こんにちは。ニューヨークで役者やってます、まみきむです。

 NYアクターの生活、オーディション、現場での様子、また独断によるツッコミなどをお届けしています。

 

SAG-AFTRAのストライキ中は、俳優達は出演作品のプロモーションが一切できなかったので、スクリーニング(試写会)なども行われなかった(過去記事参照)のだが、ストライキが終わって、それが戻ってきた…また俳優達にしたって、苦労して撮影したのだから、やはり多くの人に見てほしいだろうし、できればアワードの候補にもして欲しいだろう…特にユニオンの主宰するスクリーニングには、観客は皆俳優なので、ゲストも話が弾む…

 

そういうスクリーニングが戻ってきたのは、何とも嬉しい限りで、先日この映画を観た…Jeffrey Wright主演の「American Fiction」である…

 

 

 

黒人作家のMonkは、大学で文学を教える傍ら、自作を出版しようとするが、出版社は「もっと黒人らしい作品を」と言う?!…彼の作風とイメージが、ステレオタイプの黒人像に合わないと売れない…と言うのだ…そこで彼はそのステレオタイプへのプロテストとして、「貧困、暴力、人種差別」といった「ステレオタイプの黒人要素テンコ盛り」のメロドラマを偽名で書くのだが…というお話…

 

これが実に良くできたコメディで、またそのギャグには皮肉が効いた、ある意味「知的な笑」もたくさんあるが、ものすごく面白い…その一方、おそらく非白人のマイノリティのアーティスト達には、これは涙無しには観られないこうした白人のマジョリティの描くステレオタイプとの不毛な闘いは、マイノリティの我々なら、誰もが「あるあるある!」と言いたくなる事柄だからだ

 

今でこそ、ステレオタイプに関しては我々サイドの言い分も少し聴かれる様になったが、それでもこの業界を牛耳っている大多数が白人である限り、どうしても「白人の描く非白人へのイメージ」であるステレオタイプを無視する事はできない…いや、実はこれは白人のみならず、異文化に対するステレオタイプというのは、多かれ少なかれ存在するのだが、たまたまアメリカの業界でそういう力のあるポジションにいるのが白人の人が多いから、結果的に「白人の描くイメージ」という事になるわけである…そして、そういう白人の描くステレオタイプは、必ずしも事実に即した正確なものとは限らない…まぁ、その大半は現実からかけ離れたものや、ものすごい時代遅れなものだったりもするのだが、そのイメージを持っている人が、アップデートしようという意志がない限りは、「何十年前の話やねん?!」というイメージがいつまでも幅を利かせている…

 

この映画に出てくる黒人キャラは、いずれも高学歴で郊外の一軒家に住み、作家や医者、弁護士など知的キャリアの持ち主ばかり…いわゆる都市のスラムに住み、犯罪やドラッグ、暴力にさらされる「ゲットーな黒人」とは全く無縁な世界に住む人達である…そして彼(女)等の前に立ちはだかる問題も、アルツハイマーになった高齢の母親の介護問題だったり、離婚、キャリアの伸び悩み、またゲイである事を両親に理解されない…といった、いわゆる「白人達」の家族ドラマとなん等変わる事がない…しかし、にも関わらず、「表現」を仕事にしようとすると、その能力よりも「黒人」である事がより重要視される…そしてその「黒人」のイメージは、ゲットーの黒人…そうでない場合は「リアルではない」と言われてしまう?!

これを「黒人」の代わりに「アジア人」と置き換えても、実は全く同じ事が起こる

 

かくいう私も、俳優である前に「日本人」あるいは「アジア人」である事がまず問われる…まぁ、実際私は日本人で、アジア人であるわけだから、その事自体は問題ではないかもしれないのだが、あまりにもそればっかりだと、それってどうよ?!…と言いたくなる…

私は一応大学では国文学選考で、歌舞伎のファンでもあり、日舞や居合も習っていたから、平均日本人よりは日本文化に詳しい…と言ってもいいかもしれないが、しかしだからと言って、何も日本や日本文化を紹介する事だけが私の仕事ではないのだ…勿論、機会があれば着物も着るし、日舞や居合も必要とあればおさらいするが、実はその専門家…というレベルではないし、それしか出来ない…というわけではない…しかし、アジア人俳優は、得手して、まずアジア人、もしくはアジアの文化を背負わざるを得ない…という事が多い…しかしそれは「お前はそれだけやってたらええねん」と言わんばかりではないか?!…我々俳優の仕事は、人間を舞台上、もしくは画面上にリアルに再現&創造する事なのだ…と言うのは、白人俳優なら「当たり前やん!」と言われるのに、添えはなぜか我々マイノリティは中々そうはみられないたまたま日本人だったりするとだけの事で、何も日本文化を広めるために俳優やっているわけではないのに

 

もっとも、そういう事が堂々と言える様になったのは、実は最近になってからの事…実は私もこれまでステレオタイプを散々演じてきた…それが望まれ、私はその為にキャストされたのだから、せいぜいその期待に応えるのが私の仕事…だと思っていたからだ…それは必ずしも間違っていないとは思うが、最近はそれがあまりにステレオタイプな時は、思い切ってそれを指摘し、ステレオタイプでないリアルな代替案を提示する様にはしている…もっとも、それが必ずしも歓迎されるわけではないのだが…

 

「American Fiction」のMonkの苦悩や葛藤は、非白人のマイノリティのアーティストなら誰でも一度ならず通ってきた道であるそこに自分自身の、今もなくならない同じような葛藤や苦悩が重なり、とても涙なしには観られないコメディタッチでメチャクチャ笑える映画なのに、そこで号泣しているのはおそらくマイノリティのアーティスト達だけかもしれない…

 

こういう作品がどんどん出てきて、ステレオタイプがもっと糾弾されてくれるといい…と思うが、それはおそらくマイノリティのクリエーターからでなければならないかもしれない…

 

上映後のQ&Aには、Monkの弟を好演していたSterling K. Brown

 

 

 

Q&Aの間は写真撮影禁止だったので、終わってから急いで写真を撮ったのだが、彼の繊細で人間味のある演技は、私も大ファンである…

「American Fiction」アメリカでは12月から劇場公開されるそうだが、機会があれば是非お勧めしたい…

 

それにしても、ストの間は、こんな風に出演者がQ&Aで喋ってくれたり、観客にしてもメジャー映画の「お勧め」を語る事も憚られた…それがまた自由にできる様になったのも、嬉しい事である…

 

 

★過去記事★