週末、渋めの赤ワインを買い込み、満員御礼の藤崎催事場で何かつまみを~とウロウロしていたら、開高健の自筆の手紙が突然目に飛び込んできた

「私は一人の小説家にすぎませんが、たまたま友人の一人にあなたのチーズをもらい、感嘆しました。見事な出来です。ずいぶんいろいろな国でいろいろのチーズを食べてきましたが、これは抜群です。好みによってはもう一味か半味、コクがほしいという人もあるでしょう。しかし、そうなると日本人向きではなくなるかもしれません。今までの上品さ、軽快さ、澄明をしばらくつづけられるのがいいでしょう。いずれこのチーズはヒットするし、有名になることでしょう。しかし、そうなっても頑強不屈に味を守り抜いて下さい。志を守り抜いて下さい。」

とても味のある、相田みつをさんのような字体に魅せられて、差し出された試食も旨かったので、即「クレイルチーズ」を購入することに このチーズの特徴は乳酸菌を殺していない「生」のカマンだそうで、整腸に優れ肌にも良い・・・となれば、お店のコンセプトにも合致、大好きな赤ワインのお伴にいいではないですか?! ウロウロしてみるもんですね 人生においてもウロウロする時間は大切です 夕方、そのチーズとワインを片手にHGとSJと宅呑みして二日酔い 翌週お店では、おつまみに出したチーズの話題で満載 そこへ藤崎のバイヤーさんがいらして、その昔、このチーズの創業者のお父様に大変お世話になったというはなしを ランちゃんはそのチーズの本社のすぐ近くに、その昔購入した土地があるとのはなしを 綾ちゃんはまさしくそのチーズの町で祖父母が農業を営んでいるとのはなしを 地球は丸い、世界はなんとも狭いのであります だから、みんな仲良く助け合って生きていかねばならないと痛感します・・・ そういえば、私の、酒に酔ったときの口癖は「人類みな兄弟!」らしい 

齢のせいか、このところ涙腺がゆるんでたまらない(ブタクサの花粉症かもしれないが) 昼下がり家の近くの交差点で、それはあまりにも突然に訪れた 買い物かごをいっぱいにした自転車に乗って戻ってきた父が、眩しい日差しの中で私に気づき微笑んでいるではないか・・・勿論幻影である 涙が溢れた いついつまでも「父」は私のこころの世界で元気に生き続けていることに嬉しくもあり、そして哀しくもある 小林秀雄は語った 生きている人間などというものはどうにも仕方のない代物で、鑑賞にも観察にも堪えない、其処に行くと死んでしまった人間というものは大したもので、まさに人間の形をしている、してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな・・・と 街路樹は自然の法則を違えることなくもう秋の装いだ 津波の被害は無くとも、3・11に大きく揺れ、その後も不安な夜をどれほど明かしたかしれないこの街のひとたち すれ違うおじいさんや子供たちがどこか愛おしく感じるのはこの私だけじゃないはず 人恋しくなって、石井屋のフランスパンを買い込み、ゴメさんと二郎先生をお誘いして、ブルゴーニュの丘(錦町公園のこと)でちょい呑みすることに・・・ ブルゴーニュの丘でひとり秋風に吹かれていると、ダンディなおじい様から古典的なナンパをされた(笑) ブルドックのようなお顔のかたが連れている犬がブルドックだったことに苦笑 間もなくして、お二人が手料理持参で登場 あぁ、映画「慕情」のラストシーンのようでドキドキする 素晴しい秋の風景をバックに草の匂い、目の前を過るちいさな赤とんぼ、お二人のフランスでの思い出話に笑い 旨いシャンパンで暫し至福のひと時を過ごした後、皆持ち場へと解散! 帰り道、夕焼け空がとっても美しかった そんな平凡な、当たり前の日常の中に幸せと真実は隠されている 先日観た、NHK SONGS(録画)長渕剛さんの(東日本大震災の支援活動を行っている宮城・東松島市の航空自衛隊松島基地を慰問した際の)ライブを思い出した ラストは全国から集結した自衛隊員約1500人とスクラム組んで大合唱したその歌は「乾杯」 かたい絆に想いを寄せて 語り尽くせぬ青春の日々 時には傷つき時には喜び 肩を叩き合ったあの日・・・ 生涯、青春なり 

週末は、陽だまりの中で、ミスターHG(これからは彼をこう呼ぶ)からお借りした、時のひと、古賀茂明さんの著書を熟読した 日本の中枢である政治経済行政が、ここまで危機状態にあると感じていた国民がどれほどいるのでしょう・・・ 思えば、1867年10月 京都の二条城での大政奉還 その後日本は明治維新へと大きな歴史的転換を図った、あの時の熱き情熱はどこへ失せてしまったのだろうか 書の中に、学歴社会がもたらした官僚の特性のひとつに「過ちを認めない」というのがある 秀才の特性と言ってもいい 常に褒められていた秀才は、怒られることと批判されることを極端に嫌う だから、批判のもととなる「過ち」は、絶対に認めたくはないのだ 自分は優秀だから間違えるはずはないという驕り 仮りにそれに気づいたとしても、何とか糊塗するだけの知恵を有している彼らは、官僚特有の「レトリック」を駆使して決して過ちを認めない これは官僚の「無謬性神話」・・・とあったが 久々に「無謬」という言葉を目にした 要するに誤りを犯さないことを重視するために何もやらないことがいい、ということである あぁ、現代の坂本竜馬なる人物は何処に・・・ 

内田先生がある媒体からアンケートを受けた、その内容文が私の疑問を解いてくれた Q,日本の若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? A,自分のために戦う人間は弱く、守るものがいる人間は強い これは経験的にはきわめて蓋然性の高い命題である 「オレがここで死んでも困るのはオレだけだ」と思う人間と、「オレはこんなところで死ぬわけにはゆかない」と思う守るものがある人間では、ぎりぎりの局面でのふんばり方がまるで違う それは社会的能力の開発においても変わらず、自分ひとりの立身出世や快楽のために生きている人間は自分の社会的能力の開発をすぐに止めてしまう 「まあ、こんなもんでいいよ」と思ったら、そこで止る でも、他人の人生を背負っている人間はそうはゆかない 人間は自己利益を排他的に追求できるときではなく、自分が「ひとのために役立っている」と思えたときにその潜在能力を爆発的に開花させる これは長く教育現場にいた人間として骨身にしみた経験知である う~ん、現代の病ともいべき人間関係の希薄さか、家庭の崩壊ゆえか・・・この大震災で絆とか何かに目覚めることができればと願うのだけど 

追伸 メディアテークで開催されている、尊敬する三浦敏先生の絵画個展「旅景」 フィレンツェからローマへの道すじ、トスカーナ地区の農園の広がりの中 小さな町や、糸杉のある白い家、山並みに雲のゆらぎが写り込む陰影 印象深い景色が忘れられず、モノトーンの絵を描き始めたのが2001年の秋・・・だそうです 平和な旅景にどうぞこころ休めてみてください(明日まで)