こんにちは。ニューヨークで役者やってます、まみきむです。

NYアクターの生活、オーディション、現場での様子、また独断によるツッコミなどをお届けしています。

 

ライブシアターのもう一つの醍醐味は、観客との交流がある…それは本番の舞台上の、演劇空間を構成する要素としての観客の存在もさる事ながら、終演後の舞台下での交流も含まれる…特にアメリカ人のお客さんは、終演後、全く知らない人でさえ実に気さくに話しかけて来てくれるのだ…もっとも、向こうは私を舞台で見ているから「知っている人」という感覚なのかもしれないが…

特に、オフオフの劇場は出入り口が一つしかなかったりするので、終演後出演者の俳優もお客さんも同じ様にロビーを通って帰る…その時に、舞台下での交流が生まれたりする…

 

この前の猫役の公演過去記事参照)の時も、明らかに猫好きとわかるお客さん達が、終演後に話しかけて来てくれた…ちなみに私は、その時迂闊にもメイク落としを忘れ、猫のヒゲだけはティッシュで拭き取ったものの、アイメイクはそのままでマスクをして外へ出たのだが、おそらく私が唯一のアジア人キャストだったという事もあったのだろう…皆すぐに「あ、あの猫や!」とわかったようで、「うちの猫もあちこちにおしっこかけるのよ。」と言うオバチャンや、自分の飼い猫についてガンガン語るオッチャンもいたりして、ひとしきり猫談義で盛り上がる…いや、私は別に猫の専門家でも、猫の言葉がわかる猫ウイスパーでもないんやけど…

 

さらに面白かったのは、今回私は、日本人(もしくはアジア人)である事から、おそらく初めて自由になれた事である…

特にこのシアターグループの大多数は白人なので、出演者の中で非白人は私だけ…と言う場合がほとんどである…そして、そう言う時に私がわざわざ白人の俳優を置いてキャストされる時は、そのキャラクターが「日本人、もしくはアジア人」である必要がある場合…というのが大前提のよう?!…実は時々そうでない時もあるのだが、その時は「なぜわざわざこの役をアジア人がやる?」と聞かれたり、日本人なのに中国人を演じる事をどう思うか?」なんて大真面目で聞いてくる人もいる…別にええやん、そんなの?!…と私は思うのだが、中にはそれに抵抗がある人もいるのだろうか?…でも、嫌ならやらなければいいだけの事である…もちろん、私も日本と中国をごっちゃにした「なんちゃってアジア人」というステレオタイプなキャラクターはごめんが、それがしっかり書かれたキャラクターなら、日本人だろうが、中国人だろうが、韓国人だろうが基本的には気にしないし、やる限りは私もしっかりリサーチし、場合によっては中国語や韓国語の台詞も必死で覚える…

 

しかし今回の猫役では、そういうコメントや質問は一切なかった…そりゃそうだろう…何人だろうが本物の猫でないものが猫を演じているのに変わりはないからだ…そして、お客さんは私の人種や文化を超えて、素直に私の作り出した「猫のエリザベス」というキャラクターを気に入ってくれ、それに対して「エリザベスは日本猫なのか?」なんて事を言う人はいない…実はその名前も、最初は「タマ」とかにしようかな…と思わないでもなかったのだが、なるべく古風で威厳のある名前にしたかったので、当時のイギリスの女王の名前を拝借した…

人間でない役ゆえに、初めて自分の人種や民族から真に自由になれた…と言う意味でも、これはマイノリティの俳優である私には、新鮮な体験だった…マイノリティの俳優は得手して、その文我や人種を背負う事を余儀なくされるからである…(過去記事参照)

 

また、実はこの公演には、なんと例の学生映画の若者達過去記事参照)も見に来てくれた?!…話の弾みで知らせたのだが、まさか本当に来てくれるとは思っていなかったので、今時の若者の意外な義理堅さに、少し感動した…もっとも、その2日前には白髪頭の婆さんやってたのが、いきなり顔に猫ヒゲ描いて、黒猫役をやっているのだから、さぞ驚いた事だろうが…

 

 

 

 

若者達はそれまでオフオフの舞台など見た事がなかったようである…それまではおそらく見るとしても学校内や若者達のショーケースばかりだったのだろう…今回の公演は結構出演者の平均年齢も高い大人の作品だったので、ある意味カルチャーショックを受けている様だった…

 

大人の作品といえば、高校生の息子さんが俳優志望だという友人が、その息子さんと共に見に来てくれた…実は、その案内を送った時は、他の作品についてはノーアイディアだった…まぁ、これまでの作風では、家族愛や友情、隣人愛…など、地味で大人のテイストの作品が多かったので、多少地味で高校生には退屈かもな…という懸念はあったものの、それ以上の事は考えていなかった…

 

ところが、波乱万丈の初日過去記事参照)が明けた翌日、ようやく気分的に少し余裕が生まれたので、出番の合間に他の人達の舞台を舞台袖から覗き見したのだが、その作品の大半が、色ネタ、下ネタ、LGBTQ問題、そしてF-wordを始め、放送禁止用語のオンパレード?!…唯一放送禁止用語が出てこないのは私の猫の詩くらいだが、それにしてもこの猫、サイコパスだったりするし…ニューヨークをテーマにした作品だと、やはりどうしてもこういうエッジーな話ばかりになってしまうのかもしれないが、こんなん未成年に見せてもええんか?!…と、舞台袖で青ざめた…もっとも、最近の高校生はもっと進んでいるのかもしれないし、幸い友人はそんなに問題だとは思わなかったそうでちょっと安心したが…

 

その時改めて、この「不健全な闇」こそが、オフオフ・ブロードウェイのエッセンスなのだ…と実感した…

実は、昨今「マイノリティへの配慮」を誤解した、見当違いな検閲の風潮が蔓延しているような気がしてならない…「この言葉を聞くと不快に思う人がいるから」とその言葉だけ禁止しても、別の言葉を差別的に使っている限り、差別された者はやはり不快に思う事には変わりはないのだ…そこに気を使うなら、その大元の潜在意識かの差別意識についてまず理解しようよ!…と私は言いたくなるのだが…

 

オフオフの作品には、あえてその部分に大胆に踏み込む事で、その事を明るみに出し、それについてじっくり考えてもらおう…という作品が多いし、そうでなければわざわざやる意味もない…そういう意味では、オフオフは青臭い若者だけではなく、ある程度の年代の大人にこそ見てほしい…という気もする…そして、だからこそわざわざ忙しい時間を割いて、そういう時間を共有してくれたお客さんには一層感謝の気持ちが募るし、また密かにそういう「不健全な闇」を共有した共犯意識の様なものも生まれる…これもライブシアターの醍醐味かもしれない…

 

 

★過去記事★