「ショー」としてのライブ、ではなく、「生き様」としてのライブ、を | 自分に勝ちに行く!!

自分に勝ちに行く!!

聞くことは、人を豊かにする。話すことは、人を機敏にする。書くことは、人を確かにする。自分の心の内側を、書くことで確認して行こうと思います。つれづれなるままに、テーマもなく...?.。心の引き出しを増やそうと思います。












ライブで知り合ったひかりさんは、こんなコトを言っていた。

うちは男の子2人なんだけど、イズミヤさんを見てると、下の子どものことなんかも理解出来る気がするんだよね。。。

なんていうの? 下の子は何考えてるかわからないっていうか、男の子なんだよね。枠にはまらないのね。

こちらは親だからなんとかして枠にはめたいって思うじゃない。でも、イズミヤさんを見てると、なんとなくこういうのもいいんだなぁって。
イズミヤさんって、ほんとに「男の子」って感じじゃないですか。。。

3連休で山へ行ってたのでライブレポが出遅れ。

なので、もうひとつのライブレポから。


新宿RENY、出来たばかりのイベントホールで行われた泉谷しげるオルタナ・ロックナイト。

オルタナティブとは、「もうひとつの」とか、「代用の」という意味らしい。

つまり、これも「ロック」なんだ。という表明のセットリストなのだろうか。
セットリストの前半はほぼ70年代に作られたフォークの楽曲の中から選曲されている。つまりは、「フォーク」とされてきたものも、そんなつまらない「枠」からはずしてしまえばロックになるのだ。

しかし、ファンのほとんどは、その、オルタナティブと題名されたライブに過剰な期待をしていたのかもしれない。

なにか、見たことがない究極の「ライブ」が展開されるのではないかと、出かけて来た人も多かったようである。

考えてみると、イズミヤライブは、その企画力にファンたちは惹き付けられ、また、そのたびに枠を越えてファンの先を行き舌をぺろりと出すイズミヤに「してやられた!!」と、思うのである。

アートとコラボしてライブしたものづくり学校や高島屋でのイベントや、35周年で35曲、60歳で60曲をオールナイトで唄う還暦ライブ、クラシックの演奏で自らの歌を歌った恵比寿でのライブ、そして花火と共にある宮崎の水平線の花火と音楽ライブ。

最たるは2年とちょっとを要して16回にわたって自作の曲を300曲を唄いきった全曲制覇ライブ。

これには、イズミヤも、藤沼さんも、そしてIZ BANDの渡邊さん、板谷さんも、鍛えられ、いくつもの階段を上がったのではないかと思う。

そして、ファンもまた、その耳や感性の世界を広げてしまったのだと思う。


今回のライブ。その完成度は高かったが、既視感は否めなかった。

イズミヤの面白さは、ファンのことなどそっちのけで、120点か、40点のライブをやってのけてしまうこと、なのかもしれない。

平均点を常に均等に差し出すライブなら、ファンはこんなにもリピーターにならないのだろう。

でも、それは、本人にとっては、非常に高いハードルとなる。

なぜなら、常に、真剣に、全力で、走りきらないとならないからである。

「ショー」としてのライブ、ではなく、「生き様」としてのライブ、を、求められているからである。


先日、吉田拓郎が小田和正と対談をしていて、その時にこんなことを語っていた。

あの頃は、オレってかっこいいな。と思ってたね。

オレみたいなヤツは他のどこを見てもいないな、オレの作る歌はどこの誰のものとも違うな、と。
だから、オレがブレイクするのも、仕方がないなと。

そこで流れた嬬恋での映像の、「春だったんだね」は、確かに、今でも誰のものとも違う。
新鮮に聴いた。

https://www.youtube.com/watch?v=GKmeH4DYXe8


その吉田拓郎が、これからを語る「夢」のなかで、こういう。

当時はさ。オレの歌がビルボードの1位になる時が来るんだろうなって、本気で思ってたよ。

いまはさ。オレの歌をロッドスチュワートとか、ボブディランに唄わせてみたいね。。。夢みたいな話だけどさ。。。

小田和正が、それを受けて、そう思うんなら、今、何か行動を移すべきなんじゃない?と、答えていた。(ゲストは小田さんだったのですが、ともかく。)


階段はいつになっても、見上げるとそこにあるが、踏み出せば、一段 確実に上がれる。

イズミヤの夢と野望は、これから、どんなふうに、輝くのだろうか。

「枠」などとっぱらった男の子として、ファンの期待など、裏切って欲しいものだ。