戸川純を考える
戸川純ちゃん、と言っちゃって良いのか年齢的に戸惑う。
オレが彼女を知ったのは国民的人気番組だった、ビートたけし主演の「刑事よろしく」だった、
ライオンは起きているの軽快なロッケンロールに合わせて虚無僧のお兄さん達がツイストを踊っていたのがかっこよくてね、当時ロカビリーにはまり出した時、そうね中学2年頃だったのかね、その番組で「おい、ツヤ、この野郎」ってたけしにいつも怒鳴られていたのが今日の主役の戸川純氏だった。
ゲルニカを組む前だったと記憶している、この番組の中でたびたび泣かせるシーンで
「蘇州夜曲」を歌っており、歌唱力のある暗い女の人、くらいのイメージしかなかったが、その存在感は抜群で、完全にアナタの虜になったのはオレだけではあるまい。
オレは個人的には、たけしも狙っていたミッキーのお母ちゃんも熟女好きにはたまらないと思ってたので、多分当時すでに人妻趣味と言うオレの変態的一面は芽生えていた気がする。
この後ゲルニカを組む事になった上野耕路氏は「8 1/2」で既に東京ロッカーズとして活躍してるしね、当時演っていた「踊れない」なんかは戸川純ちゃんもカバーしております。
オレのyoutubeで恐縮だが聞き比べてくれ
オレにとっては待望のアルバムだったのか、当時好きだった、あの西ツヤ通称おツヤがアルバム出したってね、それがこれ。
1982年発売、改造への躍動 上野氏と純ちゃんの世界感はバッチリだったぞ
この頃からメディアへの出演も増えて、異色なロック歌手なのかな、なんて言う位置づけなのか分からないが、ウォシュレットのCMの「お尻だって洗ってほしい」有名だったな。
ちょうど高校生だったと思うが「玉姫様」のヒットにより一躍有名になり、1984年に待望のアルバム発売、それが「玉姫様」だった、このトンボは懐かしいな、当時買いましたぞ、ちょうど夜ヒットにこの格好で登場し、オレのお袋は頭のおかしいお姉ちゃんだと思ってようだ。
1984年、ゲルニカもやってたのかな、1st アルバム玉姫様
ヤプーズと言えば8 1/2やヒカシューでもドラムを叩いていた泉水敏郎氏なんだけど、当時からやっていた踊れないは、彼の作品でもありますね。 純ちゃんは追っかけてたもんね。
諦念プシガンガ、って当時全く何のこっちゃだったけど、この年になると、なんとなくこの歌の良さが分かります、愛されたい、愛してます、全てを犠牲にしても愛する姿に感動しますわ。
またもオレのyoutubeで恐縮だが聴いて欲しい、この名曲を
既にライブでは持病の腰痛に悩まされてた頃ですかね、ステージでは全く素振りも見せず飛び回っており、まだまだ快進撃は続くのでした。
その玉姫様のライブ収録したアルバムが、この裏玉姫になりますね。
1984年 ライブアルバム 裏玉姫
この頃の記憶だとパンク蛹化の女だろうな、もうね純様と言えば最後はこの曲、パンク版の蛹化の女は有名な所で、まあね、カノン進行そのまんまのノリノリの音楽に仕上がってます。
この裏玉姫あたりを最後に完全にオレ自身がパンクサイドに突き進み、戸川純氏は心の愛人と言う位置づけで密かに応援はしてましたが聴かなくなりましたね。
アルバムもう1ケ出してる気がする、「極東慰安唱歌」このアルバムに関してはもちろん持ってはいないし、多分聴いたこともないと思う、ごめんな純様。
ヤプーズとしては時々聴いてましたし、ライブにも何回か言った事はあります、このアルバムも懐かしい、比賀江隆男君です、っていつも紹介されてましたね、ギターの比賀江さん。
Barbara・セクサロイドに少し大人の雰囲気も醸し出した、オレが東京で専門学校生き始めたころだったですかね、 ロリータ108号も外せないと思うぞ。
1987年 ヤプーズとしての1st アルバム
1991年 3rd アルバム ダイヤルyを廻せ
いやあ、もう大人になってたのでこのアルバムは後年CDで購入しましたね。
この頃は純様少し腰も含め具合も悪く、痛々しいと言うオレのかってな思い込みもあり、このアルバムの、あの名曲「赤い戦車」が多分オレの純様との最後の曲になってしまったんだと思います。 それでもライブステージで痛みを我慢しながら、椅子に座ってでも歌い続けるその姿勢に大人のオレは感動したのも事実であります、戸川純様、かっこいいぞ。
オレの最後のアルバムは2016年の「私が泣こうホトトギス」です
35周年記念でオレも当然買うわけだけど、昔のリメイクの曲もあって結構楽しみにしてたけどね、やっぱリアルタイムにあの当時のエネルギッシュな純様を聴いてしまっていると、あの歌い方や歌声がね、流石に現代にマッチするかと言うと微妙のままって感じ。
もう少し上手く書けたのかもしれないが、それでも戸川純様は永遠のオレのアイドルです。
と言うわけで、刑事よろしく