禍福は糾える縄の如く、人生は結局のところ帳尻が合うという。GW明けからハードな一週間であった。岩手大学付属動物病院へ入院したチョコは椎間板ヘルニアの手術を終えて無事4日後に退院した。切迫流産で緊急入院した娘も山を越え、登園拒否していたモンスターも心の中のハードルをひとつ乗り越えた。東奔西走した身体に沁みる〆の酒は実に旨い。そして、人に傷つき人に癒されもした一週間。その一つを紹介したい。
わたしは、若い時に卑弥呼という靴のブランドがお気に入りだった。先日友人のウインドウショッピングに付き合ったときのこと。懐かしいそのブランドのお店に足を踏み入れた。個性的なイメージは昔と同じ。古着派の私であるが、年に一度位は新品の商品に一目惚れすることがある。その直感に裏切りはない。 ふと、ある素敵なサンダルに目が留まったが、自分の足のサイズの在庫を問うと、会社の規定で取り寄せはできないのだという??????仙台にはもう一店舗取扱店があるというので、取り敢えずそのお店に行ってみることにした。Mデパートに入っていたそのテナントはどこか冷たい雰囲気が…予感は的中 。在庫はなく、取り寄せる気もなく上から目線の対応に苛立つ気持ちを抑えて前のお店に戻ると、先ほどの店員さんが、クレーム言ったわけじゃないのに何度も謝罪しながらそのサンダルの在庫を抱えているショップを検索してくれた 。「丸井の新宿店なら。東京に行かれることはございますか? 」が、その予定はない 。新宿へ転勤した友人の顔が浮かび、すぐにお願いをしたところその日の夕方には丸井へ行ってくれた。 持つべきものは友なり 友人が事情を話すと丸井の店員さんは代引きシステムで商品をすぐに発送してくれたという。 翌日には私の自宅に一目惚れしたブツが無事に届き、お代も友人に立て替えてもらわずに済んだし。と、荷物の中に手書きのメモが同封されていた「拝啓 いつも卑弥呼をご利用頂きありがとうございます。 修理や調整はいつでも承っておりますので何かお困りのことがありましたらいつでもお気軽にご相談くださいね。これからも卑弥呼を宜しくお願い致します。」企業は人なり お店もまたひとなり そこへ嬉しいニュースが飛び込んできた。5年前にドバイの日本人学校へ赴任した友人が帰国したと… 大好きな熱い仲間がまたひとり帰ってくる。
地球が太陽の回りを回っている」今から500年ほど前、コペルニクスが唱えた地動説。当時は「地球の回りを太陽やそのほかの星々が回っている」という天動説が信じられていた時代。自分で作った望遠鏡で天体観測をして地動説を裏付けたガリレオも、宗教裁判にかけられ虚言だったといわされたという時代があったのだからそれは恐ろしい。その後科学は進歩したかのように思われるが、未だ天気予報さえ100%当たることはない。お陰で準備万端に気合を入れたフリーマーケットは中止となった。その日は雨音をBGMに、その昔癒しの映画でヒットした「かもめ食堂」の続編「めがね」をまったりと鑑賞することにした。人生に行き詰まりを感じた主人公が、観光も何もない(与論島らしい)島で何かを見つけたいというが、かき氷屋の女将は言う「そんなに見つけなきゃならないことなのかね」この言葉にすべてが集約されてるようにおもった。そこで主人公は黄昏れるの術を磨くのである。街角の煙草屋までの旅というエッセイにも同様のことが描かれていた。確か作者は吉行淳之介だったと記憶するが、時にはどこにも属しない無所属の時間が大切である、大人には。
朝起きれば娘として家の用事があり、時々は母親として娘のお腹の子を案じては電話を入れてお茶などしてみる。5月5日、孫の誕生日のおめでとうメールは忘れずに。そして、年に数回は姉として愚弟に「たまには実家に顔を出したら」などと、本当はどうでもいいのだが、苦言を呈したり。飼い主としての自分もいる。愛犬チョコは突然調子が悪くなる。お休みの日でもお店の掃除やらなんやらやらなきゃならないことは沢山あってね。みんなそうだけどね~
