リリー先生


「 ギャツビーの葬儀に参加した フクロウ眼鏡の男


 フクロウ というのは、何をしますか?


 そうですね、” wise ”。


 ”フクロウ眼鏡の男” は、この小説において 賢者、物知り でありました」
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村上春樹版: p.314-p.315
原書: p.174-p.175

---前回から続く-----


ニックのほかに、もうひとり ギャツビーに真実があると気づいていたのは
フクロウ眼鏡男だけでした。


だから、ギャツビーのお葬式は、肉親のギャツビーの父親以外では、
ギャツビーの真実を知る ニックと、
ギャツビーに何かしら真実を認めていた フクロウ眼鏡男だけが 参列したのでした。


わたしが勝手に思うのは、


もしかして、作者のフィッツジェラルドが、「グレート・ギャツビー」の原稿
第1稿を書きあげたとき、第1稿には、「フクロウ眼鏡男」は、居なかったのではないかと
勝手に想像しています。


第1稿を書きあげたフィッツジェラルドは、自分で書いたにもかかわらず、
結末の ギャツビーが あまりにも 可哀そうすぎて
それで、ギャツビーのを知る人物を ニック以外に もう一人増やしてあげることに
したのじゃないかと 思います。


何かしらギャツビーに心や真実があるということを知る登場人物として、
「フクロウ眼鏡男」を 新たに創り 第2稿目から登場させたのではないでしょうか。


「フクロウ眼鏡男」は、フィッツジェラルドが創り出した あまりにも可哀そうな 
しかも自分に似たキャラクター、ギャツビーへの、
作者フィッツジェラルドからの プレゼント なのではないでしょうか.


それと、原書:p.46 最初のあたり
    村上春樹版:p.89 2~4行目


本棚から本を一冊取り出したフクロウ眼鏡男が、あわてて本を書棚に戻すときに、
こうつぶやきます。
「一冊でも取り外すと、ブロックが一個外れて建物が崩壊するみたいに
 図書室が崩壊しかねないからな」


何か、結末の 崩壊したギャツビーを 予感させる一言です。

---前回から続く-----


もともと、フクロウ眼鏡男は、ギャツビー邸の図書室にある蔵書は、全部、「張りぼて」だと思っていました。
本物の本に見せかけて厚紙で作った張りぼてで、中身のページなど無く 図書室を飾ってある」だけだと思っていました。
それは、フクロウ眼鏡男が ギャツビーを 「張りぼての男」だと思っていたからでしょう。
皆が知っているのは、豪勢なパーティーを催す 豪邸に住む 大金持ちの ギャツビーで、
何で金持ちなのか、何者なのか、だれも知らない、得体の知れない ギャツビー
フクロウ眼鏡男は、ギャツビーの家の本なんか、張りぼてだと 思いこんで
にとってみたら、 は、本物の本だったので 驚いたのです。
昔の本は、印刷製本の都合で ページが全部つながっていて、
ナイフでページを切り離さないと読めませんでした。
ギャツビーの本は、ページが切り離されていなかったので、ギャツビーが本など一度も読んでいないのは
一目瞭然でしたが、外側だけの見かけだけの本ではなく、
本物の中身の印刷されたページのある正真正銘の本だったのです。
フクロウ眼鏡男は驚きました。 ”They're real." p.45
フクロウ眼鏡男は、本と同じく、中身のない見かけだけの男だと思っていたギャツビーに、
中身が ある He is real. と、このときに 知ったのです。

