


思い出したのだが、87年にサンディエゴで借りたアパートメントは、プール付きのコンドミニアム(集合住宅)であったが、据え付けになっている絨毯は、蚤の大群がいた。
ブンカを卒業して、決まった就職先であるアメリカのサンディエゴには、結局4月から10月末までいただけだ。
最初の3ケ月はサロモン夫妻の家にホームステイしていた。
英語もしゃべれないのに、アメリカに根を生やすつもりであった、、、。
家の整理も何もする時間なく先に出発したわたしの後に残り、4年半住んだアパートを引き払い、荷物を整理したのはチャリだった。出発の当日に結婚届を出した。
そしてその日はわたしの誕生日でもあった。
チャリが仕事を辞めてサンディエゴに来たのが7月。
それからアパートを探した。
ちょうどボスのアンドレもラホヤに住んでいて、環境のいい地域だったので、そこでジェニーにつき合ってもらい、いくつかの不動産を回った。
しかし、滞在してまだ日が浅い日本人になかなか部屋を貸してくれるというところはなかった。
デポジットを1000ドル支払えば1300ドルで貸してくれるというところが見つかり、当時YENは150円くらい。
165円の時に就職が決まって、急激にどんどんYENが高騰している頃だった。サンディエゴを離れる時は122円くらいまでになっていた。
部屋を見せてもらった。
部屋は2ベッドルームでリビングとダイニング付きで、明るく感じが良かった。
ジェニーは、サンディエゴでアパートを借りるのにデポジットなんてとられないよ。と、言ったが、出る時には返してくれるのだし、取りあえずそこに決めた。
集合住宅全世帯で使用出来るプールが敷地の端についていた。
引っ越しは、荷物など何にもないので簡単だった。そのあとすぐに、会社を辞めたウスイと、新婚のタチキさんがやってきた。
その明るい日差しが差し込む部屋を見て、うわー。素敵だねー。広いねー。と、2人は絶賛した。(なんたって、タダだし。)
しかし、住んでみてわかったのだが、その部屋には、蚤がいた。
もといた人がペットを飼っていたのか、それともアメリカには、蚤がけっこういるのか、それは不明である。
それも、目に見えないくらいの小さい蚤で、最初は、ダニがいるのかと思っていた。
チャリが履いていたグリーンのエスパドールサンダルをじっとみると、絨毯から、ぴょんぴょん跳ねてその上に飛び乗る蚤が何匹も発見出来た。
ギャー!!と思ってオスコドラッグに行き、殺虫剤コーナーにいったら、蚤用の殺虫剤がずらりと並んでいた。
あちこちにそれを撒いたが、らちがあかず、ジェニーを連れ立って不動産屋へ行き、クレームを付けた。不動産屋は慌てた様子もなく、すぐに蚤処理の業者を手配した。
マスクをした業者はただちにやってきて、掃除機のような機械をひきずりながら、あるものかまわず手当り次第に白い粉を噴射した。(これ、絶対DDTだよ!!)
おかげで一日4人はずっと外で過ごした。
その粉のおかげで、ものすごい数の蚤は少しは影をひそめた。
しかし、絨毯はそのままだし、絶滅するわけでもなく、蚤は、わたしたちと共存する形でそこにいた。
ダイニングのテーブルにみんなあぐらをかいて食事をした。
そのうちに、タチキさんのダンナさんも、出張のついでにやってきたっけ。(総勢5人)
アメリカに来ているのに、日本にいるのと全く同じメンバーでワイワイやっているのが不思議だった。 (英語はますますダメになった。)
それはともかく。
団らんの時は、ワイワイやりながら、皆、どこかしら掻いていた。
たいてい短パンの素足は、蚤に食われてかきむしったあとが残った。
チャリを除いた3人が日本に帰った1ケ月ほど後に、わたしの契約もおじゃんになった。(わたしのせいじゃないよ!!)
日本に帰ってからも、しばらくはその蚤に食われた傷跡が、無性に痒く、せつなかった。
ラホヤのアパートの思い出は、蚤とともに、ある。