その懐は沁み入るように、深くおおらかで、そして、撥ね付けるように、厳しい。 | 自分に勝ちに行く!!

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聞くことは、人を豊かにする。話すことは、人を機敏にする。書くことは、人を確かにする。自分の心の内側を、書くことで確認して行こうと思います。つれづれなるままに、テーマもなく...?.。心の引き出しを増やそうと思います。













変わった人物としかいいようがないが、山岳雑誌の「岳人」の編集に加わっている服部文祥の言うことはものすごく興味深い。

この人の著作に「百年前の山を旅する」という本がある。
百年前の人たちがどのようにして山に登っていたかを、その当時と全く同じ装備と服装で、旅の手記として残されている記録を辿ってみる。という本である。

編み笠にわらじ履きのパッチ姿で拾い集めた枯れ枝で火をおこし、テントもなしに野宿したりする。本気(マジ)でやっているのが恐れ入る。本にはその姿で生の鮭をかぶりつく姿も写っている。目がワイルドである。

本人が書いたあとがきが面白い。



その近づいたさきで、私はずっと疑問に思いつづけてきたことの答えをひとつ見つけ出した気がしている。その疑問とは安全快適便利が幸せではないのでは?というものだ。

幸せは(一般的に考えられているように)快楽をともなう感情に付随するものではないと私は思っている。

すこし前から私は、狩猟で鹿を撃つことは必ずしも残酷だとはいえないと主張してきた。撃ち殺される瞬間だけを見れば残酷だが、狩猟は鹿の「鹿性」を踏みにじる行為ではない、というのが狩りをとおして私が感じてきたことだった。

狩猟は一方的な殺戮ではなく、鹿はその存在に狩られる可能性を含んで、かつしたたかに生きている。

狩られる可能性を含めて、鹿が自分の生き方(鹿性)を肯定しているとしよう。ならば人の人間性はどうなのだろう。

我々は人として正しくあるといえるような生活をしているのだろうか。そんな疑問に対する答えが、昔の人たちのあり方に含まれているような気がした。われわれからすれば、安全でも快適でも便利でもなかった時代。だがその時代の人々が不幸だったとは思えないのだ。

幸福感とは人が正しく人として存在する実感の中にあるのではないか______。私の思索もまだまとまってはいない。

         百年前の山を旅する 服部文祥著 あとがきより抜粋


殺される側のケモノたちも、狙われているときに、殺されたくないと思っているのはまちがいない。撃たれても、即死でなければ、どこまでも逃げようとするし、追いつめられた場合は、反撃にくることもある。急所に弾が当たってさえ、最後の1歩まで逃げ、闘おうとする。

鹿やイノシシや熊にとって、最大の脅威は人間である。中略 そんなケモノたちが、生命を脅かす要素(人間や気象状況)に対して備えているそぶりはない。

それは人間以外の生き物が時間の概念をもたず、未来を見通す能力がないからだ、というのはもっともな説明だ。だが、見方を変えれば、諦観していると考えることも出来る。
彼らはすべてを受け入れているとしたらどうだろう。

まるで生きるということは、そういうことであると悟っているとしたら、、、、。

シーズンには狩猟者につけ狙われ、雪の多い年には死ぬかもしれなくても、受け入れている。いや、受け入れる受け入れないではなく、ケモノにとっては世界も自分もおそらく「そういうもの」なのだ。



それでも私は現時点で(あくまで現時点だが)、生きるとか、いのちとかは元もとそういうものなのだと、確信している。

   百年前の山を旅する 服部文祥著 文庫のためのあとがき より抜粋



3連休、チャリとミヨコさんと3人で唐松岳から五竜岳の縦走に出かけてきた。

今年の夏は天候不良の日が続き、ひさびさに太鼓判の天気予報にココロははずむ。

車を遠見に置いて、タクシーにて八方スキー場へ。タクシーの運転手さんがこの3連休の人出はどこもすごい。と、話していた。みんな、この日を待っていたんだ。

唐松岳はこれで3度目。スキー場のリフトを利用して、かなり上まで上がっていけるので比較的初心者でも簡単に登れる。

登山道は蟻の道のように、見えるところはずーっと登山者の列が続いている。
色とりどりできれいである。

ミヨコさんは10日ほど前に涸沢から奥穂高岳の単独テン泊登山を果たして来たばかり。しかし疲れも見せず、絶好調である。

整備された木道をケルンをひとつずつ確認しながら登る。秋めいて冷えた空気とまだ夏の熱が残る大地の寒暖の差で晴れているのにガスがもくもくと沸いてくる。
八方池では、やはり目前の鹿島槍の勇姿は見えず、ここはこういう地形なのだと悟る。

