---前回から続く---


フィッツジェラルド と Ginevra は、ギャツビーと デイジーのように に出会いました。
(恋の季節ではないですね。)


ふたりは に落ちて、 2年間 文通をするなどして 交際しました。


フィッツジェラルドは、裕福な階層の出身でしたが、父親が事業に失敗したため、
経済的には、 Ginevra の 裕福さ と 釣り合いのとれる身分ではなかったようです。


おそらく、 フィッツジェラルドは、Ginevra の父親から


貧乏な男金持ちの娘との結婚を考えるもんじゃない」
Poor boys shouldn't think of marrying rich girls.
と言われたことがあるようです。


その後、
2人の交際はだんだんと 離れていき、1917年、交際が終わりました。


Ginevra は、 その後 シカゴの若い大金持ちの男性と 婚約し、結婚しました。
Ginevra の結婚式は、現地の 新聞などに ”これほど美しい花嫁は見たことが無い”と
タイトルされて 報じられました。


トムとデイジーのようですね。


それらの 報道や写真を フィッツジェラルドは 切り抜いて スクラップしていました。

ギャツビーも、デイジーの記事を切り抜いて保管してましたね。


----つづく------

 ---前回から続く-----

ゼルダがどんな女性だったかは、村上春樹さんの翻訳のあとがきにも詳しくでてきますので
Ginevra がどんな女性だったか 少し 紹介します。


ふたりが 出会ったのは、1915年のことでした。


フィッツジェラルド 19歳  プリンストン大学学生のとき、


Ginevra は、 シカゴの社交界にデビューしたばかりの 16歳の大持ちのおさん でした。


ゼルダも、お金持ちのお嬢さんでしたし、フィッツジェラルドは、大金持ちの お嬢さんに弱いんですね。
これは、ギャツビー そのまんまですね。


ーーーつづくーーーー


ニューヨークの英語の先生と一緒に読もう!BookTalk F・フィッツジェラルド 「グレート・ギャツビー」
リリー
先生


デイジーモデルは、よく、フィッツジェラルドの妻であった ゼルダ といわれます。

 でも、実は、もうひとり、 ゼルダ 以外に  そして、ゼルダ 以上に 

 デイジーのモデルになった とされる女性が存在しました。


 その女性は、フィッツジェラルドの多くの作品を通して ヒロインのモデルとして
 考えられているのです。


 その女性の名前は、Ginevra King 、 


 フィッツジェラルド 19歳、  Ginevra  16歳のときの でした。


 どうして Ginevra より ゼルダ の方が 有名かというと、
 Ginevra の 存在が 知られるようになったのが 最近のことだからです。
 
 Ginevra は シカゴの 大金持ちの娘で、 1980年 最近ですね、
 82歳で 亡くなりました。 


 彼女が持っていた ”フィッツジェラルドに送ったラブレター” と
 ”フィッツジェラルドへの恋心を書いた日記帳” が、
 彼女の死後 最近になって 家族によって プリンストン大学へ寄付されたのです。


 なぜ、Ginevraは自分書いた フィッツジェラルドへのラブレターを
 自分で持っていたのでしょう?

 じつは、2人の交際が破局したあと、フィッツジェラルドは、
 Ginevra に、 ”今までの 2人の間で書き送ってきた ラブレターをお互い 破って捨てよう” とお願いしたのです。
 Ginevra は、フィッツジェラルドからのラブレターを全部彼の願いどおり捨ててしまったのですが、
 フィッツジェラルドの方は 彼女からのラブレターの文章を タイプで打ち直して、保管しておいたのです。
 フィッツジェラルドの死後、 彼とゼルダの娘が それらのGinevraからのラブレターを
 Ginevra本人に、返したんです   


 フィッツジェラルドは、自分の体験を自分の小説の材料にする作家でしたが、
 どんなことを思いながら、Ginevra からのラブレターを打ち直していたんでしょうね?


 それに、フィッツジェラルドの死後、彼の娘から、
 昔自分が書いた ラブレターの打ち直したものを 返してもらった
 Ginevra はどんな気持ちだったんでしょう?


 ---次回に続く----

リリー先生


「 アメリカ文学の 3大女性キャラクター は、


 デイジー         「グレート・ギャツビー」
 スカーレット・オハラ  「風と共に去りぬ」
 へスター        「スカーレット・レター(緋文字)」


 の 三人です。
 「スカーレット・レター」は、晴らしい小説です。
 私は、大好きです。


 アメリカへ渡ってきた初期の移民たちが町を創り始めた時代を舞台にした
 あっぱれな 一人の女性 へスターの物語です。


 デミ・ムーアが演じた映画がありますが、あれはゼンゼンダメでした  」

リリー先生


「 ギャツビーの屋敷中を 煙草をさがして ニックとギャツビーが回ります。


 屋敷中 ” いたるところに説明がつかないくらい大量ほこりが積もって” いましたね。


 どこからともなく 積もり始めた ほこり、


 今やギャツビーの爛な屋敷は 


 ”灰の谷間” に 姿をえつつあります  」


ニューヨークの英語の先生と一緒に読もう!BookTalk F・フィッツジェラルド 「グレート・ギャツビー」-スーパーの薪

これは、スーパーマーケットの入り口あたりに並べられた
暖炉”用の薪です。
ひと束 約600円から800円くらいです。


ひと束を 暖炉にくべて、焚き方にもよりますが、
3時間か 夕食後から就寝するくらいまで火が付いているくらいでしょうか。


ニューヨークの英語の先生と一緒に読もう!BookTalk F・フィッツジェラルド 「グレート・ギャツビー」-暖炉

ニューヨークには暖炉のある家が多いです。
古い一戸建ての家には必ずと言っていいほど煙突と暖炉が付いているし、
新しい家やアパートでも、少し高級めのところでは、その高級さを表すものとしてだか
暖炉が付いているところがけっこうあります。


