リーベショコラーデ -7ページ目

リーベショコラーデ

thoughts about music and singers

横浜みなとみらいホール主催の「気軽にオペラ!」シリーズの「セビリアの理髪師」をNHKカルチャー講座つきで観てきました。

 


お目当ては私的に日本の最高のソプラノ、大隅智佳子さんです。

本番の前に、横浜みなとみらいホールの近くにある(徒歩五分)NHK文化センターランドマーク教室で90分の講座(講師はオペラ研究家 岸純信氏)と、それに続く楽屋ツアーが受けられるのです。これは楽しい企画です。横浜みなとみらいホール頑張れビックリマーク
【スケジュール】
★15時~16時30分:講義(横浜ランドマーク教室)
★17時~:バックステージツアー
★18時30分~:公演鑑賞

講義ではなかなか面白い話しが聞けました。
岸純信氏は以下の四つは違うものだ、と話されました。
『ヒット作』
『人気作』
『有名作』
『傑作』

すなわち、ヒットしたからといって傑作とは限らない、
人気作だからといって傑作とは限らない、
有名作だからといって傑作とは限らない。

ごもっともですが、しかし『傑作』の定義は人それぞれではないか?
講師に「傑作の要素とは何ですか」と質問してみました。

「斬新であること」「人が後に真似するようになった作品」だと言うお答えでした。
従って本作「セビリアの理髪師」は傑作なのである、と。

おおいに納得しました。昔、岡本太郎が「今日の芸術」という著書の中で芸術の「定義」を書いていました。それは「新しい事」です。中学生の時に読みましたが、それ以来の私の定義なのです。

詳しくはお読み下さい
今日の芸術/岡本 太郎

¥535
Amazon.co.jp


続いて初体験のバックステージ・ツアー。小道具が位置決めして置いてあります。航空機の整備用具と同じですね。「そこに無いものは誰かが使っている」「使ったら元に戻す」


今夜大隅さんが使うハンカチ


歌手さんの楽屋にも入れましたが、私は歌手さんを楽屋で見る事は好きではないので遠慮しました。

さて本番。

ロッシーニはアジリタを使いまくっている、という解説を聞いたばかりでしたがアジリタというのは私はコロラトゥーラと同じ意味と思っていましたがそれは間違いのようです。
agilità イタリア語 女性名詞 「敏捷、機敏、すばしこさ」(出所:小学館伊和中辞典1996年)・・・英語のfleetness【名】〔動作の〕速さ、素早さ agility【名】機敏 と同義でしょう。

coloratura イタリア語 女性名詞 ドイツ語の koloratur からイタリア語ふうに表記された言葉(出所:小学館伊和中辞典1996年)

じゃ
koloratur ドイツ語 女性名詞 「装飾音の多い技巧的唱法」(出所:小学館プログレッシブ独和辞典1994年)・・・「色づけする」という動詞がkolorierenだから、兄弟みたいなものか。

すなわち、アジリタというのは「素早い歌い方」
コロラトゥーラというのは「装飾の多い歌い方」

なのである。アジリタが唱法でコロラトゥーラは歌手の種類とか説明する人がいるけれど、違います。
※歌手の種類としていうなら「コロラトゥーラ・ソプラノ」と言わないと正しくありません。

この歌劇のもっとも有名なアリアは ロジーナの歌う Una voce poco fa ですが、これをマリア・カラスが1958年、パリのオペラ座デビューで歌った映像を観たとき、その表現の物凄さに深い感銘を受けたものです。こちらで見れます。
実は、これがあまりに凄くてマリア・カラスはあちこちでこれを歌わされる事になるのですが、後にハンブルクで歌った1959年の映像はこのオペラ座の歌唱に比べるとひどいものなのである。
それは、やっぱり「前回と同じじゃイヤ」という本人のプライドが(それは健康なプライドであるが)、もっとこの曲を違う風に聞かせようと言うのがたまりたまって、積もり積もって、コテコテになって、結果、出てきたのがこのバージョンなのだろうと言う気がする。【勝手な想像です】

要するに、いじくり過ぎている。
オペラ座でのあらゆる技巧を使い尽くしたという歌唱もいじっていると言う人もいるかも知れないが、あれは当然の使い方で、初々しさ、はっとするような新鮮さがあった。ここのは違う。なんでもできますという歌い手が何でもやり過ぎているのである。

