元町公園の始まりであるせせらぎ広場から、山手本通りに面するエリスマン邸にかけて、かつては77番から順番に81番まで上がっていったのだが、これらの地番は、現在は存在しない。
元町公園全体が元町1-77ーXで統一されている。枝番の77はかつての山手町77番の名残であろう。
 
旧77番あたりがせせらぎ公園。フランス人ジェラールが、ここからわき出る良質の天然水を居留民や内外船舶に飲料水として供給していた所で、当時は「水屋敷」と呼ばれていた。
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その脇には大正映活の撮影所(1920~22年)があった事を物語る碑が立っている。昭和の文豪谷崎潤一郎は同社の文芸部顧問に就任し、住まいは山手267番Aであった。
1921年の地図では77番の中に200番という新しい地番が入っている。これが大正映活の場所という仮説はどうであろうか?
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他に塗料発祥の地という立派な碑もある。日本人はそれにしても~「発祥の地」という碑が好き!?
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78番には1943年には、戦時下にもかかわらずエル・ニートマンという無職のアメリカ人が一人で暮らしていた。その後七沢温泉で抑留される。78番には民家があったのであろうか?
 
またこの辺りに、ブラフ溝(明治7年から8年にかけて敷設された排水溝)の一部も展示されている。
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元町プール、弓道場に続き、山手80番館遺跡がある。横浜に現存する唯一の震災前の外国人住宅の遺構。1923年の関東大震災で崩壊し、その後100年近くこのような姿をさらしていることになる。クラウドファンディングで再建資金でも集められたら良いのだが、、、
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旧81番あたりは現在エリスマン邸。しかしこれも移築だ。生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人格として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマンの邸宅。
1925年から1926年にかけて、山手町127番地に建てられた。こちら
設計は「近代建築の父」といわれるチェコ人の建築家アントニン・レーモンド。
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補修中のエリスマン邸(2019年7月)
補修を終えたエリスマン邸(2022年2月)
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