(途中から妙に「降りて」来ちゃって予想外に長い文になりました・御覚悟召されよ)
今日、うっかり自分のFBのタイムラインに流れてきたトランプ大統領が就任してから戦争をしていないという事実の話をシェアしたら、
在米・たぶん投票権のあるとてもまじめで心優しい日本人の知り合いから「これは猛烈に抗議します!」という真剣かつ長い書き込みを食らってしまったよ。
彼の街にトランプ氏が遊説に来るのに反対するデモの話なんかを前の大統領選の時から上げていた人だったので、
「日本で報道されているほどヒールな大統領かな?」という今回の私の投稿スタンスでも逆鱗に触れてしまったようだった。
まぁ日本在住の友人に向けて書いたつもりだったのが配慮が足りないと言えば足りなかった。
(「オバマ時代に戦争が多かったのはブッシュの共和党政権のしりぬぐいをさせられたからだ、他国に攻めていかないのが偉いならネロもポルポトも平和主義だったってことですか?」他、オバマ政権でやろうとした医療保険制度をつぶした、コロナに対して無責任すぎる上に自分も罹患した、等々・・。米国にいる知性ある移民の民主党支持者はこういう根拠で共和党及びトランプ政権を選びたくないんだな、という私の知識にとてもなりました。)
でもまぁ・私のような日本在住でもちろんアメリカ大統領選の投票権もないような人間の書き込みに対しても
普段温厚で真面目な人がここまで気色ばんで反論を書き連ねてしまうってことは
民主党寄りの地域に住んでいる人が「実はトランプ派だ」なんてことは怖くて口に出せないし
トランプ支持のステッカーだってこれじゃ確かに怖くて貼れないだろうな、と思った。
なんかね~~~~~、自分の支持するものを大事にしたい、応援したいあまり対抗する陣営を支持しているような人たち全てに簡単に攻撃的になるのって、もうやめられないだろうかな。
それこそ、この分断や対立こそ、
不安や怒りや絶望や疑いから来る猛々しい反応やお互いへの攻撃の気持ちや姿勢こそ、
誰かがもっとも狙っていることじゃないだろうか、と思ったよ。
もうそういう外界に振り回されてネガティブ波動を出して誰かを喜ばせるの、やめたいよね。
みんな真剣に自分の住んでいる国のことを考えているから、ああいうふうに真剣になりすぎてしまうんだろう、というのはわかるけれどね。
自分が自分の国の政治に対するときにも気をつけよう、と自分のことを振り返ってしまった。
このところスピリチュアル界隈の人達がこぞって「分離・分断から離れよう」というメッセージを出しているよね。
みつろうさんは直接大統領選のことについて・
みなみ・A・アシュタールさんたちは「二極化」ということについての動画で。
この動画の「二極化」という発想は地球の上でのことでしかない、というのはとても良いです。
みんなちょっと最近陰謀論に振り回され過ぎていて、本来の「悟る」「目醒める」から逸れてきちゃているかもしれない。
これと並行して日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老の動画を何本か見ていたら達観した波動に影響されちゃったからか、思った。
結局私たちは自分で自分の死さえも選べないような生き物の中に入っている魂だし
この肉体、この環境、この時代性の中で「どのようにして悟りの視点を持つのか」の遊びに来ているわけです。
外界がどのような状態になっても、
自分の肉体がどのような状態になっても、
そこから「悟り」「目醒め」の光の方向にいつも目を向けて
じりじりとあきらめないで進むだけなのです。
だから外界に心を持っていかれて一喜一憂したりするのはちょいと違うよね。
びっくりするような外界が来たら、「おお、そう来たか!」と内心思って自分を整えていく以外に何もやることはない。
私が自分で思い出すのは、4年前ヒラリーさんが落選してトランプさんが大統領になった時の事。
政治家の経験のないマッチョなビジネスパーソンが一体どうして選ばれたのか、と眩暈がしたし
どうなるんだろう??と思ったよ。
4年後の今、私は両者についてどう思っているだろう?
それを思えば4年前はあれが最善だったわけだし
だから今回もどちらになるのか逼迫しているけれど
収まるところに収まり、それがたぶん未来から見た最善になるに違いないと受け止める。
最善じゃないとしても、自分はその中で最善を目指して生きるわけ。
自分の未来や幸せって、自国の政府や他の国の大統領に握られているわけでもないよね。
自分の幸せって、外界の何にも侵されない至福と安定のはずだから
それを目指していくことをいつもしていればいいって話よ。
何も変わらない。
今までもこれからも、目指すことはひとつ。
外界も現実も自分の体や心の苦しみも、
そんなの全部関係ねー!!
コロナも関係ねー!!
今年無収入なのも関係ねー!!
全部、ほんと、自分の目指すものとは関係なかった。
↑
これが今解ったら、
何もかも自分に「不利」だとか「不幸だった」とか何も意味がない、関係なかった。
自分がどんな状況に置かれたって、やることはひとつだった。
どんな状況も現実も、それで私に何か影響があるということはない。
いつも今から、ここから、
常に目醒めの光に向かって一歩足を出そうとするってだけだ。
(あれ、「いいね」ボタンが消えちゃってるんだけれどなんで???)