ま、カラスを見てみようという人はそれぞれの鑑賞眼を持っているであろうからグダグダ書かないが、オペラ座の歌唱の方がずっと良い。

以下は別のところに書いた「オペラ座のレビュー」

パリ・オペラ座のデビューリサイタルを曲目の解説付きで収録。

アリアを通して唄う映像を堪能できます。

白眉は「セビリアの理髪師」から「今の歌声は」であろう。
これは本来メゾソプラノが唄うアリアだが、カラスは唄えちゃうんである。凄い幅広い音域を持っていた事が分かる。音域が広いだけでなく、その音のコントロールの技術がまた素晴らしい。はっきり言って、カラスの持っていた技術がこの一曲でほとんど見る事ができる。それだけではない。これを唄うロジーナというキャラクタをカラスは自在に変化させ、いたずらっぽかったり、恐ろしげにしたり、可愛くしたり、気高くしたり、女らしくしたり、変幻自在に表現する。これは、はっきり言って、本人にそういうキャラが無いとできない芸当である。声も良く、技術もあるメゾソプラノはたくさんいるが、人間としての多様性や深みというものがないと、ただの優等生の歌唱になってしまう。YouTubeにはそういう例がいっぱいある。この映像のカラスは違う。もてる技術を駆使して、天才がやりたい放題し放題なんである。面白い。観客はもう目も耳も釘付け。咳も聞こえない。

天才がやることって、一見簡単に見えて、時にはふざけてやってるんじゃないか、と思うくらいの事もあるが、実は他人には及ばない技術の裏付けと人間的な深みが伴なったパフォーマンスだからこそ人を惹き付けるのである。

このまえ、イリーナ・ペレンの白鳥の湖を生で観て感激したが、このオペラ座の公演を生で観たら、同じように一生の宝物だっだろうな。そういう映像だ。



ここまで長いともう誰も読んでないだろうから本題。

大隅智佳子さんは声に物凄い力のある世界に通用する素晴らしいソプラノですが、ロジーナは良くなかった。。。アジリタが出来ていないのです。

素晴らしいソプラノ=「何でもできる」のではない、という事を知りました。
歌の世界って、奥が深いんだなぁ、、、と家路につきました。


それでも大隅さんは素晴らしいです。次は違うのをやってください。

最後までお読み戴き有り難うございました。




予告です

私が今後すべての公演を聴きに行くと決めている唯一のピアニスト
高橋光太郎さんのリサイタルが4月17日に迫りました。

どういう音楽をなさる人かは何度か書きましたので御参考下さい。
Vol.10【2013年4月7日】のレビュー
Vol.11【2013年7月21日】のレビュー
Vol.12【2013年11月21日】のレビュー

チラシです。

ePlusでも購入できます
↑この説明文だと「謎のピアニスト 高橋光太郎」だそうです(笑)

私的に「最高のショパン弾き」を是非お聴き下さい。
ピアノと声楽を勉強している人は必聴。

横浜みなとみらいホール 小ホール
前売り2500円です。

隣のホールでは19時からキーシンが弾きますがホールを間違えないようにして下さい。
小ホールです。音が良い方のホールです。
はまぎんホールヴィアマーレというのは横浜銀行本店の一階にある517席のホール。

横浜銀行本店といえば15年以上前に私が外国映画会社のプロデューサをしていた時、映画産業に特化した投資銀行員として有名な方がいらして何度か訪れた事がある懐かしい場所です。そこにコンサートホールができたなんて、浦島状態でした。なかなか奇麗なホールです。



出演
コンサートマスター●松原勝也(東京藝術大学教授・元新日本フィルコンサートマスター)
ヴァイオリン・ソロ●ジェラール・プーレ  Gérard Poulet
フルート・ソロ●渡邊玲奈
賛助出演●ローラン・テシュネ Laurent Teycheney(チェンバロ)

アンサンブルdeヨコハマ <メンバー>
・コンサートマスター/松原勝也
 ・第一ヴァイオリン/塗矢真弥、小澤郁子、坪田亮子
 ・第二ヴァイオリン/水村浩司、桑原晴子、飯野暁代
・ヴィオラ/斉藤和久、中小路淳美、成瀬かおり
・チェロ/間瀬利雄、寺井庸裕 ・コントラバス/樋口誠
・チェンバロ/ローラン・テシュネ(賛助出演)


