前回の記事からかなり時間が経ってしまいました。
(食事療法のことはまたゆっくりと…)
無理しない主義になったんで、エネジーを使う行為が必然的に減ってしまうんですねー
ブログを書くのは、もちろん、楽しいのですが、自分の中にこもって静かにしたいときもあります。
5月の中旬はその時期でもありました。
心と体の声を深く聞く‥
食事や外側の調節‥
裏付けとなる知識の収集‥
知識や経験の拾遺選択‥(どれを自分の一部としていくか)
今後の計画をたてる‥(イマジネーションが必要)
そして現実世界での実施
と、なっていきます。
これが、とても深いところで起こっていきました。
こういった行為は、静かに1人でいるときにしか実行できません。
しかし、この行為こそが今後の私たちに必要になってくると思います。
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この本は「精神神経免疫学=PNI」について書かれている本です。
セラピーとつくと最近はスピリチュアル系の本かと思われるでしょうが、この本はほぼ医学書です。
精神や心の状態が、体に大きな影響を及ぼすことは周知の事実ですが、いままで医学界ではこれを専門的に説明していくということがなされていませんでした。
PNIでは
心や感情の状態が、中枢神経、自律神経、免疫系、にどう、影響を及ぼしていくか、ということに焦点を当てます。
研究のひとつでは、脳内で産生される化学伝達物質が特定の精神状態によって増減すること、が明らかにされています。
思考、感情、ストレスのイメージ、無気力、うつ、怒り、敵意、などが、この化学伝達物質に影響を与え、体の免疫細胞、ホルモンの産生に刺激を与えるのです。この間違った刺激を受け続けるとやがて病気になっていきます。
もちろん平和や喜びやリラックスも反対のよい影響を与えます。
免疫細胞はただ単に、外からの外敵をやっつけるわけではありません。
体の中の異常細胞をやっつけたり(=癌退治)、混乱が起こらない(=自己免疫疾患)ようにしてもいます。
ある潰瘍性大腸炎の患者がいるとします。名前をジョンとします。
彼は従来の医療の最善の薬を使って治療を受けていますが、どうも結果が思わしくありません。
そこでジョンは心身的アプローチ(PNI)を受けるために筆者に会います。
心身アプローチは、自分から病に対してアプローチしていく必要があります。
医者に”治してもらう”という依存的な気持ちでは、決してセラピーを受けることはできません。
自分のこれまでの心の動きや性格を客観的に、内観していく忍耐が必要なのです。
なぜなら、今までの自分の生活歴からくる「間違った刺激」によってこういった病気は発症している、とみるからです。それには自分で気づいていくしかないからです。
この筆者は主にイメージングを使って治療を行います。
「大腸内の様子」をジョンにイメージさせ、その痛々しい大腸と対話をさせるのです。
ここが従来の心理療法家と一線を画すところです。
内科医なら大腸に、精神分析医なら彼の心に焦点をあて、心身を分離させた治療しかしないからです。
私もジョンと同じ質問を私のすい臓(病気発生の震源地)に向かってしてみました。
「赤くて痛々しい状態のすい臓細胞があります」→イメージ
「すい臓があなたに話したがっていることを利いてごらんなさい」
“静かにして”
私のすい臓はそう答えました。
これは思ってもいない答えでした。明らかに頭で考えて出てきたものではありません。ここ半月はかなりゆっくり静かな生活を送っていたのですから。
「すい臓のこの緊張感がいつ始まったのか尋ねてごらんなさい」
“もの心つく前から”
これにもびっくりしました。ジョンは25年前、とか、具体的に答えているのですが、私の場合は、ものすごく小さなときから、この緊張が始まっていたのです。まあ、家庭に大きな問題があったから分かる気はする…
「ひとときの静けさが過ぎたのち、すい臓の気持ちを聞いてみてください」
“わたしには美が必要である”
ぎょへー 何を言うんだ!?このすい臓めー( ̄□ ̄;)!! アンタ 臓器だしー、なんで”美”が必要なんじゃー
と
ものすごく驚いてしまいました。
けど、なぜかその答え、、面白いし‥納得できる。。。
すい臓の言う「美」は恐らく、宇宙森羅万象に根ざした「美」のこと。
ミロのビーナスやレオナルドダヴィンチのカノン…黄金率、宝石の屈折率や結晶構造、音階と波動、光と空間、数列や幾何学の完璧さ
←カノン
こういった「美」のことなんでしょう。
わたしって、ものすごい贅沢モノなんでしょう。
流行や一般向けされた「美」なんかでは満足出来ない! 絶対的で愛とパワーを持った美でなくてはならないようです。
その片鱗はずっとありましたが‥‥
透視が出来る人に一度だけ言われたことがあります。
「アナタはすべてにおいて最高級が必要な人ですよ」
すっかり忘れていましたが、一緒に行った友達が覚えてました。