ココロヘン #7
高木輪花が運転する赤いVOLVOは、スムーズな車線変更を繰り返して、前方を走る車を次々に追い越していく。
助手席の森野壮介は、規則的に往復するワイパー越しに、灰色に煙る山々の蜃気楼を遠く眺めていた。
「ソウちゃんさあ、いつまで今の仕事続けるの?ショップ店員なんか、いつまでもやっていられるわけじゃないでしょ?オーナーにでも、なるつもり?」
猛スピードで雨粒が砕け散る音と、ワイパーのゴムがガラスを擦りつける音が車内に入り込んでくる。
「いやいや。オーナーになんかなる気はないよ。まあ、今の仕事が嫌になったら、とっとと辞めて、バイトでもするよ」
「ふうん・・・。やっぱり、将来のこととか、あんまり考えてないんだね。結婚は、しないの?」
「結婚かぁ・・・。いつかは、したいかもね・・・。あっ、そうだ!リンちゃん、ダンナと別れて、オレと結婚してよ」
輪花は、一瞬だけルームミラーを確認して、減速をはじめたVOLVOを高速道路から降ろした。信号待ちのウインカーは、海がある方向を点滅していた。
平日の昼間、悪天候の条件では、海浜公園の駐車場は貸切状態だ。空と海の灰色は、空気まで重く染めて、世界の視界を有耶無耶にしてしまった。
輪花はタバコに火をつけて、ウィンドウをほんの少し降ろした。
「この車、禁煙じゃなかったっけ?」
壮介は、飲みかけの缶コーヒーを口にした。
「いいの。この車は、もうわたしの物だから」
「・・・・・・」
輪花は、狭い隙間から雨の中に、細い煙を吐き出した。
「わたし、離婚したんだ」
「そうなんだ・・・。いつ?」
「先週」
壮介も、タバコに火をつけた。
「一昨日さあ、実家に帰ったらさあ、弟が生意気にも彼女を連れてきてんの」
「・・・」
「すっごく可愛らしくて、愛想もよくて、ホントにいい子なの。なんで、こんなカワイイ女の子が弟なんかに?って、家族全員が不審に思ってたわけ」
「・・・」
「彼女の名前ね、"リン"っていうの。"リンカ"と"リン"。紛らわしいでしょ」
輪花は、タバコの火を灰皿に押し付けた。そして、壮介に向き直った。
「高木輪花から、元の姓に戻って、今のわたしは、山下輪花。山下達矢は、わたしの弟。弟がいつもお世話になっています、森野チーフ」
壮介は、驚いた表情を輪花に向けた。なにか気の利いたセリフを口にしようとしたが、咄嗟に思いつかない。タバコの火を灰皿でもみ消した。
「達矢が、この前、ソウちゃんとリンちゃんと一緒にご飯を食べに行った時のことを話してくれたの」
「そうなんだ・・・」
「その時のリンちゃんは、わたしたちと同じ顔をしていたわ。リンちゃんも、同類・・・。そうでしょ?」
「うん・・・」
輪花は、自分の予想が見事に的中したので、満足な笑みを浮かべた。
「だから、わたしのことを"リンちゃん"って呼ぶようになったのね」
「バレちゃたかぁ・・・。なかなか、いい作戦だと思ったんだけど」
「確かに、そうね。二人とも"リンちゃん"って呼んでたら、呼び間違うことないもんね。まさか、リンちゃんを"リンカ"と呼ぶことはないでしょうし・・・」
不意に、壮介はうつむいてしまった。
「ええっ!?もしかして、呼んじゃったの?」
「うん・・・。しかも、アンニュイな時に、耳元で・・・」
輪花は、勢いよくシートにもたれて、大声を出して笑いだした。
「マジで!?信じらんないわ・・・。あっ!だから、あの子、わたしが自己紹介したとき、あんな目をしていたのね。リンちゃんのほうが、先に、わたしとソウちゃんのこと気付いてたんじゃない。なんてことなの!」
笑いが収まると、輪花は激しい雨に煙る海をぼんやりと眺めた。沈黙の空間に、雨粒が鋼板を叩きつける重たい音が、切れ目なしに鳴り響く。
「"リンカ"ちゃん、これから、どうするの?実家に住むの?」
「ううん。大学の時からの友だちと、一緒に部屋を借りたんだ。彼女のお店の手伝いをすることにしたの。以前から、時々、手伝ってたんだ。それでね、わたし、そこで店長さんになるの。わたしが店長なんて、変な感じだけど、これからは、ちょっとマジメに働こうかな、なんて思ったりしてるんだ」
「そうなんだ・・・・・・」
「それで、ちょっとマジメに生きていこうかな、なんて思ったりもしてる・・・」
壮介は、輪花の言葉の全ての意味を一瞬で理解した。
「リンカちゃん、どこか、近くの駅まで送ってくれる?電車で帰るよ、オレ」
一人の女の人生に、自分が邪魔な存在になってしまった。一刻も早く、関係を解除することが自分の使命だということを、壮介は頭の中で何度も確認した。