曲目
バーバー/弦楽のためのアダージョ Op.11
ジョン・ラター/弦楽のための組曲
ブリテン/シンプル・シンフォニー Op.4
------休憩------
ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲「四季」から「春」ヴァイオリン・ソロ●ジェラール・プーレ
J.S.バッハ/管弦楽組曲第2番ロ短調BWV1067 フルート・ソロ●渡邊玲奈
J.S.バッハ/ヴァイオリン協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1042  ヴァイオリン・ソロ●ジェラール・プーレ
-----アンコール-----
J.S.バッハ/エア(G線上のアリア)ヴァイオリン・ソロ●ジェラール・プーレ


この楽団の特徴は(というかこの規模の弦楽合奏団では珍しくないのかも知れませんが)指揮者がいないことです。

これは、西洋音楽における指揮者の存在意義を揺るがす、大きな特徴ではないのか?
(私が知らないだけでよくある事なのかも知れませんが)

雅楽には指揮者がいません。
奏者が互いの音を聞いて、阿吽の呼吸(?)で演奏するのです。
雅楽の合奏にアインザッツ Einsatz 〔独〕なんて関係ない。
テンポさえ決まっていない。毎回違う演奏なのが普通です。
尺八の譜なんかみるとそれがよく分かる。口伝(くでん)で受け継ぐから
長い歴史の間にもともとの演奏とはまったく異なっているかもしれないが
そうなのかどうかさえ分からない、それが雅楽。

「平調 越殿楽(ひょうじょうえてんらく)」という誰でも聞いた事のある曲は
鐘の音がかならず微妙にズレてます。子どものときはこれが不思議な音楽に聴こえましたが
今ではそれが微妙な色気というか気持ち良さに通じるのですね。

もしかしたら、ラフマニノフピアノ協奏曲第二番の最終楽章の大太鼓のドーンがズレるのも、もともとそういう狙いが、、、あったとは思えませんが日本人の感覚ではそれが許せる。のではないでしょうか。許せませんか。私は許せませんけど。

ということで、この楽団は指揮者がいません。それがどういう理由なのか、聞いてみたいものです。アンサンブルは微妙にズレていて、ソリストと合わない部分があったような気がしましたが、気のせいかも知れません。

しかし、アンコールでジェラール・プーレさんが「東北の地震の追悼のために演奏します」とフランス語で言って演奏したJ.S.バッハ/エア(G線上のアリア)は、ほとんどソリストの作る世界でそれはとても良かった。演奏が終わっても長い間拍手が起きませんでした。みんな、感動して動けなかったからです。こんな演奏会は珍しいです。

帰り道、エアの余韻が残っていて歩きながら涙が出ました。

こんなことも、珍しい経験です。

※フルート・ソロ●渡邊玲奈さんはもの凄い輝かしい経歴の美人で素敵でした。

もう春の陽気で、上着がいらない一日でした。
人生も冬が終わる事を期待したいものです。
日本にはアマチュア・オーケストラが非常にたくさんある事を最近知るようになりました。

そしてそれがまたずいぶん上手です。市民オペラのレベルの高さは既によく経験していて時にプロの団体のものより感動したりしますが、オーケストラもそれに近いものがある。「近い」と書いたのは市民オペラは主役にプロを使えるけれど、アマチュアオーケストラにはプロを使えないという違いがあるからです。プロが加わるとそれに引っ張られて全体が良くなる、という例はソリストによってオーケストラが格段に良くなった演奏会の事を以前書きました。


オーケストラ・シンフォニカ・フォレスタというオーケストラは初めて聴きました。
HPはこちら。


パンフレットの解説が非常に充実しています。こういう事を書けるメンバーが何人もいる、ということが分かります。



このオーケストラは弦楽器の人数が非常に多くて音が充実しているのが最大の特徴でしょう。しかし、もっとも目を引いたのはクラリネットの一人の奏者です。上手いです。目にも耳にもとまりました。自分の世界を持っています。けれどもソリストのような目立つ演奏ではなく、アンサンブルに溶け込んでいる演奏です。ご本人の指向と性格の反映のように思います。

名前が分かりませんが、素晴らしい演奏者でした。
名簿を見ると 飛田 藍さんのようです。
グーグルしたら少し情報が出てきますが東京大学卒だそうです。
アマチュアのレベルを越えています。他にしたいことがあるからプロにならなかった、という印象を受けました。演奏はプロですが。

