人間の病気のパターン「脊髄のトラブル」 | 続・ティール組織 研究会のブログ

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ティール組織が話題になっているが、具現化するにはどうしたらよいか?
その研究を続けるにあたり、さらに次の形態である、続・ティール組織なるものまで視野に入れ、具体的な施策・行動内容を研究・支援する会。

人間の場合の病気のパターンから

組織の場合の病気のパターンへと

考えることにより、解決方法も見えて

くるのだ。まずは人間の病気の方から

みてみたい。

 

          

三位一体の理論より、図のような

3つの要素がバランスよく成り立っている

のが健全な状態であった。

これが病気になると、どれかが酷使され

ることで、機能不全を起こすのである。

バランスが取れなくなった状態を、

”病気”と呼ぶのである。

 

 

 

・脊髄のトラブル

〇肉体的な方面からみた場合

脊椎は背骨の総称であり、脊髄はその

なかを通る神経のことを指す。脊髄の

トラブルをみる場合、脊椎のトラブルから

くるものとして、脊椎についてみてみる。

脊椎は、33個の脊骨が積み重なること

によって作られている。今回は特に、

胸椎腰椎仙椎、に関してみてみる。

 

なお、頸椎に関しては今回はみないが、

頸椎は体と頭をつなぐ柔軟な部位である。

それゆえ、首である頸椎のトラブルは、

その人に「柔軟さ」に問題がある、

ということを示している。

首の痛い人は、ある状況に直面できず

にいると考えられる。解決策を見つけ

られずに、自分の背後で起こっている

ことを恐れているのであろう。

首に関してはここで、留めておく。

 

 

〇感情的な方面からみた場合

背中のいちばん下の方、つまり仙椎

あたりが痛む人は、自由を至上のものと

考えており、誰かが自分の援助を必要

とすると、自分の自由が失われるのでは

ないかと恐れているのだ。

 

背中の真ん中のあたり、つまり腰椎の

5番から胸椎の11番までのあたりに

痛みを感じる人は、物質面での安全性

の脅威を感じ、不安になっているのだ。

実際、背骨というのは人間の体を支えて

いるので、背骨が痛むときは、それがどの

部位であっても、「十分支えられていない」

という意識に関係がある。

背中の真ん中のあたりの痛みは、”持つ”

ことに関わっている。例えば、財産を持つ、

お金を持つ、配偶者を持つ、家を持つ、

子供を持つ、良い仕事を持つ、学位を持つ、

ことなどである。

 

背中の真ん中のあたりが痛むということは、

その人が、支えられていると感じるために

何かを持つ必要があるのに、それを自ら

に禁じている、あるいは他人に助けてもらう

ことを自らに禁じている、ということを示して

いるのである。そういう人は、何でも一人で

背負いこみがちである。人に任せることが

出来ないのだ。

 

また、物質的な面において、極めて顕著な

活動性を示めす。というのも、欠乏への

不安が、特に物質面において現れるから。

そのため、特に物質的な支えが必要だと

感じるのである。

また、そういう人は、他人に援助を頼むこと

がとても苦手である。ようやく他人に頼む

ことができたにも関わらず、その人から

援助が得られないと、ますます身動きが

取れない感じがして、背中の痛みが酷く

なるのである。

 

背中の上の方、つまり第10胸椎から頸椎

に至るあたりが痛む人は、愛情の面で

安全が脅かされていると感じてるのだ。

そういう人は、”する”ことに関わる側面を

とても重視する。というのも、”する”ことに

よって自分の安全が確保されると思って

いるからである。したがって、誰かが自分

のために何かをしてくれると、この人は、

自分が愛されている感じるのだ。

自分自身も、他人に愛情を表明する時は、

その人のために何かを”する”。

 

一方で、すべてをやらないための口実と

して、背中の痛みを使うことが結構ある。

というのも、自分がすべてやってしまったら、

誰も自分を助けてくれなくなる、と思い込ん

でいるからだ。自分の期待が満たされない

と、他人に対してさらに多くを期待する。

自分の背中に多くのものを背負っている

と感じているのだが、他人に対して自分の

要求を表明することがなかなかできない。

何とかして表明することができたとしても、

他人がそれに答えてくれないと、さらに

動きが取れない感じがして立ち往生する。

すると、背中の痛みもさらに悪化するのだ。

 

自分がやっていることを、常に誰かに監視

されている、と思っている人が、背中の

痛みを感じることもある。そんな場合は、

その人を自分が背負っている感じがする

のであろう。

 

 

〇精神的な方面からみた場合

もし、あなたが背中の下の方、つまり仙椎

のあたりに痛みを感じているとしたら、体

からあなたへのメッセージはこうだ。

「誰か他の人を助けると自分は自由を失う、

と考えるのはもうやめよう。そうではなくて、

むしろ自分に限界があることを認めてほしい。

あなたの限界をまず身近な人に表明して、

それから行動するようにしよう。」

 

もし、あなたが、背中の真ん中のあたりに

痛みを感じているとしたら、体からあなた

へのメッセージはこうだ。

「あなたは、財産を持つことを望んでも

いいのだ。安全で支えられていると感じる

ために、あなたは何を所有してもいいのだ。

そうすることで、あなたはもっとたくさんの

喜びを得ることができるであろう。あなたが、

心の奥の方で、物質を愛しすぎるのは良く

ないことだと考えているとしても、まずは、

物質を持つことを自分に許してあげよう。

そうすることによって、あなたは安全を感じ、

やがてそれらのすべてが無くなっても自分

は安全なのだ、ということが分かるように

なるだろう。誰も自分の面倒をみてくれない

と考えるのはもうやめて、もう少し自分の

要求を口に出してみることをお勧めする。

とはいえ、あなたの要求に対して他の人

たちは必ず応えなくてはならない、と考える

べきではない。他の人たちは、あなたほど

所有に対して欲がないので、あなたの欲求

を理解できないかもしれないからだ。

あなたは、欲求を持つのを自分に許すこと

によって、他の人たちにその欲求について、

より適切に説明できるようになるかも

しれない。」

 

もし、あなたが、背中の上の方から首に

かけて痛みを感じているとしたら、体から

あなたへのメッセージはこうだ。

「他の人たちを幸福にするためには、あなた

がすべてをやらなければならない、と考える

のはもうやめよう。もちろん、あなたは、

これからも、他の人たちのために何かをし

続けても良い。ただし、その”動機”を変え

なければならない。今後は、愛する人の

ために何かをするときは、愛ゆえにそれを

する、つまり、相手を喜ばせるのがうれしい

からそれをする、というふうにしてほしい。

あなたは、もう無理やりみんなの支え手に

なろうとしなくてもいいのである。」