ニックのほかに、もうひとり ギャツビーに真実があると気づいていたのは
フクロウ眼鏡男だけでした。

---つづく---

ニックが、最後にギャツビーに向って、


「誰も彼も、かすみたいなやつらだ、みんな合わせても、君一人の値打もないね」
と言ったように、


ニックは、ギャツビーが、大金持ちという外から見えているだけの人間ではなくて、
なにか心に真実のある人間であったことを、知っていました。


だから、ニックは、他人なのに ギャツビーのお葬式の世話までしてあげました。


ギャツビーが 真実を持っている人間だと


知っていたのはニックの他に、実はもう一人いました。


ギャツビーのお葬式に、一人だけ、駈けつけてきた男です。


それは「フクロウ眼鏡の男」。


この フクロウ眼鏡の男 は、以前 ギャツビーのパーティーに来ていた客の一人です。
覚えているでしょうか。


ギャツビー邸の 「図書室」 で 一人で いい調子に酔っ払って ニックとミス・ベイカー
いろいろ話しかけていた男です。
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原書: p.45
村上春樹版: p.87~89

----つづく-------

リリー先生


ギャツビー少年時代に持っていた 本の裏表紙に、


ギャツビーが自分に課した 「日々の鍛練」のスケジュールが書いてありましたね。


少年だったギャツビーは、自分の生まれた貧しいクラスから、
節約し、ハードワークすることによって、抜け出そうと考えていました。


少年だったギャツビーが、影響を受けたに違いない 読み物がありました。
1867-1899年ころに活躍した 作家 ホレイショ・アルジャー です。


ホレイショ・アルジャーは、120篇以上の 子供向けの お話を書きました。
120篇全部同じ話です。つまり、こんな具合です。


貧乏な家に生まれた子供や 貧しい移民の子供 Ragged Dick


節約”と ”ハードワーク”と ”日曜日に教会へ通うこと” を通して
 ” 金持ちになった” という話です。ぜんぶ!


ホレイショの書いた話は、全部、
      ”アメリカンドリームのかなえ方”
      “成功をつかむためにすべき事”  でした。


イラスト付きの彼の本は、たくさんの子供たちに読まれました。


少年だった ギャツビーも 絶対に読んだはずです。


そして、ギャツビーは、自分もその本の中の子供と同じように
アメリカンドリームをかなえることを夢見ていたのでしょう。   」
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村上春樹版: p.311,p.312
原書: p.173


グレート・ギャツビー 最後の章です。

リリー先生

ニックがいろいろ探しますけど、ギャツビーの葬儀に来てくれそうな人は
 なんと、誰もいません。
 そうこうするうちに、ギャツビーのお父さんが 新聞で知って、
 ミネソタの小さなから 息子の葬儀のために 出てきました。
 
 ギャツビーのは、ギャツビーが少年時代に 読んだぼろぼろになった 

 子供向けのカウボーイのお話の本を
 持ってきて、ニックに見せました。


 ボロボロになった古い本 a ragged old copy of a book called-- で思い出しましたが、

 読み古した本に こういう言い方があります


 A dog eared copy of book  犬の耳になった本


 本を読むのを 途中でいったん中断するとき、しおりをはさむ代わりに
 こんなふうに、本ののところを 折るでしょう
 ほら、の みたいにみえるでしょう?     


ニューヨークの英語の先生と一緒に読もう!BookTalk F・フィッツジェラルド 「グレート・ギャツビー」-犬の耳の本

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村上春樹版:p.310の終わりの行からp.311の初め
原書:p.173 1~2行目

「グレート・ギャツビー」には、ところどころ、たびたび、
ほんとうに美しい描写があって、何回も繰り返して暗記するまで口の中で転がしておきたい
箇所があります。それがどこの部分かと聞かれると あっちこっちにあって、しかもどれも
どっちが美しいという順番が付けられないので、たとえばどれと言い始められないのですが、


この、撃たれたギャツビーがマットに載ったままプールの水面をゆっくりと回りながら浮かんでいるシーンも、
美しいですよね。


夏の終わりの温度、日差し、色、風、プールの水のにおい、静けさ まるで見ているような気になります。


ついでに、近いところで、
ニックギャツビー最後に挨拶してギャツビーの家から 職場へ出かけて行くところ の描写、
いいですよね。


ニックはギャツビーと別れて家を出て行くのだけれど、
振り返って、ギャツビーにこう言う。


村上春樹版:p.277最後のあたりから~p.278
原書:p.154 中ほど


誰も彼も、かすみたいなやつらだ、みんな合わせても。君一人の値打もないね


ニックは、あとから振り返って、この言葉を言っておいてかったと、思うのだけど、
ほんとう、読んでいる読者の私も、あー、ニックがギャツビーにそう言っておいてくれて
本当に良かった、と、ギャツビーがあんまりにもかわいそうなので、せめてニックが
そう言ってくれていたので救われる気がします。


