開店以来、ずっとずっとお店のお客様としていいお付き合いをさせて頂いている山ちゃん。彼は、ある有名な鞄メーカーの営業部長で全国を行脚、仙台のFデパートへ交渉に来られる時には必ず顔を出してくれる。歳も同じでバツイチだから妙に気が合った。お店の上客というのは、決して頻度ではない。彼のように年に数回でも、前世からずっと仲良しだったような安堵感があり、常にお店の空気感を大切にしてくれる方が一番である。
その山ちゃんから、初めてバックを購入した。ホルスタイン皮?とかで、なんか美味しそうなその皮は人肌感があり、生涯といってもそう長いことではないが使い続けることができるという彼の保証付で衝動買い。そんなとこは、母と似ているなと感じる。いいものを長く大切に使うことを教えてくれた母は、今ではモノへの執着はなくなってしまったが…
そう、古代インドでは人生を4つの時期に区切るという。いわば心身を鍛え学びの「学生期」(がくしょうき)ブログに度々登場するモンスター達がそう。次に社会人としての責任を果たし家庭人としての義務をつくす「家住期」(かじゅうき)三人の子供達がその渦中にいる。頑張れ。
人生において何が大切で、自分が本当にやりたかったことは何なのか問いかける時期「林住期」(りんじゅうき)そして、何物にもとらわれず、思い出の中に静かに生きる「遊行期」(ゆぎょうき)私の母はまだかな~
ふと、何かに行き詰まった時に手にする五木寛之氏の「林住期」は、今、林住期を闊歩している私のバイブルである。併せて、本カバー折込の小川洋子氏の添え書きも素晴らしい。「衰えを傍らに、一歩一歩大地を踏みしめながら進みはじめた時こそが、真の人生の収穫期となる。」

思えば、両親に大切に育ててもらい、今となっては苦労したとは恥かしくて言えない、結局自分の好きなように生きてこれた人生には何一つ誇れるものはないが。今、何よりも好きなお酒と向き合って仕事をし、愉快な仲間達に支えてもらっているのは、とても幸せなことなんだろう。後輩や子供達に伝えるものがあるとしたら、林住期をこうして楽しんでいるわたしの後姿くらいだろうか。五木寛之氏は、本の中でこう語る。まず独りになることが必要だ。人脈、地脈を徐々に簡素化していこう。断捨離ではないが、残りの人生に必要なものは、じつは驚くほど少ない、と。
最期は、あのホルスタインのバック一つに収められるほどに…


ポール・マッカートニーのコンサートへ行けた興奮状態の友人のメールに触発されたわけじゃないけど、今回は盛りだくさんの旅。毎日のルーティンの中で、自らの勉強が疎かになってしまう。東京はそんな私を発奮させてくれるとこ。昨晩の酒が切れぬまま、新幹線に飛び乗る。正直、それが災いの始まり。翌日は優勝パレードが開催される仙台を後にして…勿論、赤ワインとフランスパンを頂きながら。気分だけグランクラスの2時間。
神楽坂のホテルにチェックインして直ぐに青山の岡本太郎記念館に立ち寄り、お隣のブルーノートへ。私は初のブルーノート。一生のうちに一度は行きた~いと思ってはいたが…それは今でしょう!ということで決めた!本日の演奏者はデュークエリントンオーケストラ。代表曲、A列車で行こうからはじまりキャラバンと至福のライブが終わるとき、指揮者があるゲストを紹介。世界のナベサダ!サプライズである。数えられないほど昔、学生時代の私は、周りの友達が新御三家の追っかけをしてる時に、彼のライブへ独り忍び込んでた。OL時代の目覚ましソングは大ヒットとなったカリフォルニア・シャワー。気持ちは十代の自分に帰ってしまった。でも目の前のナベサダは、昔よりも何百倍も素敵になって、未だ現役の80歳。
幸せを噛みしめながら次の目的地、恵比寿へ。東京ならではのアブサン専門バーで、アブサンを学ぶ。私のお店には30種のアブサンが鎮座してるが、ここは70種。負けた。フランスのアブサンフェスへ参加したというオーナーの話の話にドーパミンが溢れた。実は直ぐ裏に二店舗をオープンしまして…場所だけ聞いてずらかろうと思ってたがオーナー自らのエスコートに従ってしまった。またアブサン。しかし、まだまだ宵の口?渋谷道玄坂ののんべえ横丁まで散歩。そこは吉田類酒場放浪記のオープニングに選ばれし横丁である。ここも一度は訪れねばならない聖地だった。達成感の中で一日目が終了。
翌日は、吉田類酒場放浪記第一話のお店、吉祥寺いせやへ訪問し、晴れたら井の頭公園を散策しようと思ってたが、朝から体調が優れない。何か悪いものでも食したか?ベットから出れない。テレビは仙台の楽天パレードを放映してた。あの群衆…よかった、東京で。しかし、お腹の痛みは強くなるばかり。
結局、夕方の神田東京堂で開催される、松井孝典氏、チャンドラ博士、茂木健一郎氏が「宇宙と生命」を熱く語る!『スリランカの赤い雨』刊行記念トーク・イベントへは、どうにか辿り着けたが、朦朧として頭に入らない。遠く茂木さんを眺めて会場を後にした。僅かに残った体力で、お酒の仕入れを終えて、上野の大山で〆て、新幹線へ飛び乗り仙台まで死んでた。
自己管理の無さで翌日も七転八倒の痛みの中、一日死んでた。

