RC サクセション その参 | パンクおやじの魂の叫び

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  RC サクセション  その参

 

 
 
いやあ、来ましたよ、書けましたね第三弾です。
 
RCネタもここまで書き続ける事が出来た自分に感謝、これを読んでくれるアナタにも感謝。
しかしながら老いにあがなうオレと言えば連日の筋トレ続きで横の筋肉、部位が分からず名称知らないがとにかく横の筋肉痛の中で書き進めようと思う。
 
 
 
2nd LP 「楽しい夕に」 1972年
 
後追いでこの2ndのLPに関しても復刻版にて購入、それでも嬉しかったな。
清志朗、林小和生、破廉ケンチと言うメンバーは変わらず。

リアルタイムでは1972年ってオレ幾つよって言うと5才なので絶対無理でした。

これもフォークトリオで隠れた名盤だと言う人はいるけれど、確かにそうなんだろうけどオレはやはり年代が若干下なんで80年代RCが青春時代、それでも70年代RCのトリオの頃の清志朗のそれはそれで尖っている楽曲や反体制的な歌唱には当時フォークと呼ばれた奴らの、吉田拓郎を彷彿とさせるような同じニオイの新しい世代の始まりのような時期だったのかなと思います。

歌の雰囲気はあまり覚えてないけど、前出の「あの娘の悪い噂」は好きで繰り返し聴いていたような気がします、当時一人で部屋の中でフルボリュームで「あの娘の悪い噂」かけて唄っててお袋にお前はバカかと怒られた記憶があります。
 
このアルバムのB面最後の「日隅くんの自転車の後ろに乗りなよ」は本当に何気ない歌なんだけど後年この日隅くんが自殺してしまったと言う事を聞いた時にこの歌の重みがぐっと伝わって来たんだよな。 
 
「日隅くん、一人で自転車に乗るのが本当にイヤだったんだろうね」当時はそんな事考えてた。
清志朗の隠れた皮肉やメッセージを随所に感じられる名盤っていえば名盤なんだろうね。

一人残された日隅くん、どんな気分だったんだろうね、二人の楽しそうな自転車乗ってる姿を遠くで見てたのかな、この曲の次の曲ね、ラストの曲が「ボクの自転車の後ろに乗りなよ」だもんね、すっかり日隅君の事を忘れて彼女にまいっちゃったってのが想像できるし。
 
日隅くんは今日から 一人で自転車に乗るのさ
いつもはぼくが うしろに乗っていたのに

今日からはぼくは あの娘のうしろに乗るのさ
あの娘は女のくせに 自転車こぐのが上手

日隅より あの娘の方が ぼく乗ってて楽しいよ
今日からは ぼくはあの娘と いつもいっしょだよ
 
 
これもファンあるあると言うかネット情報で恐縮だけど後年になってライブアルバムが発表され伝説の曲が収録される、
 
「君はそのうち死ぬだろう」だ、
歌詞は会社側の意向で無かったようだけど清志朗が日隅クンに向けて作った曲らしい。

歌の内容は非常に複雑な感じらしく、当人の日隅クンはご健在で、それを聞いた時に「バカ言うな」と取り合わなかったみたいだけど、本当は一番心配していたのが清志朗本人なんじゃないかと思ってしまう。 
 
ブラックユーモアで当時気持ちを正直には伝えられなかったかもしれなかったけど、本当に本当に当時のキミの事を心配していたのだろう。 
 
残念ながら日隅クンは死んじゃったけど、清志朗の気持ちは伝わったのかな
 
 
 
6th EP 「スローバラード」 1976年
1976年、シングル発売後発表したアルバムは不運にも即廃盤となってしまう

もう何も言わないが「スロー・バラード」聴いた事の無い方は急いで聞くべし、これは本当の意味での将来に残したい名曲だと言えます、ちなみに柴田義也としてキミが支えてくれたこの曲は本当に名曲中の名曲だったと思う、サンキュー、ゴンタ2号G2。
 
昨日はクルマの中で寝た あの娘と手をつないで 
市営グラウンドの駐車場 二人で毛布にくるまって
カーラジオからスローバラード 夜露が窓をつつんで 悪い予感のかけらもないさ
あの娘の寝言を聞いたよ  ほんとさ確かに聞いたんだ. . . .
カーラジオからスローバラード 夜露が窓をつつんで 悪い予感のかけらもないさ
ぼくら夢を見たのさ   とってもよく似た夢を.
 