またどこかで聴きたいものです。

次回(第4回)演奏会は2015年3月29日【来年です】
うーん、随分先です。
チケットは即日完売。
行けないと思っていたら奥さんが都合つかずに行けなくなったブタネコさんがチケットを譲ってくれて、男二人で聴きに行きました。

 


彼女はメゾソプラノです。
メゾソプラノというのはソプラノに比べてレパートリーが限られていて、誰もが同じ曲を歌う上に声色にあまりバラエティが無く、よっぽど耳に親しんだ歌手でないと声だけで誰の声かを聞き分けるのが難しいものと私は思います。だけれど、私はソプラノよりメゾの陰影のある声のほうが好きなので今回聴きに来てみました。

声を聴いてびっくり。
この人の声は澤村翔子さんにそっくり。
ブタネコさんは「この人はメゾというよりソプラノだね」と言うように音域が広くて高い声は違いますが低い声は翳りがあってくぐもるような澤村翔子さんの声とよく似ている。

澤村翔子さんはリサイタルをしないのであまり多くの歌を聴いた事がありませんが、あの人が歌ったらこんな風なんだろうな、と思いながらモーツァルトを聴きました。休憩をはさんでドニゼッティになるとブタネコさんは「この人は音程に安定感がすごくあるけれどそれを敢えて高い音を少し外す所が魅力だね~」と言いました。「声の輝きも前半より調子が上がって全然違う」ともおっしゃいました。最後はロッシーニです。「今の歌声は」は澤村翔子さんが一度コンサートで歌った時にずいぶん誉める声があって、私は聴いた事がありませんでしたが一度聴いてみたいものだと長い間思っていましたが、きっとこんな感じなんだろうと、マリーナ・コンパラートの声で堪能しました。
もう澤村翔子さんの歌を聴く機会は一生ありませんが、思いがかなったような気がしました。

お客さんもとても満足したようで、拍手喝采。それに応えてアンコールを二曲歌いました。それがなんと、これも澤村翔子さんの歌で一度聴いてみたいと思っていたカルメンの「セギディーリャ」とサン・サーンスの「サムソンとデリラ」の定番のアリア。もう涙でました。お客さんの拍手もものすごく、マリーナ・コンパラートも感極まって泣いていました。そうしたら、もう一曲歌いました。
「楽譜を用意してなかったので暗譜で歌います」と言って歌ったのはまたしてもびっくりの「恋とはどんなものかしら」。澤村翔子さんはこのアリアをいつもステージで能面のような表情で自分の世界に没入して歌うので「オペラ公演だったらどのように歌うのだろう」と思ったものですが、2012年にはケルビーノを降板。もう二度と観る事は無いんだ、と思っていたのを、私の夢を知っていたかのように、澤村翔子さんとそっくりの声で、しかもチャーミングな振り付けをいっぱいつけて歌いました。これで思い残す事はもうありません。本当に良いコンサートでした。ブタネコさん、有り難うございました。



M・マリオッティの指揮で歌うロジーナ「今の歌声は」by マリーナ・コンパラート


ケルビーノ「恋とはどんなものかしら」by マリーナ・コンパラート



※マリーナ・コンパラートを個人的に紹介したい朝岡 聡プロデュースの追加公演があるそうです。
2014年3月18日(火)19:00開演 銀座 ヤマハホール

全席指定 前売7000円/当日7500円 ペア13000円・・・この値段では難しいでしょう。
補助金なしでヤマハホール333席を使うと、この値段になるんだなぁ。

まだ18日のチケットを買っていない方、このチラシをよーくご覧下さい。
project IRIS ジョイントコンサート vol.7に行ってきました。



紀尾井町サロンホールは約80席の小さなホール。利用料金もお手頃です。

開演前の様子


project IRISというのはチラシの写真の通り、若くて奇麗な音楽家ばかり七人のグループです。
全員をステージで見るのは今回が初めて。

前にも書きましたが、私がオーディオ装置とCDをすべて処分して、お金は音楽を生で聴く事に使う事を決心したのがこのグループのコンサートを聴いてからです。

昼と夜と同じプログラムを二回やりました。昼が満席になったそうなので、直前にチケットを夜の部に替えてもらいました。夜も満席になりました。

小さな規模でも、『自分たちの音楽』をお客さんの前で演奏する事を大切に思う音楽家、そういう音楽が好きなお客さん、両者が出会う場所がこのグループのコンサートです。

音楽家というのは、他人に雇われて自分の技術を切り売りするのではなくて、自分の考えた物を自分で作って人に見せるのが本当の筈です。リサイタルをやらない声楽家は表現者とは言えない。場所を借りるお金が無ければ街頭でやれば良いじゃないか、私が伴奏してあげる、と、ある声楽家に言った事があります。