翌日は晴れ、相方とローカル線に飛び乗った。今回は幸運にも乗り継ぎの列車はみなボックスシートで、気兼ねなく酒宴ができた。高畠町のワインフェスティバルを堪能して、帰りの電車の時間まで高畠の町内(というより田畑)をレンタルサイクルで回る。風を感じる。与論島じゃなくとも、日本という国の田舎ならどこでも「黄昏れる」ことができる。いい旅であった。
GW最終日は、朝からバタバタと動物病院へ。 ダックスフンド は軟骨異栄養性犬種といい、犬種として軟骨の変性が起こりやすい体質を持つという。ダックスフンドやフレンチブルドック、コッカスパニエルなど、人為的に可愛く品種改良されたその結果ゆえ、椎間板ヘルニアになりやすいと言われているが、なんと愛犬チョコの病気はそのヘルニアであった。「どんなにお金がかかってもいいから、どうかチョコを助けてください」と懇願する母。そんな母のため、何よりもチョコはおじいちゃんの形見だからね。結局、岩手大学農学部付属動物病院で緊急手術を行うことになった。犬の7歳といえば人間で50歳ほど。私と同世代(笑)何のご縁か、今ここに共に暮らす仲間なれど、まだまだチョコには犬生を愉しんでもらいたい、公園でいつものようにお得意の黄昏れをしてもらいたいと、こころからそう願う。明日は早起きして久々にハンドルを握る。
週明け早々朝から物騒な事件、無免許の少年の運転する車が小学生の集団登校の列に飛び込んだという緊急速報が流れてる。6年前の夏、息子が居眠り運転で電柱に衝突したことがあった。いつ、何が起こるやもしれぬ世の中。時に加害者でなかったことに案ずるも…いつも下着は清潔になさい とは、亡き祖母の口癖であるが今なら心にズシンと響く。震災以降、このままどこかで倒れたら… また地震が来てライフラインが途絶えたら… そんなことを想定しながら日常生活を送っているもう一人の自分がいる。日本の安全神話は崩れたと誰もがいう。内田先生の国際関係論では、「管理できる危険」を「リスク」、「管理できない危険」を「デインジャー」と呼び分ける。「晴天型」の競争主義者は「負けるリスク」のことしか考えない。だから「デインジャー」については何も考えない。「グローバル競争」とか「グローバル人材」というような言葉をうれしそうに口にするのはこの類の人間である。このタイプの人間は危機的局面では腰を抜かしてものの役に立たない。だが、集団が生き延びるためには、社会組織の要路に一定数の「デインジャー対応能力のある人々」が配置されていることが必要であるという、このことが良く良く理解できる。週末、せっかく予行練習までした、ローカル線の席取りが上手くできなくて気落ちしたが、これもディンジャー対応能力の未熟さか。でも、一目千本桜の美しさがその気持ちを晴らしてくれた。今年はその花の美しさを心の目で見ることができたようにおもふ。二年前に眺めたそれよりも花は力一杯咲いているようにもおもふ。 翌日は久々の二日酔い。一日中家に閉じこもり、大河ドラマ篤姫を再度観ながら食っちゃね~のブタのような一日を過ごしてしまった。私は篤姫の生き方が好きだ。生き方といっても、女が自分で自分の人生を自由に選択できない時代ゆえ、その生き様ということだが。薩摩から江戸までの二ヶ月に及ぶお輿入れの旅の後、大奥へ上がるまでに二年の時を待つのだが、この時間が自分の心を強くしたと篤姫は語る。長い人生にはどんなに避けようとしてもどうしても通らなければならない道というものがある。そのときは弱音を吐かずに愚痴も言わずに黙って歩くことだ。今日も暖かなお天気に、急遽中野ちゃん親子と二郎先生と、飛び入りのタケダとブルゴーニュの丘にて花見を… 2歳になる雪ちゃんは元気な盛り、お花見どころではない彼女に昔のわたしを重ねる。子育てには、まったがない。でも、この数年の思い出が後に癒し薬となって常に彼女を支えてくれるだろう。この私がそうであったように。人生には無駄な時間などないのである。