 
7th EP 「わかってもらえるさ」1976年
 
これはオレが自腹でリアルタイムで買ったEPです、当時憧れていた高校生の親戚の家でいつも流れてて自分の家にはないオーディオセットがあって、そこにこのEPが置いてあって、
 
欲しくて欲しくて買いました。  
 
その親戚の影響もあって小学校3年生で「VAN」のトレーナーを親に無理言って買ってもらって誇らしく学校に着て行ったなあと懐かし思い出が蘇ります。
 
ちなみに「わかってもらえるさ」に関しては聴き過ぎていたせいもあり、いまだに突然サビの部分が頭に浮かび自然に歌っている事がある。

気の合う友達って沢山いるのさ、
今は気づかないだけ、街ですれ違っただけで分かるようになるよ

オレの中ではRCの好きな曲のかなり上位に位置する曲だと思う。 
 
酒飲みながら聞いたらほんと泣ける。
 
この時期は彼らにとって本当に不遇の時期でRCがさらに次のステップに移ると言うそんな時に発売されてしまったため、このEPの存在自体が世の中では相当中途半端な扱いだったけど清志朗の当時の葛藤、RCの3人のスタイルでフォークを演奏する事への限界とか、オレには分からない数々の問題があったんだと思う、でもストレートにオレはこんな歌が歌いたいと言い切れる清志朗が断然好きだ。

こんな歌歌いたいと思っていたのさ すてきなメロディー  あの娘に聞いて欲しくて
 

 

 

 
8th EP 「ステップ!」 1979年
 
前作の「わかってもらえるさ」から3年以上経って、久しぶりのNEWシングル。
 
買ったぜ買ったぜこれもリアルタイムで。

このEPから新生RCサクセションとして新たな方向性を打ち出した貴重な1枚だと思う。
 
 
1976年~1978年まで、まさにRC不遇の時期で正式ギターリストだった破廉ケンチ氏は精神を患ってしまい脱退、そんなRCサクセションの迷走期の1978年、待ちに待った、仲井戸麗市氏と新井田耕造氏が正式加入したぜ、
 
忌野清志朗、仲井戸麗市、小林和生、新井田耕造、オレの好きだったRCサクセションが全員揃たぞ、あとは売れるのを待つだけだ。

巷ではフォークブームも下火になり、バンドブーム、アイドル全盛期時代へと突入しはじめた1979年、RCもフォークと言うスタイルを捨てエレキギター中心のロックバンドとして変貌しようとしていた、そんな記念すべき最初のEPがこの「ステップ」だった。
 
と叫んでみる。

と豪語しているが、このEPの演奏は実は上記3名がバックで演奏ではなくスタジオミュージシャンによる演奏で製作されていると言うのは最近知ったネット情報。

もうね、ライブでは絶対に盛り上がるでしょう「ステップ」 
 
この曲聴くとやっぱ、ホーン部隊の梅津氏、片山氏が欲しくなるね。  
 
初めて見に行ったライブで一人鳥肌立てていた前列右側の少年が、そうオレです。  
清志朗、そしてRCサクセション、オマエラの演奏は絶対に止まらないぜ。
 
心臓が止まっても もうダンスは止まらない 夜の底で着飾って からまる足に笑われ
耳の中がリズム刻んでる 知らん顔のライト浴びて 真夜中をダンスダンス
 
そして、オレは意外にB面の「上を向いて歩こう」の方が当時は好きでしたね、坂本九氏とは違ったアップテンポな仕上がりで気に入ってました。 
 
当時のRCのライブでは必ず演奏してたしね、忌野氏のソロライブでも歌ってたし、実際に気持ちが前向きになるそんな気がしてました。 懐かしい1曲です。

上を向いて歩こう 涙がこぼれないように. . しあわせは空の上に、しあわせは雲の上に
 
 

 

 

そしてここから新生RCサクセションと言いますか世に知られている方のRCサクセションの黄金期に突入するのですが「雨上がりの夜空に」以降は次の機会で書ければと思います。
 
さあて鉄棒にぶら下がって筋トレして、酒飲んで寝よう。
 
その四をアップできる日を思い描きながら