自分が生きるための判断 | 自分に勝ちに行く!!

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聞くことは、人を豊かにする。話すことは、人を機敏にする。書くことは、人を確かにする。自分の心の内側を、書くことで確認して行こうと思います。つれづれなるままに、テーマもなく...?.。心の引き出しを増やそうと思います。

サバイバルな時代を通り越して来てなお、オトコには「獲物顔」になる時がある。。。の、関連記事
                                2009年02月09日










現代においては,生活するということは、文明のなかにいて、ほとんど己の野性を感じることなく生きていける。

本来であれば,餌を探し,獲物を捕らえ,殺し,解体し,食料にして,空腹を満たすという工程があり、生活する、ということは、つまり、一日を、「食べるものを準備すること」に意識を注ぐことなのだろう。

それを男がするのだとすれば、女は、男が運んで来たものを調理し,保存し、食卓を整える。

生きる、ことを原点でとらえると、ただ一点、餌を取り,食べる,ことにつきるのだと思う。

ところが、現代人には,餌を探し,捕る,という意識は全くと言っていい程、なくなってしまった。

誰かが,用意し,並べたものを、私たちはお金を払って買っている。生きる事が,捕ることではなく、買うことになっている。文明は,人間の基本的な生きる力を萎えさせているのではないのか?

人によっては、食べることにまったく興味がない。サプリメントで済むなら,それで済ませたいくらいだ。というひともいる。

土曜日の新聞を読んでいたら,「サバイバル登山」という文字が目に飛び込んで来た。「異見新言」というコラムに、登山家の服部文祥というひとが、生+死=命 だから面白い という見出しで、書いていた。

チャリが、この人,同じ題名で,本出してるよ。と言う。ソロで行く登山家で,ラジオ、時計、ヘッドランプなど、電池で働くものは一切携帯しない。テントも燃料もコンロもなし。食料は米,味噌、基本調味料のみ。道のない大きな山塊を長期間歩く。イワナや山菜,ときにはカエルやヘビなど食べながら、南北の日本アルプスや,日高など、大きな山脈をひとりで縦断するという。

うわっ。コンロも持たずにへびやカエルも食べるのー?と、思ってびっくりしたが,どうやら、火の起こし方は知っているらしい。少し安心した。

考え方は,先だって書いた,イントゥザワイルドのアレックスに似ている。自然の与えたものだけを食べて,山の中に入っていく。
うわー。身の安全を一番に考えず,自然と一体になりたい人って,けっこういるんだなー。いつか、死ぬよー。と思いながら読み進む。

生きる事に関して,何一つ足りないものなく育って来た。そんな小ぎれいで暖かく,食べ物があふれた生活に,とこかでやましさを感じていたのだと思う。と、言っている。

山に棲んでいるものや生えているものをとって、自分でさばく。たき火をおこして獲物を調理し,落ち葉を集めてその上で眠る。それが、生きている,という実感を与えてくれる。と言う。

彼の生き方自体に共感するところはないのだが、ただ、やはり、都会での生活は、生きる,とか、食べる,という基本が、歪んでいることは、実感出来る。

食べる為に生き物の命を奪う行為は、少し前までは誰もがやっていたことだ。
しかし、現代都市生活ではほとんど経験できなくなってしまった。
「殺す」のは気持ちがいいものではない。専門の場所でまとめてやった方が,効率もいいのだろう。しかし、体験を手放すと,それにともなう感情まで手放すことになる。効率と快適を追い求めることで、私たちは生きる為の根源的な体験と感情を失ってしまったのではないだろうか?
         朝日新聞 異見新言より 服部文祥著

たしかに、いろんなものに蓋をして,現代人は生きている。
その体験を持たないまま,生きる,という内からのエネルギーは、どんどんと希薄になっているような気がしている。
それについては、彼の思いに共感できる。

現代文明は時に、死を全面否定しているかのようにわたしの目にはみえる。食べるためや人の生活を支えるために殺している動物の死を隠している。人間の死も隠す。だが、死を否定すると命そのものの存在がなくなってしまう。
死ぬ可能性があるから命である。

幼い頃、自分の生活のどこにズルさを感じていたのか、今では少しわかる気がする。頭や体を使わなくても生きていける生活そのものに疑問があったのだ。
受験戦争盛んな頃に思春期を迎え、それなりに頭は使っていたつもりだった。

だが、自分が生きるための判断は、ほとんどしていなかった。

          朝日新聞 異見新言より 服部文祥著

「生きる」ために考え,「生きる」ために動く。「生きる」ことを基本として,わたしたちは、生きているのか?

自分の人生において、自分がゲストであってはならない。