3時間半ほどで唐松山荘に着き、受付をすませてから唐松岳の頂上にも空身で登る。

山荘の人がこのシーズンで一番の混雑だと話している。今年の夏はからきしお客さんが少なかったそうだ。この日が掻きいれ時である。

小屋は9コの枕の5枚の布団に10人となる。

高山病はですね。とにかく、昼寝をしないこと、と、身体を冷やさないようにすること。らしいですよ。と、ミヨコさん。

寝ると呼吸が浅くなるのだそうだ。高度にいて早く寝てしまうということは、酸素の取り込みがさらに悪くなるということ。

ミヨコさんは山に入った翌日の朝はたいてい食欲がなくなる。それを、山に着いてから、すぐに昼寝をしてしまうからと自己分析していた。
文庫本を持って、出来るだけ起きているようにする。と話していた。

初日の唐松岳山荘までは3時間半、そのあと唐松岳頂上まで往復して2時間弱。

体力的には余力も残って、夕食前まで話が弾んだ。

そこで話されたのが、さきに述べた「鹿性」について。

人間が、その欲求にかられる「旅」への意識や「冒険」などの挑戦、若者が大人になるためにする儀式のような、野生に戻り自分を見つめ直すための行動は、その「鹿性」にいえるように、そこで起きうるなにもかもを受け入れる。というものを含んでいる。

つまり、自然の中に入っていくわたしたちは、何か究極のことが起きうるかもしれない、という覚悟も含めて、そこへ入っていくということ。

もちろん、それは経験や判断力など、より野生のカンを取り戻して、危険を避ける努力や注意は怠らない。

しかし、その中へ足を踏み入れ続ければ、何処かで自然の驚異にさらされる確率も高くなるのだろう。

わたしたちはすでに若くはないが、若者たちにとっての旅や、冒険(それらは社会やモラルにそむくような、自然とは関係のない冒険かもしれないが。)は、もしかしたら、自分のギリギリのボーダーラインを知るための成人の儀式であるのかもしれないのだ。

生きている実感、というのだろうか。

自分よりも遥かに大きな存在である自然に向き合ってみると、その懐は沁み入るように、深くおおらかで、そして、撥ね付けるように、厳しい。

このちっぽけな自分を顧みて、謙虚な気持ちに戻れるのである。


さて、10人ぎゅうぎゅうで横になったお隣組は、初めて親子で山に来たというお父さんと娘さんのふたりであった。
すでに娘さんは家を出ていて、山好きのお父さんに誘われて、新宿で待ち合わせて電車で来たと言っていた。

電車だと、始発に乗ってもこの時間になってしまうんですよ。と、4時くらいに同じ部屋にあてがわれてやってきた。

饒舌なお父さんとしばし会話し、70歳とは思えない元気さで、東京マラソンにも8回出場だそうだ。(協力会社のツテの枠などあるらしい。)
わたしたちとの会話が途切れた後は、お父さんの話をうん、うん、と、娘さんが笑顔で聞いていた。

10人並ぶ時に気をつかうのは隣が女性が来たらわたしかミヨコさんが横に行き、男性が来たらチャリ、わたし、ミヨコさんという順番で横になる。

お父さんが横に来たのでチャリがそちら側へ行った。

5つの布団に10人が横になる。当然身動き出来ない。その夜は山登りよりきつい仰向け地獄の夜であった。膝を曲げるスペースもなく、腰が痛くなると立て膝をしてしのいだ。
寝ているのだろうが、ちょくちょく身体の痛みで目が覚める。

あまりに辛いのでトイレにも何度か起きた。

翌日、まんじりともしないチャリが言った。

昨日はさ。隣のお父さんとほとんど重なってくっついて寝てたよ。。。
だってお父さんはさぁー。さすがに娘さんにくっついては寝られないもんねぇー。

そうだった。夜中に起きたときに、足の方に頭を向けて反対側になって寝ている娘さんとお父さんの間はやけにすき間があったような。。。

お父さん。娘さんに気を使ったんだなぁー。

こんなに窮屈な体勢で寝たのは高天原以来だろうか。。かなりな非日常を楽しんだ。。。???

そして素晴らしい朝日に迎えられて、翌日が始まるのであった。