週明け早々朝から物騒な事件、無免許の少年の運転する車が小学生の集団登校の列に飛び込んだという緊急速報が流れてる。6年前の夏、息子が居眠り運転で電柱に衝突したことがあった。いつ、何が起こるやもしれぬ世の中。時に加害者でなかったことに案ずるも…いつも下着は清潔になさい とは、亡き祖母の口癖であるが今なら心にズシンと響く。震災以降、このままどこかで倒れたら… また地震が来てライフラインが途絶えたら… そんなことを想定しながら日常生活を送っているもう一人の自分がいる。日本の安全神話は崩れたと誰もがいう。内田先生の国際関係論では、「管理できる危険」を「リスク」、「管理できない危険」を「デインジャー」と呼び分ける。「晴天型」の競争主義者は「負けるリスク」のことしか考えない。だから「デインジャー」については何も考えない。「グローバル競争」とか「グローバル人材」というような言葉をうれしそうに口にするのはこの類の人間である。このタイプの人間は危機的局面では腰を抜かしてものの役に立たない。だが、集団が生き延びるためには、社会組織の要路に一定数の「デインジャー対応能力のある人々」が配置されていることが必要であるという、このことが良く良く理解できる。週末、せっかく予行練習までした、ローカル線の席取りが上手くできなくて気落ちしたが、これもディンジャー対応能力の未熟さか。でも、一目千本桜の美しさがその気持ちを晴らしてくれた。今年はその花の美しさを心の目で見ることができたようにおもふ。二年前に眺めたそれよりも花は力一杯咲いているようにもおもふ。 翌日は久々の二日酔い。一日中家に閉じこもり、大河ドラマ篤姫を再度観ながら食っちゃね~のブタのような一日を過ごしてしまった。私は篤姫の生き方が好きだ。生き方といっても、女が自分で自分の人生を自由に選択できない時代ゆえ、その生き様ということだが。薩摩から江戸までの二ヶ月に及ぶお輿入れの旅の後、大奥へ上がるまでに二年の時を待つのだが、この時間が自分の心を強くしたと篤姫は語る。長い人生にはどんなに避けようとしてもどうしても通らなければならない道というものがある。そのときは弱音を吐かずに愚痴も言わずに黙って歩くことだ。今日も暖かなお天気に、急遽中野ちゃん親子と二郎先生と、飛び入りのタケダとブルゴーニュの丘にて花見を… 2歳になる雪ちゃんは元気な盛り、お花見どころではない彼女に昔のわたしを重ねる。子育てには、まったがない。でも、この数年の思い出が後に癒し薬となって常に彼女を支えてくれるだろう。この私がそうであったように。人生には無駄な時間などないのである。