先日、ツナガルにいはまスタッフが主催するMUG AND SHOES の読書会に参加してきました。

今回の読書では「刑罰」がテーマでした。罰を与えるのか、更生させたいのか、みたいなことを話しました。


そこで紹介していただいた本↓



いい子に育てると犯罪者になります



 

 

なんとも重いタイトルガーン



最低ラインとして、犯罪者にならない方法さえわかったら、子育てもなんとかなるんじゃないか!?


いや、でも、頑張って育ててるし、犯罪者にはならないやろ…アセアセ


いや、でも「いい子」は危ないのか…ガーン


そんなドキドキを抱えながら読んでみました雷



いやー、これ、面白くてあっという間に読んじゃったチュー



素直な感情の大切さ

結果が起こるのには、プロセスがあって、原因があって、ほんとの根っこの部分を見直すことが大切。


今の自分が無意識に持ってる価値観や「こうあるべき」は、幼少期の家族との関係で刷り込まれてきたもの。



子どもに向き合うためにも、

まずは自分に向き合う事が必要になってくるんですね。


この本を読んでから、園に行って子どもたちと向き合ったら、なんかもう…今までのような言葉かけでは違うな…と。ひたすら悩む真顔


素直な感情を出してもらいたいのに、

無意識に「いい子」に導いていくような声かけになっちゃうのよ…難しい…



素直な感情って、言い換えたら、

わがまま、とか反抗とか、枠にとらわれない自由な感情。

そういうの、出されないほうが親は楽ではあるよね。




あんまりヘビーなことは書けないから、軽めで…

たとえば、よくある私のイライラ。



 晩ごはん作り、なんで私だけなんムキー


晩ごはんの時間が迫っているのに、

なかなかご飯作りに気が向かない自分。

晩ごはん後に習い事もあるのに…と、

イライラはどんどん募り、

最後には、

「なんで私だけ頑張って晩ごはん作らんといけんのよ節分

となる。えぇ、よくなりますニヤリ



これって、

「今日は疲れたなふとん1ふとん3

「お腹すいたなショボーン

「誰かに手伝ってほしいなアセアセ

「外食でリフレッシュしたい〜えーん

「でもまた外食でお金なくなるなもやもや

っていう自分の素直な感情には向き合っていない。


わがままですよ。

「ご飯作りしたくなーい」っていう。



自分の感情をちゃんと受け止めて

「今日は疲れちゃった。」

「ご飯作り、手伝ってほしいんだ」

「今日は贅沢はできないけど、外食はどうかな?」

という相談ができたらいいんですよねキラキラ


自分のためにも、家族のためにも。



ちなみに、私がこうやって伝えたら、うちの家族は「いいよラブラブ」と絶対に言ってくれます。



それなのに、

「あんたたちの習い事の日なのに、何も手伝わんのかーいムカムカやる気あるんかプンプン

とイライラを爆発させる。


改めて書くと、ほんとひどいガーン




そして、この根底にあるのは、私の自分に対する「こうあるべき」とか不安感とか。


「お母さんなんだから、毎日おいしいご飯を作るべき」

「無駄にお金を使ってはならない」

「リフレッシュするほど頑張ってない」


これは、私自身が幼少期に刷り込まれた価値観が大きく影響しているようです。



しんどいねショボーン

どう考えてもしんどい悲しい



この、マイナスな感情に自分で気づいて、

素直に外に出して、

そして、

そんな自分も受け止めてもらう、っていう経験が大切。



子どもだって同じ。



今日の末っ子。

いつもなら、

ピアノの練習→テレビタイム→晩ごはんルンルン


ピアノのことをすっかり忘れて、テレビを観て、ご飯を食べて、食後のテレビまできました…テレビ


まぁ1日の中のリラックスタイムです。



やっとピアノの練習を始めたけど、楽譜と違うこと弾いてるショック



今までの私なら「ちゃんと」を押し付けていたかも。

ちゃんとしない我が子を受け入れられないということです。



今日はね、この本を読んだばかりなのでね!!



「今日は気持ちが向かないんだったら、やめとくんでもええよ」

と言えましたキラキラ


そしたら、「やめとく」とのこと。

やる気が出ない自分を受け止めたんでしょうかね、そんな立派なことなのかはわからんけど。



(まぁそこで、ちょこっとイラッとしたのはナイショ口笛


↑ここで、「でもやる!」と返事が返ってきてたら、それはもう親の「こうあるべき」姿がしっかり刷り込まれているということですが。




「毎日欠かさず練習する」

「上手になる努力をする」

よりも、

「今日はやる気でないな」

という気持ちに目を向けるのもありなんだ。


私が晩ごはんを作りたくないのと一緒。


今日、ピアノの練習しなかったからって、なんてこともないのよ。



だって、ピアノの練習しなくたって、この子はこの子です。


決して「練習しないお前はだめな子だ」と刷り込みたいわけではない。



ピアノだけじゃないよ。

ちゃんと学校に行くとか、うそをつかないとか、手伝いをするとか、男らしくとか、きょうだいより愛されたいとか、頑張れとか、諦めるなとか、常に元気とか、常にご機嫌でとか…

いろーんな方向から、親からの期待やプレッシャーを感じ、愛されたくて「いい子」になっていく。

ちゃんとできないと、罪悪感まで感じる。



あなたが子どもに伝えたいのは、それですか?




それよりもただひたすら、

「ありのままのあなたが大好き」を伝え続ける。

そして「ありのままの自分」を私も大切にしていく。



これってもはや「犯罪者にならないように」ってレベルの話ではないよね。




うまくまとまらないな。



親からの価値観の刷り込みに気付く20のヒントは、おもしろかったなぁ。



どうしてもこの本の感想を誰かと話したくて、

息子に「この本、読んで、一緒に話そうや」とお願いしました。



最近、我が子が非行に走りそうだな、っていう方へ向けた本じゃないよ!


読んだら自分が楽になる。

読んだら子どもも楽になる。


刑罰とか、死刑の話に戻るけど、

「ゆるす」っていうのはすごいこと。


頑張れない自分を認められなかったら、

頑張ってない人やだめな人のことなんてゆるせない。


でもそうじゃないよね。


完璧じゃない自分も、大切にできたらいいよなぁ。



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