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ノーマライゼーション

発達障害や精神障害(パーソナリティ障害)の、パッとみは定型発達や健常者とほとんど変わらない理解されにくい、一当事者の苦悩や体験や日常

前の職場で、お世話になった上司にカミングアウトしましたわ。

障害や病気のことも、認定受けて手帳もとって、障害年金もらってることも。

偏見の目でみられるか、意外にあっさり流されるか、真剣に話を聞いてくれるかはわかりません。

もうすぐ7年の付き合いになり、今もたまに仕事の案件を持ってきてくれたりするので、この際だと思い、カミングアウトしてみました。

反応はまだわかりません。多分、アスペルガー症候群って何?、統合失調症って何?というところから、はじまると思われ、そうなら、一番こちらも本望です。



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何かをすると、得るものがある反面、失うものがあることもまた自覚しないといけませんね。

先ほど、昔のかなり歳上の知り合いに1年半ぶりに電話をしました。そしてそこで、自分は今発達障害や精神障害の認定を受けて生活していることを話しました。

すると、

相手「あんた、足かどっか悪かったっけ?」

私「精神や発達の方で障害者認定されてます。」

相手「そんなん、誰かてそういうところあるわいな。そんな、障害者認定なんて取り下げて前向いて進み。あんたは、上の学校だってでてんにやしな。
そんな認定とって甘えてんと、前向いて進み、就職して、仕事してな」と

これを聞いて、この人は昔の定型発達者で健常者のエレガントが好きなんだなと。 これが世の中の一般の人の意見なわけです。

ここで、自分には二つのチョイスが生まれます。上の相手に好かれる、いやこれまで離れていった障害に理解のない一般的な価値観をもった人たちに好かれるために、生きにくい定型発達者や健常者にあわせて生きるか、そして生きにくい思いをするのか。

それとも、一般的な価値観をもった知人、友人を失ってでも、発達障害や、精神障害をもっていることを前面にだして生きやすい生き方を選ぶのか。


どちらのチョイスを選ぶにしても、良い面もあれば、そうでない面もあります。光あるところには必ず陰があります。

一般的な価値観を持った、障害に理解のない人たちも、全員受け入れてねって仲良くして、障害もオープンにできて、影の部分が一切ない。

そんな都合の良い生き方なんてないんですね。得るものがあれば、同時に失うものもある。

発達障害や精神障害をオープンにして生きるとは、生き方を変えることなんですね。

そして、生き方を変える以上、必ず失うものもあるということだと思います。それを受け入れるだけの器をもつ必要があると思うんです。

自分も、発達障害や精神障害をオープンにして、それまで仲良くしていた多くの友人、知人が離れていきました。

彼らは、それまでの僕の生き方を好んで僕のそばにいてつるんでいてくれた。

それが、僕が生き方を変えると、大半の人が離れていきました。これは彼らだけが、わるいのではありません。

生き方を変えるとはそういうことだと私自身受容する必要があったのですね。

当時の私は度量が足りませんでした。
だけど、障害受容という新しい生き方をして、徐々にそれを受け入れはじめています。

生き方を変えても、自分のところに残ってくれた友人、知人を大切にして、生き方を変えたことで自分のもとに新しくきてくれた人たちを大切にしたいと思います。

長文すみませんでしたを





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自分はまだまだ、精神的な症状は安定していないようです。

気分の良い時は、調子の良いことを言っていても
しばらくすると、気分が変になって調子の良い時にいったことを撤回する
自分がいます。

さて、最近は処方される薬も、鬱を抑える薬はなくなり、気分の高ぶりを抑える薬を重点的に変わりに出してもらいました。

先日までの、あの1日に、数回とブログを更新していた気持ちの高ぶりはありません。

ということは、自然に自分の行動のタクトが落ちて今まで感じなかった疲れを感じるようになるのです。

しかし、そうであっても騙し騙しで活動的であると、どこかでガタがきます。

今は、せっかく受講を許可してもらえたパソコン訓練と地域活動支援センターのまかない調理の方を優先してやりたいと思います。

他の活動は、間引きさせたいと思いました。

正直ちょっとしんどかったので。



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