71歳になったポールの新曲「NEW」。それは生まれ変わること。NEW=YOUNGではなく、いくつになってもNEWになれること、だそうである。翌日、私も生まれ変わりました。よろしくです。
講習先まで、定禅寺通の並木道を遠回りして向かう。見事な枯葉の舞は芸術作品である。人間と違って自然は自らの散り期と散り方を弁えている。その美しさに見惚れながら昨日のことを思い出す。
高校時代の友人であるカズエとは、そう深い付き合いでもないが人生のピンポイントになぜか居合わせる。振り返ると、あの宮城沖地震のとき、二人で学校をサボって映画を見てたっけ。そのカズエと先週バッタリ街で会う。カズエは私に連絡を入れようとしていたらしく、その偶然にひとり驚いていた。聞けば、昨年父が他界、一周忌を終え父の遺品を一つ一つ整理していたら、ある酒場での写真やそこの店主からの年賀状の束が出てきたという。父以外の家族はみな酒を呑まない。父の行きつけの店があることなど誰も知らなかったという。その酒場が私の店の近所にあるので、一緒に付き合って欲しいというのだ。なんと、そのお店とは、私も長いことお付き合いをさせて頂いている、あの「わが家」だった。
昨日、店の開店を遅らせて、カズエと共にわが家へ。わが家の親方は彼女の訪問に驚き訃報に涙した。こういう商売は、体調を崩されているのかと心配はしても、こちらから安否を尋ねるわけにはいかないからね、と。カズエのお父様とは30年のお付き合いだそうな。震災で親方が荒浜のご自宅と奥様を失ったとき、カズエのお父様はじめ店の常連さんに励まされ店を再開できたこと、その後も以前と変わらずお父様は焼酎三杯と好きな歌を二三曲唄って帰ること、他の常連さんにとても慕われてたこと…カズエの知らない父のお話を親方がとつとつと話してくれた。カズエは、ここ数年母が認知症になり、その世話で大変だった父が、ホッとできる場所があったことを知り感謝していると、涙した。そして、最期、自分の死を誰にも知らせないで欲しい、家族だけで葬儀をして欲しいとの遺言だったので、ご報告が遅れましたと。お父様らしい…この店では、一人娘に婿が入って孫と同居できて幸せな老後を送っていると語り、奥様の介護の話など知らなかったと、親方。
私も父を看取り、父を想うときに辛い心を癒してくれるのは、父の行きつけの寿司屋。誰しも順風満帆とは言えない人生の中で、自分のホッとできる居場所があったのは幸せだったということ。酒場は、時にそんな役目を果たすこともある。

吉田類の「酒場歳時記」の冒頭にもこうあった。
本来、酒は人の心を鼓舞するために飲まれるもの。酒場はその舞台の一つにすぎない。しかし、酒場は時には駆け込み寺のように、擦り切れた心を癒してくれる…