40年ほど前、中学校の自分の美術の先生が毎年個展をしているのを知りました。
横浜の小さな画廊だった。展示してある油絵には値段がついていました。
個展て、お金かかるんですよね、と先生に聞きました。(子どもは何でもストレートです)
「全部売れても赤字なんだ」先生は言いました。
「でも世の中の人に見てもらう事をしないと表現者の意味が無いからするんだ」
と言いました。

忘れない会話です。


IRIS、皆さん私の娘の世代です。応援しています。
今日のテーマは「歌手」です。


2012.1.17に観た『ダークヒルズ恋愛白書』で澤村翔子さんが歌った“恋はやさし、野辺の花よ”を死ぬまでにもう一度聴きたい(澤村翔子さんの歌で)と思っていました。あの時は鷲尾麻衣さん目当てで行きましたが、澤村翔子さんのドナちゃんにすっかり魅了されたものです。「守ってあげたい」と思わせるキャラだった(ドナちゃんがですよ、念のため)

2月22日、23日の内幸町ホール 5000円は、お金が無くて行けませんでしたが、色んな人がブログで「面白かった」と言っているのを読んで、東大和市というどこだか知らない所で1000円でやる、というのを聞いて、急遽「これが最後のチャンス」と、にゃーを騙して二人で観に行きました。(にゃーは澤村翔子が嫌いなので(^^;)

内幸町ホールは連日満席だった、とのことですが、あそこは客席数183席の小さなホール。
東大和市民会館ハミングホール大ホールは714席ですからほぼ四倍。さすがに客席は三割程度しか埋まっておらず、客数は250人程度。1000円でも埋まらないものなんだな、それは東大和市というロケーションの所為ばかりでは無いでしょう。(知りませんでしたが東大和市駅のとなりの駅の近くには国立音楽大学があります)

澤村翔子さんは、むかし「公演は演奏家と観客が一緒に作るもの」
「だから私は録音した音楽というものに興味が無いのです」
と言っていた事があります。(2012年2月のこと)
それが実感されました。観客が盛り上がらないのです。これだけ大きなホールを笑わせるには演劇のパワーがまったく不足している。拍手もパラパラで、大丈夫なのかと心配になりました。同じ演目の筈なのに、内幸町ホールでは「みんなが笑った」というシーンで笑いが起こらなぃ。スベッてます。これは客層にもよるのかも知れません。内幸町ホールは若い女性客が多かったらしい。ブログで絶賛していたのは全員が女性です。しかもボッカッチョ …… 大山大輔(Br.)とランベルトゥッチョ …… 瀧山久志(Br.)のファンがほとんどです。こちらの公演はもう少し年配の人、親子連れ、音大生らしき若い女性、内幸町ホールで連日観たというおっかけの女性軍。

ストーリーを知りませんでしたが、何と、不倫ものです。
私は奥さんが夫を裏切るという話しはまったく受け付けられません。
欧州にはそういう文化があって、「奥さんを他の男に寝取られた男」という『単語』があるくらいですが、私にはそれを題材にして「笑う」という価値観がまったくありません。

しかも、その「他の男とセックスする」人妻役が澤村翔子。イメージが下がります。更にがっかりしたのはお目当ての“恋はやさし、野辺の花よ”は澤村翔子さんが歌うのではなく、もっと若くて可愛らしい富田沙緒里さんでした。澤村翔子さんは一昨年(2012年)に降板したケルビーノを演じる事はもう年齢から言って無いでしょう。あんなに素晴らしかった二期会マイスタージンガーのポジションも、こちらも小林紗季子さんに交替してしまった。そして、フィアメッタの役ももう見られない・・・。世代交替というのはこんなに速く進むものなのか。もう二度と澤村翔子さんの“恋はやさし、野辺の花よ”を聴く事はできないんだなぁ、と気持ちが沈みました。

その世代交替した富田沙緒里さんは、恋を知らない乙女の雰囲気にはぴったり。美人だし乙女チックなキャラがよく出ている。しかし、「観客を引き込む歌唱」になっていません。彼女は初舞台だからかも知れませんが、澤村翔子さんにはそれがいつもあった。澤村翔子さんにはカリスマがあるのです。それは努力や精進で身に付くものではなく、天性のものだと私は思う。その人が「旦那以外の男とセックスする女房」役とは幻滅です。役を選ぶ気は無いのだろうか。前回のこの団体の公演を観た時も思ったけれど、「これがこの人の本当にやりたい事、目指していた事なのか」と強い疑問と失望を感じました。イタリアまで留学したそうだけど、それは「世界に伍する歌い手を目指したから」ではないのでしょうか?



