軽井沢のタリアセン内のアントニン・レーモンド夏の家(1933年建設で国の重要文化財指定)と戦後1962年に建てられた「新スタジオ」の両方を訪問できるというイベントに参加した。

説明してくれたのはレーモンドの愛弟子である建築家の北澤興一さんである。私にとって初めて聞く話で、興味深かったこと等を紹介する。

 

1 夏の家

この別荘を見て、旧軽井沢の聖パウロ教会の設計の依頼が来たという。

かつての夏の家をタリアセンに移築したが、オリジナルは3メートルほどの丘陵の上にあったが今は平たんとなっている。また南向きであったものは、今は池に面しているが、方角は異なる。(そのためか建物の写真を撮ろうとするといつも逆光気味でフレアが出ると妙に納得)

この2点の相違を直す動きがあるそうである。そこまでレーモンドの意志を守ろうとする関係者には頭が下がる。

 

 

2 新スタジオ

こちらは北澤先生の所有で、一般公開されてはいない。よって訪問者の関心も高かった。緑に覆われ外観が見渡せないのが残念。軽井沢ではよくあることですが。

 

中央にコンクリートの暖炉がある。立派さに圧倒されるが、これは柱の役割も果たしている。全くの円形にすると窓などが取り付けられないので12面体とした。

天井の丸太は当時工事現場で足場に使われていたもので、安く入手することが出来た。

 

レーモンドは7,8月の丸々2か月滞在したが、その間仕事をしなかったわけではない。建物の基本設計を行い、9月に東京に戻って実設計を行った。私の母校上智大学7号館の基本設計もここで行ったようだ。

またレーモンドは2か月間は全く東京に戻らなかった。用のある人は向こうから出向く必要があった。

 

軽井沢にはレーモンド自身とノエミ夫人それぞれの女性秘書と、4人の若手デザイナー(含むは北澤先生)が同行し、離れのふた部屋で生活した。こちらであろう。

 

別荘の軒先。秋ですね。

 

新スタジオは戦後の建築なので、戦時下を中心に研究する私には若干時代が違うかと最初は思ったが、十分に期待に応えてくれた今回の見学会であった。

 

私の地元で筆者の訪問したところでは、取り壊しの決まった伊勢佐木町の不二家エリスマン邸フェリス女学院10号館などがある。

 

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