わたしの住んでいる家は 約100年前の(オンボロ一戸建て)家なので、
暖炉があります。


わたしは、暖炉は 暖を取るものだと思い込んでいましたから、
暖炉で火を焚いても  そうたいして部屋が暖まらないと知って ちょっとショックでした。
ストーブとは全然構造が違うんですね。


NYの家はどこも、全室エアコンディションや全室温水パイプシステムなどの暖房設備がついています。
人のいない部屋まで 全部家ごと温める方法です。


暖炉を持っている家は、全室電気などを使って ガンガンに暖房をしながら、
家の中では半そでTシャツという家もけっこうある)
暖炉”も、つけているというわけです。


昔は暖をとっていたころもあったのでしょうが、
今では、すっかり実用性がなくなり、「家の中で火を楽しむ」「家の中で火を見たり聞いたりして楽しむ」という
娯楽アイテムみたいなものになっているようです。


日本では、ウォームビズとかやったり、少し前に見たNHKのテレビ番組で
ある夫婦が地球温暖化防止・電気消費を減らすため、テレビの電気量を節約して
テレビを付けている時間を自己制限しているので 大好きな相撲中継を最後まで見られない
など 国民一人一人ぐましい努力を 紹介していたのを見ました。
その人たちに、この薪が どんどん売れて、ドンドン燃やされているところとか、
アメリカの家のクリスマスの電飾のギラギラの飾り付けの様子を見てもらいたいです。


オバマ大統領は、国民一人一人にエネルギー節約を奨励するより、
化石燃料エネルギーから代替自然エネルギーに変えるという”元の所”を変える様子です。
日本の政府や日本の社会は、日本人一人一人の資質高いから、一人一人の努力に頼りすぎです。
ついつい 「欲しがりません 勝つまでは」式 の方向へ行ってしまいがちです。
アメリカは、一人一人の大量エネルギー消費の態度を改める努力をたいしてせずに
元のエネルギーの原料を変えて、大量エネルギー消費じたいは なんとかし続けるつもりでいるように見えるんですが。

今朝もNYは薄く雪が積もり まだまだ寒いです。

リリー先生


「 マートル轢き逃げした デイジーを 彼女とトムの住む屋敷に
 ギャツビーは送り届けたあと、 ギャツビーは、屋敷の庭にとどまって
 デイジーを 心配し続けています。


 ギャツビーは どうして そこで 一晩中待ち続けていたのでしょう?


 そうですね、ギャツビーは、デイジーが 屋敷から出てくるのを
 期待していました。 
 デイジーと トムに何か騒ぎが起こったりしたら、救い出して
 そのまま デイジーを連れ去ろうと 思って待っていたのでしょう。 
 カウボーイのように。


 それに反して、ニックは そんなことが起らないのを知っていますね 」
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第7章の最後の数ページあたり

リリー先生


「 ケアレス careless な デイジー
 自分のことが一番大切な おバカなデイジー。
 
 彼女は、マートルが 道路に飛び出してきたとき、マートルを避けようと、
 反対側の車線に向けて いったん、ハンドルを切りました、でも、
 反対車線には 対向車が向かって来ていたので、
 その対向車に突っ込んで 自分が傷つくよりは
 マートルを いちゃうほうをんだわけですね 


 この国の大金持ちのかたがたは 何しても許されると思ってるんですね 今でも」


ますます、パリス・ヒルトン に似て見えてきました。
パリスも 交通事故を起こして、でも 自分はセレブだから許されると思い込んでいて、
裁判で 刑務所に拘置されることが決まったとき、
" It's not fair." 不公平だとかずるいわ、とか叫んでましたもんね。
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村上春樹版:p.260~p.261
原書:p.143

 この小説が始まってから ずっと、この クライマックスの悲劇 自動車事故は、

 繰り返し 手を変えを変え、 
 予示され、 めかされて foreshadow されていました。

 予示のもっとも大きいのが、
 教室(30)第3章 のところで書きました ギャツビーの屋敷から出たところの道路で起きた事故です。


 ギャツビーでの豪華なパーティーが終わり、
 帰り客たちの自動車で 出口の道路が混みあっています。

 1台の自動車が事故を起こして 道路わきの溝に はまり込んでいました。

 車輪がひとつ取れてしまっていました。


 自動車の中から一人の男が出てきました。事故を眺めていた人たちは、
 その男が 運転して事故を起こしたのだと思って、いろいろ事故の事情を訊ねていました。
 でも、実は、まだ中に一人男が居て、実は、運転していて事故を起こしたのは
 そちらの男だったのだ、という 自動車事故の話でした。

 これは、マートル轢き逃げした自動車に乗っていたギャツビーデイジー
 皆は、ギャツビーが犯人だと思っていたけれども、実は、犯人はデイジーだった、という事情の
 予示 foreshadowing だったわけです。