以前、澤村翔子さんの公演のレビューにこんな事を書いている人がいました。

「オペレッタの人と思っていたけれど見直しました」

芸術としてオペレッタを格下に見ている事が分かりましたが、実際この団体の公演を二回見たら、また、喜んでいる観客層を見れば、観客としてのターゲットに自分は含まれていない。そう思いました。それなら澤村翔子さんの目指す未来に、私はもう関心が行きません。

共演者のレベルと澤村翔子さんとの格の違いも明らかだった。ボッカッチョ役の歌手は、地声は素敵だけれど高い音になると急激に艶がなくなり、また同じ高い音を二回続けて外しました。声種をみたら「バリトン」と書いてある。バリトンというより「上の出ないテノール」でしょう。全体に下手な劇団の演技と同様のレベル。歌を歌っている時間は全体の20%程度。つまらないギャグ。スローな展開。

もっと出来る人なのに。そう思っていたのは私だけだったのかも知れません。角さん(音楽監督・演出)と何故まだ仕事をしているのだろう。仕事をくれるから、だけじゃないのか。目指す所が違う人だったから別の生き方を選択した、と思っていましたが、「別の目指すもの」というのが澤村翔子さんからはもう感じる事がありませんでした。

1000円なら許せるが、内幸町ホールで5000円だったら、許せない内容でした。

帰り道、にゃーはすっかりご機嫌を悪くしました。「私の時間を無駄にされた」
スマン。。。


こちらでこの日の様子が一部試聴できます。
以前から気になっていたソプラノの菊地美奈さんが企画も歌もMCもやってしまうというコンサートがあるのを知って、にゃーと二人ででかけてきました。



ガラコンサートというのはアリアばっかりをコンサートの主旨に合わせて演奏するコンサートのことで、目的は2つ考えられます。

(1)愛好家をターゲットに、定番の歌を自分たちの個性と魅力で楽しんでもらう事。
(2)まだオペラのことをよく知らない人に啓蒙する事。

どちらに重きを置くかによって、コンサートの曲目や時間、歌手、お喋りが非常に変わるはずですが、このコンサートはMCの内容から(2)に重点がかかっていたようだけれど、歌手の技量が非常に高くて、耳に馴染んだ曲も刮目させられるような歌唱が続いて期待を遥かに上回る非常にハイレベルのコンサートでした。

歌手はみんな初めて聴く人ばかりでしたが、みんな良かった。特に、大野康子さん(ソプラノ)の歌はソプラノの見本のようです。愛らしくて技量も高くて、金山京介さん(テノール)との「けんかの二重唱」は嵌り役です。今しかできない役が光っています。水上恵理(ソプラノ)さんはドラマティックなソプラノが得意のようで、トスカのアリアや蝶々夫人の二重唱がとても似合っていた。コンサート後半の最後にデュエットばかりをつなげて、歌手の組み合わせによる味わいの違いを展示するというプログラムの作り方にも感心しました。テノールの澤崎一了さんはバスかバリトンかと思うような舞台姿でしたがテノールなんです。味わい深いです。もう一人のテノール北嶋信也さんは、私の個人的なテノールの趣味で言うと、声質が最高に魅力的です。声に裏声の輝きが混じっているんです。ドイツ車の警報器のような声音です。誰のようなといえば、ヴィラゾンとかカレーラスのような、要するに高音部に女性的な声音が入っているという声なんです。日本人でこんな声質をしているテノールは初めて聴きました。好きです。

しかーし、やっぱり企画しているだけあって、菊地美奈さんの声は別格に押し出しが強かった。声量もあるし、表現力が図抜けていました。舞台人はみんな度胸があって当たり前ですが、頭も良くて喋りもできる、なんてオペラ歌手は素敵です。もうちょっと落ち着いて話してくれると満点です。