このニックの言葉くらいから~ 「朝食をありがとう」あたりまでの描写の
村上春樹さんの翻訳、すごく丁寧に訳されているのが伝わってくる気がします。
フィッツジェラルド想いを伝えてあげたい、と思ってすごくが入っている気がします。


リリー先生


デイジーは 戦争に行った ギャツビーを待ち切れず、


 大金持ちで 元フットボール・スター選手の トムの 出現に


 ふらふら となって、トムと結婚してしまいます。


 結婚が決まったことを、オックスフォードにいるギャツビーに手紙で知らせますね。


 こういう手紙を、

 ” A Dear John Letter " というんですよ。


 あなたは とても いい方です、 でも・・・・
 I really like you but ---


 と、相手を 振ってしまう 手紙のことです。
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村上春樹版:p.273 後ろから5行目 
原書: p.151 最後の2行

リリー先生


エックルバーグ博士の目 が、また出てきましたね。


 ウィルソンが、エックルバーグ博士の目を の目だと 言います。
 ミカエリスが ただの ””広告”” だと 言いますね。


 第次世界大戦後、1920年ころに こんなことがよく言われるようになりました。


 人は 神への信仰 を止めてしまった。
 People stopped the belief of God.


 そして、


 消費中心主義が への信仰にとってかわった。
Consumerism has taken over it.


広告を 神だという、 このウィルソンとミカエリスの エックルバーグ博士の目 についての会話は、
 まさに、そのことを表していますね。
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ウィルソンの背後に立ち、彼の見ているのがT・J・エックルバーグ博士の目であることを知って、
ミカエリスは度肝を抜かれた----「神様はすべてをごらんになっている」とウィルソンは繰り返した。
「あれはただの広告板だよ」とミカエリスはウィルソンに言い聞かせた。
"God sees everything," repeated Wilson.
"That's an advertisement," Michaelis assured him.


原書: p.159 終わりの行から p.160 初めあたり
村上春樹版: p.288初めのあたり

・・回からく・・


フィッツジェラルド年、自分のに、こう言ったことがあったと言います。


「Ginevra が わたしの初恋だった」
She was the first girl I ever loved- - -


いっぽうGinevra の娘が こう言っています。


母 Ginevra は、フィッツジェラルド愛してはいませんでした。
 彼女はフィッツジェラルドをしんでいました、とても愉快な人だったと言ってました。
 フィッツジェラルドは外側の人でこちら側を見ていたのだと言ってました。」
Ginevra was never in love with Fitzgerald, she enjoyed him and he was very bright,
very witty, she said he was always on the outsaide, looking in.


なんか、フィッツジェラルド可哀そうになるような結末です。
とても、ギャツビーダブります。


ゼルダと出会った時も、フィッツジェラルドは 経済的なことを理由に
ゼルダの家族反対されて、一度れています。
作家として成功して、ようやく ゼルダと結婚できました。
しかし、結婚後も ゼルダのために贅沢な暮しを続けるため
ずいぶん 苦労しました。


フィッツジェラルドは 恋愛において お金に苦労し続けました。

彼の人生において、いつも 「お金」 が、 
 
愛する女性と フィッツジェラルドとの 間に 挟まっています

愛する女性と自分の間の 溝を しじゅうお金で埋めなければならなかったということでしょうか。

グレート・ギャツビー そのまんまですね。


なんで、そんなにお金持ちの女性に弱かったんでしょう。
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The New York Times / September 8, 2003
"Love notes drenched in moonlight; Hints of future novels in letters to Fitzgerald"