このところ、精神的に安定している母。そんな母の傘寿のお祝いを兼ねて、松島の旅館を一ヶ月前に予約した。母には内緒で、露天風呂付きの松島湾に面した素晴らしいお部屋である。過去に家族旅行は沢山したが、娘二人+モンスター達を連れて女だけの宿泊は、お初。子育てで自分の時間が持てない娘たちへも、暫しの癒しの時間を…しかし、日が近づくにつれて、娘とガチンコしたり、私とは口をきかなくなったり、せっかく作った料理を口にすることなく捨てられたりと、いつもの我が儘な母と化して、周囲を困らせる。今では、家のことはほとんど私が賄ってても、老人を労らないと毎朝文句を言う母。これ以上何を求めるのだろうか…こちらもまだまだ未熟な人間ゆえ、常に穏やかに対応するというのは、正直並大抵のことじゃ無い。離婚して実家に戻り、母には恩義がある何も言えない立場ではあるが、晴れて自由の身になった弟を恨む。まぁともあれ、お陰様で週末に無事80歳を迎え、予定通り旅館へ泊まることができた。旅館からのお祝い酒で乾杯。津志田さんから頂いたケーキに入ってた大きなロウソクが8本に火を点ける。お婆ちゃん、早くフ~って消して!とモンスター。亡き父がまだ現役で、モンスターは未だこの地球には存在しなかった頃、ここから大宴会が始まって、みな記憶を失って朝を迎えていたっけ。遠い遠い昔の思い出。時に母は、一緒に持参した父の遺影に「何も楽しいことはありません。お父さん、早くお迎えにきて下さい」と話しかけたかと思いきや、松島湾を眼下に見下ろしながらの露天風呂に感動して、来年も来たいね~と涙ぐむ母が同じ人間とは思えない。テレビの番組で、日本人の平均寿命が85歳と聞いて、今年を乗り切ればあと5年は頑張れる…と母。はて、その根拠はどこにあるのだろう(笑)どれもこれも老化だからと諦めましょう。戦後の動乱から高度成長時代を生きた80年。母の世代の方々は、私らなどの計り知れない苦労を経験した。マンガの意地悪婆さんのように嫌味を言って生きるも、人生を悟り愉しんで生きるも、もうどちらでもいい。とにかく健康でいていただければと、それだけを今は祈るばかりなり。
それにしても、モンスターの成長に私の体力が追いつかない…
雪の舞う土曜の昼下がり、友人の誘いで、尊敬する日野原重明先生の市民公開講座へ行ってきた。時間ちょうどに 現れた先生は、水差しが有るで無く、毅然と場内を見渡しながら、時には辛口のユーモアを交えながら、凛とした張りのあるお声で講演すること1時間、最後まで立ちっぱなしであった。これには驚いた。お題は、長寿をゴールに若い時からの心身の健康づくり。要点だけを言えば、習慣がそれを作り上げるということ。どの点に気をつけるのかといえば、1に息づかい。長く息を吐き切ること。2に食。先生は腹八分目、朝と昼は牛乳となんチャラだけ…忘れた。野菜だけじゃなく何でも食べる。当たり前のことだが、暴飲暴食を避ける。3に動く。一万歩とはいかなくとも毎日歩くこと。4に睡眠。先生はうつ伏せ寝を推奨されてたが、女性は枕の後が顔に残るかも?中年になるとこれが中々取れないから、どうかな。5に仕事。先生は101歳と3ヶ月の今も毎日回診しているそうである。最後に奉仕。先生の名言は語り尽くせないが「なんと言っても、人が人に与える最高のものは、心である。他者のための思いと行動に費やした時間、人とともにどれだけの時間を分けあったかによって、真の人間としての証がなされる。」というお言葉を記憶している。寿命とは時間のこと。長く生きることが決して素晴らしいことではない。与えられた時間をどう生きたか…
と、娘から「モンスターに歯が生えてきた」とのメールが届いていた。これから生え揃う20本の乳歯を日々の歯磨きで大事にするんですよ。これも、習慣なり。因みに先生は101歳で18本ご自身の歯が健在であるというから、参りました。
昨日は、寂しいことに最後の麻雀教室。昨年11月に、えりちゃんからお声がかからなければ(私からも)恐らく通うことの無かった麻雀教室、どんな習い事もそうであるが上達するにつれて麻雀に魅せられ、また沢山のお友達もできた。冬の道路事情の悪い中、毎回送り迎えをしてくれたえりちゃんに感謝である。お互い女雀士目指して(笑)今後も引き続きよろしくです。
時々拝見する残間里江子氏のブログには、大変な介護の様子が綴られている。私なんてまだ幸せな方だなと思う。彼女のお母様は現在94歳で100歳まで生きる!という気丈なお方。昔から、そのお母様の口癖は、自分より大変な方々もいるんだから…まだ幸せ、だったという。その言葉が今の残間さんを支えているというのだから、皮肉なものである。いづれにせよ、介護は長丁場、気負わないようにと。
週末、久しぶりの土曜講習を終えてから、ランさんのお誘いで、お仲間たちにも声がけして、大人8人+モンスターで行ってきました「韓国食堂」。震災前には大町にあったとか、韓国領事館の方々も御用達という知る人ぞ知る韓国料理店。震災後に別の場所に移り、今は夜のみ、予約のみ、それもお任せのコース3000円のみの営業だそうな。本番韓国ノリとキムチから始まり、韓国の家庭料理が続き、ボリュームたっぷりのチジミは絶品。乾杯ビールの後のマッコリ1リットルボトルが5本を越えた頃に残りのメニューを尋ねると、魚料理にお鍋…と女将。他の韓国料理店でも感じるのだが、韓国人の女将はみな肌がツルツル。やはりキムチパワーなのだろうか?最後は皆セーブしながら芋焼酎でゆっくりと締めた。モンスターのパパのお迎えが来て、三時間の豪華な晩餐が終了。とにかく美味かったし、お腹いっぱいになったが、どこか呑み足りない居残った大人達で、遠藤さんのお店「ぼくんち」へ移動。すると、遠藤さんの前職の音楽仲間が集まって何やら盛り上がっていた。20年ぶりの再会、夕方からアマチュアライブを終え、打ち上げに入ったところで、我々もお仲間に飛び入りさせていただき、店は昔のフォークソングの歌声バーと変身!大きな声で合唱すると、ストレス発散にもなるけど、酔いは回るね(笑)お陰様で想定外の愉しい冬の夜となった。
翌日は家に閉じ籠り、暖かいお部屋でチョコの腹巻を編む。冬に強い犬もこう寒いと辛いだろうから…。何より、亡き父の愛人のような愛犬である。と、突然、目の前の母が世界史を教えてくれという。日本が平安だった頃の世界はどんなだったか。一瞬、いよいよボケたか?と焦ったが、そうではないらしい。私がテーブルの上に置き忘れた仏像の写真集をみて、あの時代にこんな素晴らしい仏像を作れる技術があったのは、日本だけなのか…そんな疑問が浮かんだというので、高校時代に使った世界史一覧表を持ち出して分かりやすく説明してあげた。知らないことがいっぱいだね~もっと、勉強しとけば良かったね…その日は可愛らしい母をみた。母さん、みんな同じですよ。人生、死ぬまで学び。学校のお勉強だけが勉強じゃない。貴女の孫たちは、おばあちゃんの教え通り、今年の正月も小豆とずんだと、くるみのあんを上手に作りましたよ。