にゃーも、最近は外国から来るオペラ歌手を連続して聴きに行って日本の歌手には興味を失いかけていましたが「今日の人達はとっても上手だった」と満足気のようでした。

※ピアノ(瀧田亮子さん)も菊地美奈さんとケミストリーが合っている様子が伺えてとても良かったです。

次回はVol.4 2014年6月18日水曜日18:30開演だそうです。是非どうぞ。
全日本学生音楽コンクール声楽部門大学の部(決勝)@横浜みなとみらいホール 2013.12.3で三位に入賞した川口真貴子さん(メゾソプラノ)に注目していましたが、コンサートに出るのを知っておっかけに行きました。亀有はおまわりさんの漫画で有名な葛飾区の亀有です。



登場するのはこの四人。川口さんを見るのは二度目、他の人は初めてです。

コンサートの主旨はタイトルのようにオペラのエッセンスを紹介することです。結論から申しますと、上原さん(企画・テノール)のトークが分かりやすく、面白く、耳になじんだ曲ばかり、長過ぎず短すぎずで、とても良いプログラムでした。もっと頻繁にあちこちでやれば良いのに。中学校を巡回するとか。

曲目です


川口さんは最初に「フィガロの結婚」のケルビーノの「恋とはどんなものかしら」を唄いました。このアリアについては何度か私論を書いていますが、結論から申しますと「こんなにケルビーノのキャラクタにぴったりの歌手は初めて見た!」です。ボーイッシュな美人さん。十代の頃のジョディ・フォスターに似ています。笑顔が可愛いです。「恋とはなにかしら」を唄う男の子の雰囲気にこんなにぴったりの人は世界にも二人と見た事がありません。この歌唱を聴いてしまうと、改めて、ケルビーノは唄える時期というものが存在するんだなぁ感を深くしました。結婚している人には無理です。まして子どもがいる歌手さんにはこの役はもう来ないでしょう。
このアリアの唄い方については私は一家言あるんですが、【ケルビーノは唄い初めと唄い終わった時では別人になる】川口さんは後半の「内面の苦しみの吐露」が出ずに最後まで可愛らしく唄った。美人さんだから「内面の苦しみ」を経験していないからだろう、と思うと同時に「この可愛い人にそれは経験させたくない、知らなくて良いじゃないか」と、自分の娘と同じ年頃の川口さんを見ながら思いました。笑顔が可愛くて性格もよさげな子です。ハバネラはまだ無理だが、これからも頑張れ!

見角悠代さんは、名前が読めません。みかどはるよさんらしいです。芸名を使ったらどうでしょうか?
写真も美人ですが、写真よりもっと美人でした。どこかで見たような、、、、と思いましたが、「相棒」の若い刑事の恋人役のCAの人(笛吹悦子役。真飛聖さんというそうです)に似てます。ませんかね。二期会会員だそうですが、美貌も実力もトップに入るでしょう。コロラトゥーラがこんなに回せる歌手はそういません。今まで知らなかったのが不思議なくらいです。しかし、こんなに上手い人でまだ知らない人がたくさんいるのかと思うと、この仕事は大変だなぁと思いました。魔笛の例の超絶技巧アリアもさらりと唄いのけましたが、声質が軽くて美し過ぎで、あのデモーニックなキャラには奇麗すぎる人のように感じました。別の役のオペラ公演を観てみたいです。

上原さんの歌も良かった。「誰も寝てはならぬ」を唄いましたが、このアリアはとっても難しく、この役を全幕通して演じれる人は多くはない(誰でもできる役ではない)という話しをされていました。声楽家と言っても誰でもがオペラ公演の舞台を全幕歌い切れる分けではないという話しを本職の人から初めて聞いて、やはりそういうものなんだなぁ感を強くしました。マラソンみたいなもんでしょう。最後まで走り切れるかどうか、走ったことが無いと分からないのに走ってみるチャンスもなかなか無い。降板する人がよくいるのもそういう理由なのかも知れませんね。

このコンサートは企画も歌手もピアノもとっても良かった。是非、子ども達の啓蒙活動として助成してあげて欲しいと思いました。誰がそういうことの担当者なんだろう?文科省?