助手席の森野壮介は、規則的に往復するワイパー越しに、灰色に煙る山々の蜃気楼を遠く眺めていた。
「ソウちゃんさあ、いつまで今の仕事続けるの?ショップ店員なんか、いつまでもやっていられるわけじゃないでしょ?オーナーにでも、なるつもり?」
猛スピードで雨粒が砕け散る音と、ワイパーのゴムがガラスを擦りつける音が車内に入り込んでくる。
「いやいや。オーナーになんかなる気はないよ。まあ、今の仕事が嫌になったら、とっとと辞めて、バイトでもするよ」
「ふうん・・・。やっぱり、将来のこととか、あんまり考えてないんだね。結婚は、しないの?」
「結婚かぁ・・・。いつかは、したいかもね・・・。あっ、そうだ!リンちゃん、ダンナと別れて、オレと結婚してよ」
輪花は、一瞬だけルームミラーを確認して、減速をはじめたVOLVOを高速道路から降ろした。信号待ちのウインカーは、海がある方向を点滅していた。
平日の昼間、悪天候の条件では、海浜公園の駐車場は貸切状態だ。空と海の灰色は、空気まで重く染めて、世界の視界を有耶無耶にしてしまった。
輪花はタバコに火をつけて、ウィンドウをほんの少し降ろした。
「この車、禁煙じゃなかったっけ?」
壮介は、飲みかけの缶コーヒーを口にした。
「いいの。この車は、もうわたしの物だから」
「・・・・・・」
輪花は、狭い隙間から雨の中に、細い煙を吐き出した。
「わたし、離婚したんだ」
「そうなんだ・・・。いつ?」
「先週」
壮介も、タバコに火をつけた。
「一昨日さあ、実家に帰ったらさあ、弟が生意気にも彼女を連れてきてんの」
「・・・」
「すっごく可愛らしくて、愛想もよくて、ホントにいい子なの。なんで、こんなカワイイ女の子が弟なんかに?って、家族全員が不審に思ってたわけ」
「・・・」
「彼女の名前ね、"リン"っていうの。"リンカ"と"リン"。紛らわしいでしょ」
輪花は、タバコの火を灰皿に押し付けた。そして、壮介に向き直った。
「高木輪花から、元の姓に戻って、今のわたしは、山下輪花。山下達矢は、わたしの弟。弟がいつもお世話になっています、森野チーフ」
壮介は、驚いた表情を輪花に向けた。なにか気の利いたセリフを口にしようとしたが、咄嗟に思いつかない。タバコの火を灰皿でもみ消した。
「達矢が、この前、ソウちゃんとリンちゃんと一緒にご飯を食べに行った時のことを話してくれたの」
「そうなんだ・・・」
「その時のリンちゃんは、わたしたちと同じ顔をしていたわ。リンちゃんも、同類・・・。そうでしょ?」
「うん・・・」
輪花は、自分の予想が見事に的中したので、満足な笑みを浮かべた。
「だから、わたしのことを"リンちゃん"って呼ぶようになったのね」
「バレちゃたかぁ・・・。なかなか、いい作戦だと思ったんだけど」
「確かに、そうね。二人とも"リンちゃん"って呼んでたら、呼び間違うことないもんね。まさか、リンちゃんを"リンカ"と呼ぶことはないでしょうし・・・」
不意に、壮介はうつむいてしまった。
「ええっ!?もしかして、呼んじゃったの?」
「うん・・・。しかも、アンニュイな時に、耳元で・・・」
輪花は、勢いよくシートにもたれて、大声を出して笑いだした。
「マジで!?信じらんないわ・・・。あっ!だから、あの子、わたしが自己紹介したとき、あんな目をしていたのね。リンちゃんのほうが、先に、わたしとソウちゃんのこと気付いてたんじゃない。なんてことなの!」
笑いが収まると、輪花は激しい雨に煙る海をぼんやりと眺めた。沈黙の空間に、雨粒が鋼板を叩きつける重たい音が、切れ目なしに鳴り響く。
「"リンカ"ちゃん、これから、どうするの?実家に住むの?」
「ううん。大学の時からの友だちと、一緒に部屋を借りたんだ。彼女のお店の手伝いをすることにしたの。以前から、時々、手伝ってたんだ。それでね、わたし、そこで店長さんになるの。わたしが店長なんて、変な感じだけど、これからは、ちょっとマジメに働こうかな、なんて思ったりしてるんだ」
「そうなんだ・・・・・・」
「それで、ちょっとマジメに生きていこうかな、なんて思ったりもしてる・・・」
壮介は、輪花の言葉の全ての意味を一瞬で理解した。
「リンカちゃん、どこか、近くの駅まで送ってくれる?電車で帰るよ、オレ」
一人の女の人生に、自分が邪魔な存在になってしまった。一刻も早く、関係を解除することが自分の使命だということを、壮介は頭の中で何度も確認した。
ココロヘン #7