あるグループホームに入所していた認知症のおじいさんが自殺をほのめかす言葉を残して、外出しました。後を追った介護士。引き留めても感情が高ぶるだけなので、雑談をしながら一緒に歩きました。歩道橋の上で「ここがいいか」というおじいさんに「いや、もっと他の場所がいいですよ」。ビルの屋上に来ると「もっといい場所を探しましょうよ」そのうちに、おじいさんは当初の目的を忘れ、介護士と散歩している気分になっていきました。夕暮れ近く、おなかがすいたおじいさんは、目に付いたハンバーガーショップに入りました。注文をして、レジの女性に「いくらだ」とポケットから取り出したのは、くしゃくしゃのティッシュペーパー。介護士は一瞬、青ざめました。他人から間違いを指摘されると、認知症の人は逆上して不安定になることがよくあるからです。でも、レジの若い女性は落ち着いて、笑顔でこう答えました。「申し訳ありません。当店においては現在、こちらのお札はご利用できなくなっております」おじいさんは「そうか、ここでは、この金は使えんのか」と、あらためてポケットの小銭を取り出しました。介護士はすっかり、この店のファンになったそうです。 以上、なんかほっとするお話を転記しました。




人には誰でも喉の奥にずっと刺さっている小骨のような、どこか気になることがひとつやふたつあるもの。 震災の一年前に訪問した亘理町の一人暮らしのおかあさま… ご無事だったが津波は家の前まで来たという。 御主人を亡くして「おとうさんがいないと何もできないの」と、講習中にも時に涙してた姿に母を重ねて、さぞかし心細かったに違いない とずっと気にはなっていた。 震災の後遺症か少し認知症が進んだというが、 パソコンは使えているのだろうか。 時間ができたら必ず会いに行こう…そう心に決めてた。 そんなある日の昼下り、私は春の陽気に誘われて常磐線に乗り込んでいた。 常磐線は現在亘理までの運転 その先の線路の復旧は未だ手付かずだ。 岩沼を過ぎると長閑な仙台平野が眼下に広がる。 そしてひさしぶりの亘理駅も昔と変わらずどこか潮の薫りが漂う長閑な町 。 こんな平和な町にも津波は襲ったのだ 。 以前も立ち寄った駅前の花屋でおかあさまが好んだオレンジ色の花を買う。私のことなど憶えてはいないだろうが花やの店員さんはお元気で心の中で無事を喜ぶ 。 と、私がこの土地の人間でないことを知り「あの日はね、向かいのカラオケ屋で老人会の集まりがあってね、家に戻った人とそうでない人、生死が別れてね…」独り言のように話された。あの日のことは皆忘れない。この私も… 暫く農道を歩けば、おかあさまの住む住宅街が見えてくる 。 そして、おかあさまの家の前まで来ると、庭の手入れをしている彼女の後ろ姿が目に飛び込んできた… 私のことがなかなか思い出せないようで… でもそれはどうでもいいことで、元気なおかあさまにお会いできただけで喉の骨がひとつとれました。 どうかいつまでもいつまでもお元気で





このところ様々な行事が重なって、身体を酷使したためじゃないと思うけど・・・ ある朝目が覚めた途端、世界がぐるぐる回った 起き上がれなかったのは、数年前に初めてのぎっくり腰になって以来である 昨晩の酒が残っているのか・・・ しかし、生まれて初めての経験に不安になり、かかり付けの耳鼻科へ するとメニエル症候群、とな メニエルって何? めまいが起こる病気の総称だが、未開発の国に少ない病気なので、ストレスが大きく関わっているのではないかと言われている、いまだ原因不明の病気らしい そんな病気は山ほどあるらしい まあ、半世紀も飛び回っていたら、どこかは故障してくるだろうしね でも、どんなに回っても命にかかわる病気でないこと、お酒は飲んで構わないとのこと だったら、毎日遊園地のコーヒーカップで遊んでいるように愉しむしかない! そう思ったら気が楽になった 楽になったら世界が回らなくなった(笑) 

そんな中、朝から晴れた日曜日、震災で延期となっていた息子の結婚式が、ささやかに親族と親しい友人だけに囲まれて行われた 新郎の親族の席には、娘たち夫婦と、またひとまわり太ったモンスター そして、父の遺影を抱いた母 この一年いろいろなことがあっただけに、こうして普通に喜べることの幸せを、家族という大切な存在を再認識する式でもあった カリール・ジブランの「預言者」という本は、アメリカでは累計9百万部を超え、「聖書の次によく読まれた本」でもあり、あのマイケルの愛読書のひとつであり、美智子皇后さまの心の支えになった本 そんな素晴らしい本を

、その昔、成人式の日に叔母から頂いた 「人生に迷ったら読んでごらん・・・」と その中に子育てのときにこころに刻んだ子供についての一節がある 「子供は自分の子供ではない。(宇宙からの預かりもの)子供の考えを、自分と同じにしようとしてはいけない。その子の人生は、その子が決める。その子だけのものである」 私の三人の子ブタたちは、いつしか私の手を離れ親ブタとなった それぞれに人生の最愛なるパートナーと廻り合い、自分の人生を自分たちの力で、今、歩き始めている この私はただ見守るだけである 花束贈呈のとき、涙でぐしゃぐしゃになった息子と抱き合って、私はジブランの大好きな言葉を思い出していた 愛の深さは離れてみてはじめてわかるものだ・・・ 結婚、おめでとう しあわせにね