最後までお読み戴き有り難うございました。
アウロラ・ティロッタ(ソプラノ)
斎藤雅広(ピアノ)



プログラム
プッチーニ:ラ・ボエームから『私の名前はミミ』“Mi chiamano Mimì” - G. Puccini
ビゼー:カルメンから『何を恐れることがありましょうか』 “Je dis que rien ne m'épouvante” - G. Bizet
ロッシーニ:湖上の美人から『胸の思いは満ち溢れ』“Tanti affetti” - G. Rossini
プッチーニ:トゥーランドットから『氷のような姫君の心も』"Tu che di gel” - G. Puccini
チレア:アドリアーナ・ルクブルールから『私は創造の神の卑しい僕』"Io son l'umile Ancella" - F. Cilea
----------------
プーランク:村人達の唄-2.祭りに出かける若者たちは“ Les gars qui vont à la fete” – F. Poulenc
パブロ・ルーナ:スペインから参りました“De Espana Vengo” (Cancion Espanola) - Pablo Luna
プーランク:愛の小径“Les Chemins de l’amou” – F. Poulenc
カプア:あなたにくちづけを“I te vurria vasà” - E. di Capua
デ・クルティス:忘れな草“Non ti scordar di me” - E. de Curtis
ロッシーニ:踊り~ナポリのタランテラ “Già la luna è in mezzo al mare” (Tarantella) - G. Rossini

アンコール
ジャンニ・スキッキ:「私の愛しいお父さん」
ナポリ民謡:「オーソレミオ」


プログラムを見てもどこの国の人かが書いておらず、
東欧系なのかなとも思って聴きに行きましたが
まごうことなき、イタリアの元気印のお姉さんでした。これはもう、イタリア人にしか唄えない歌唱に少し圧倒されました。あの押し出しの連続は日本人にはとてもとても真似できないものがあります。こういうのを聴いてしまうと日本人のオペラ歌手はしょせん真似事の領域を出られないと感じます。もう、声量から桁違い、日本人の2.5倍は出てます。(注:声量は「押し出し」のただの一部です)

ただ、フランス人の真似はあまり上手ではなかった。本領はイタリアオペラと民謡です。
二曲目にカルメンからミカエラのアリアを唄いましたが、まったく気に入りませんでした。初めて聴く人が「この曲は素晴らしい」と感動して曲名をメモして帰る、というような歌唱ではありません。なにしろ、元気すぎるのです。ミカエラは、もっと「助けてあげたくなるような女の子」でなければならない。この人の歌は「これから山賊のいる砦にひとりで行くのだわ、心細くて怖くて仕方が無い、でもオーソレミーオを唄えば平気よ!オ~ソーレミーオー!」なのです。イタリア訛りだし。そこへ行くと、やっぱり不動の世界一のミカエラは大隅智佳子さんです。私は初めて聴いたとき、名前と役名をメモして帰りましたもの。あれから何人ものミカエラを聴いてますが、あれ以上の歌唱は世界にもいません。

前半の歌唱はその押し出しに気押されてぐったりしました(笑)
お茶漬けは食べてないだろう、という歌です。
しかし、後半は身体が慣れてきてやっと楽しむ余裕が出ました。
帽子をかぶったり、踊ったり、エンターテイナーです。まだ29歳とは思えない貫禄です。

プーランク:愛の小径“Les Chemins de l’amou”も良かった。あんな歌を女性に歌われたら、男として以下割愛。
デ・クルティス:忘れな草“Non ti scordar di me”も、元気印のお姉さんがこんなにしっとりと唄えるものか、と感心しました。そのギャップが大きいこその味わいがあるです。(詳細説明割愛します)

先日のエカテリーナ・サダヴニコヴァ(ソプラノ)のロシア人らしい歌唱も素敵でしたが、まったく味わいの異なるこの人の同じアンコール曲ジャンニ・スキッキ:「私の愛しいお父さん」も良かった。そして最後の歌がオーソレミオ。中学生の時からイタリア語の歌詞を暗記して親しんだ歌ですが、日本人の歌とまったく別物です。「私の身体は太陽の光で育ちました」という歌唱。もう眩しくて眩しくてサングラスをかけたいくらいでした。そんな歌手は日本にもロシアにもドイツにもフランスにもいません。


名前を聞いた事の無い歌手さんでしたが、一夜の為にわざわざ呼んでくれて、武蔵野文化事業団には感謝します。いつも有り難うございます。


★一曲目に携帯電話を鳴らした客がいました。歌手さんは歌唱中だったので「これは何の音?何の音?また鳴った?なに?」という表情をしてました。
先日に続けて二度目。開演前に確認のアナウンスしてください>武蔵野文化事業団