服部文祥が、鹿性の生き方について、何かの本に書いていた。
鹿は撃たれて死ぬその瞬間でも生きることに集中している。
そして昨日のことも明日のことも考えていない。
つまり、人間以外の生き物は人生設計などはあるべくもない。
出来るものなら、今だけに集中する、そんな生き方をしてみたいものだ。
しかし、人間はあれこれと生きる算段を考える。
山で狩りをして暮らす熊爪には、集落で暮らす人たちのようには生きられないと感じている。
こんなきれいな血が、鹿の中にも、熊の中にも、自分の中にもたっぷり満たされている。
俺たちみんな、この血を入れておく袋みたいなものかもしれん。袋が飯を食い、糞をひり、時々他の袋とまぐわって袋を増やしては死んでいく。
熊爪はそのように考えると、生き物というのはそんなものなのだと不思議と合点がいくような気がするのだった。
ともぐい 河崎秋子著 冬山の主より抜粋
どこかで生まれ、捨てられ、山で暮らす男に山での生き方を叩き込まれながら生きてきた熊爪は、日々狩りをしながら、それを捌き、食い、皮や干し肉を売る為にだけ山を降りる。
白糠の町には、鉄道が作られ、炭鉱が出来、下界の集落も人が増えて来る。酒に酔った男達が獣臭い熊爪を冷ややかに一瞥する。
集落一の金持ちである商店で皮や肉を売り、山での話しを聞きたがる店主に付き合って酒や馳走をもてなされ、銃弾や米を買い、山へ戻る。
そんな暮らしをしている。
穴入らずという冬眠をしない熊に襲われた男を山で拾うことから、熊爪の平穏な山暮らしがズレ始める。。
なんと言っても、この小説のキモは、壮絶な熊の恐ろしさ、迫力、存在感である。
特に、こんなに最近ニュースになる熊での被害と相まって、臨場感ある恐怖である。
特に拾った男への熊爪の荒っぽい対処は余りの強烈さに卒倒しそうになる。
穴入らずのよそ者の熊の退治に向かった熊爪は、穴入らずとまた別の赤毛の熊の争いに巻き込まれ、大怪我を負うことになる。。。
あらまた、ストーリーを全部言っちゃってー。と、思うなかれ。
話しはここから、ずっとディープな領域に入って行くのだ。
そう、人は何かに関わらなければ生きていけない。。
獣のように生きてきた、その哲学を持って生きていた熊爪が、それまでと同じように暮らせなくなっていくとしたら。。
鹿であれば、過去も、未来もなく、撃たれて動けなくなっても、生きることしか考えていない。
そして、それは熊も同じ。
自分を傷つけた者にさえ、恨みなどはない。。
しかし、人間は、関わり合う事によって、その感情は憎しみや諦め、裏切りや欺きなど、いろんな感情が溢れ出す。。
熊爪が関わることになった陽子との暮らしの果てこそ、ある意味、獣の選択であったのだろうか。
ラストの展開は、ひどく揺さぶられるものがあった。(理解しがたいような、理解できるような、、)
前半のワイルドな展開と、後半の魑魅魍魎な妖しい展開が、その物語を一気に読ませる。
人間はあれこれと生きる算段を考える。。。
逆に言えば、人間はあれこれと死ぬ算段を考える。。。
特筆すべきは熊爪の相棒、名もなき犬の存在である。
犬好きには、彼の一つ一つの行動や仕草は、愛らしすぎる。
飛行時間15時間をぶっ通しで一気読み。
退屈しない時間であった。