
「・・・ナニモノカですか?」
校長室に入って初めて目のピントが合ったような、ビビッと緊張感が走ったような感覚がわたしの目を覚まさせ、思わず言葉を発した。
「そうです。よかったですね。これからも頑張ってください。」
「・・・はい。」
わたし、ナニモノカになるんだ。みんながわたしをナニモノカになると思っている。あのヘンテコな親戚たちだけじゃない、大人がみんな言うから本当のことなんだ。わたしの将来はナニモノカ。将来の夢はナニモノカ。
教室までの帰り、廊下でもご機嫌の様子の担任の横で、わたしの頭は”ナニモノカ”を連呼していた。
この世に生を受けて40年以上たち、現時点でわたしは自信を持って言える、”何のナニモノカにもなっていない”。
社会のいたって平均のあったかいところで、平均的な家庭を築き、ぼんやりとした幸せに包まれて平均的な暮らしを送っている。
親戚たちにも舞踊家にも言いたい、わたしはナニモノカになる努力を、実はただの一度もしませんでした。
ぼんやりとしたナニモノカの呪縛にとらわれながら、坂道を少しずつ楽しい方に降りていったら、今のわたしになりました。
期待していたなら、自慢だったなら、ごめんね。
でも、中学2年の時に、そういうの辞めるって決めたの。
ナニモノカにはなりませんでしたが、今のわたしはとても幸せです。